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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

 中村明日美子は今でこそ少女漫画やらサスペンスやら果ては相撲まで幅広く描いているのだけれど、元々はBLで有名な作家だった人。彼女の少女漫画、そして一般向けの初の単行本がこの片恋の日記少女になる。
 しかし少女漫画の定義が曖昧なのは置いておいても、一般的に言う少女漫画とはかなりずれているなぁと思うわけで。これは多分生粋の少女漫画家には描けない。

 何かもう目の付け所と話の展開が絶対的に違うなと。ゲイもの、ロリ、出会い系、シスコン…など表だけ見てもそうだし、端々にも普通の少女漫画にはないエグみを感じた。
 よしながふみの対談本で、よしながふみが「BL界というのは今の少年漫画にも少女漫画にも青年漫画にも居場所がない作家が行き着く場所なんです」的なことを言っていたのだけれど、中村明日美子がそこから出てきたというのはすごく納得できる。独特の嗜好って意味でもそうだし、圧倒的に自由な所からしか出てこない才能なのだろう。

 そして中村明日美子のすごさは、そのエグみと短編一つ一つのクオリティの高さが完璧に融合しちゃってる所で。この人の短編は本当におもしろいのだ。長編の延長線上で短編を描く漫画家とは根本的に違い、中村明日美子は短編を短編としてしっかり描ける人。私の短編読みたいなって気持ちを完全に満足させてくれる。

 例えば「父と息子とブリ大根」では、東京でオカマちゃんになった満が家に帰ってくると、息子を訪ねてきた親父が何と部屋の中に。親父は息子がオカマになったとは知らず、女の格好をしている満を息子の彼女と勘違いしてしまう。こんなとんでもない冒頭が、捻りに捻った話に魅せられ、父の憎めないキャラに笑った挙句、最後は“父と息子”の心温まる話に帰結する。
 このように、どの話もかなり突拍子もなくて作者の独特の性的な嗜好も伺える短編なのだけれど、最後にはかなりぐっと心が動いてしまう。本当に構成と語り方が素晴らしい。特にお気に入りは「父と息子…」、「とりかへばやで出会いましょう」あたり。ただどれも珠玉と言ってよいくらいのクオリティ。

 また絵も達者だよなぁ。綺麗で見やすい絵を描けるのはもちろん、デフォ絵も上手いのだけれども、それだけではなくて。例えば前述のオカマは美人なのに、あくまで美人なオカマなのだ。また「娘の年ごろの娘」なんてロリっぽいとかじゃなくて見事なまでにロリ。ここらへんは絵が達者すぎてちょっとやばい匂いがするくらいに。

 中村明日美子は本当に短編好きにはたまらない作家ですよ。「曲がり角のボクら」、「鉄道少女漫画少女」とそれぞれ違った味で楽しめる。特にこの作品はエグみが強いので、少女漫画好きな方だとかなり新鮮な気持ちで読めると思う。おすすめです。

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[投稿:2012-03-08 00:38:21] [修正:2012-03-08 00:38:21] [このレビューのURL]

 フェローズの企画ものを中心に、福島聡との共作やら普通の読みきりやら森薫のここ10年弱ほどの短編が収められています。まあ短編は6割ほどで残りはイラストやらサイン会ペーパーなどの諸々。とは言ってもおまけであろうここらへんにも気合入りまくりなので見応えは相当なもの。裏の第何刷とか書いてる所にイラスト載ってるのはこの人の作品くらいだと思う笑。

 森薫という漫画家さんはそもそもフェティシズム色の強い作家なわけですが、短編ともなると物語性が少なくなる分、森薫のフェティシズムがより抽出された内容になっています。相も変わらず、(悪い意味ではなく)強烈に自身の性癖を押し付けてくるもんだから、こちらも有耶無耶のうちに首肯してしまうというか。こちらが好きって言うまでしつこく「好き?好きでしょ?好きだよね?」と聞かれ続ける感じというか。
 十八番のメイドものはもちろん、水着、眼鏡、バニー、ぶかぶかの制服…などなどそのテーマも多彩。ここらへんは個人の嗜好によって好きなのはかなり変わってくると思う。私が特に好きなのは「昔買った水着」と「見えるようになったこと」あたり。水着と畳にはやられました。後者は森薫の貴重な現代もの。

 またこの作品集を読んでて感じたのは本当に上品だなってことで。これだけ押し付けがましくて強烈なパワーなのに、上品なフェティシズム。これは最近BL系出身の作家にも感じることだけど、森薫は他と隔絶してると思う。もはや気品が漂っちゃってるあたりがすごい。女性ゆえなのかとも思ったけれど、岡本倫あたりを考えてもそれだけではないんだろう。変だけど、やっぱりすごい人だ。

 サイン会ペーパーやらイラストやらも読んでて楽しいです。正直コルセットや暖炉なんか微塵も興味はないんですよ。でもこれだけ愛に溢れてれば、魅力的に見えてきて困ったもの。本当に“好きこそものの上手なれ”を地でいく人だなぁと。またペーパーの後書きネタは爆笑しました。まあぶっちゃけこの作品集も後書きの方が…っていうのは多分嘘。

 ということで森薫の魅力を存分に堪能させてもらいました。森薫好きなら買って損はないです。短編以外もおもしろいので迷ってる方はぜひぜひ。
 後シャーリーの新しい短編が収録されてないってことは2巻が出るってことですよね?期待して良いんですよね森先生? 楽しみに待たせて頂きます!

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[投稿:2012-02-28 23:57:03] [修正:2012-02-29 23:53:39] [このレビューのURL]

8点 菫画報

 間違いなくストライクゾーンは狭いだろうなぁと思いつつ。でも私を含む一部の人々にとっては、ある意味バイブルと言ってもいいくらい強烈な吸引力を持ってる漫画。
 内容は「本格高校新聞漫画」ということで、いわゆる文科系クラブのゆるーい日常もの。日常とはいってもかなりファンタジックな話も多くて、コメディ色が強い。爆笑を期待するとちょっとあれだが、にやにやしながらまったり楽しめる。

 この漫画が今一つ売れなかったのはよく分かる。まあ大体の人にとっては、他の同じような類の漫画と比べて突出した内容はないだろうし、絵も癖があって上手とは言えない。でも一方で、未だ当然のように絶版中の菫画報(特に4巻は数がないとか)を探しているという人の話もよく聞くこともあって。
 それは多分作者の嗜好が良くも悪くも露骨に出ているのも一つの要因なのだろう。「エログロナンセンス!子供も大人もエンタテイメントの基本はこれよ」という台詞が作中にあるのだけど、これを聞いてピンと来るものがある人なら読んでみるのも良いかもしれない。

 要は子どもの頃に「怪盗二重面相」や「ドリトル先生」、「名探偵カッレくん」あたりに親しんでいて、大人になっても乱歩や谷崎の怪奇小説、ポーの幻想文学、ヴォネガットのSFを愛好しているような、いくつになっても夢の世界に片足突っ込んでいる人にはたまらないものがあるってことで。いわゆるサブカル嗜好の人ってことになるのかもしれない。
 菫画報の菫もそういう人なんだよね。上に挙げたような探偵小説にのめり込み、当たり前の日常の中で非日常を必死に探している。もうここら辺からして自分を見ているようで、ちょっと面映いのだけど。そして現実と違って、この漫画では非日常に紛れこめちゃうんだよなぁ。しかも菫は、私が内に押さえ込んでる妄想を外側に何の躊躇もなく爆発させる。だからもう菫に、この漫画にすんごく惹かれちゃう。悔しいことに。

 色々と奇跡的なバランスで成り立っている漫画だと思う。小原愼司の絵はいわゆる耽美系になるのだけど、けっこう粗い。ただこれが古屋兎丸の絵だと絶対おもしろくないだろうし。また石黒正数の菫画報であろう「それでも町は廻っている」は絵も話も上手すぎて、“そういう”おもしろさは薄まってしまっている(石黒正数は大の菫画報ファン)。
 実際その後の小原作品は菫画報より成長しているのは確かなのに、菫画報を超えれていないわけで。漫画って色々と難しいものだよなぁと思ったり。

 とにかくSFやら何やらごった煮なんだけど、それがまた突拍子もない空想っぽくて好きだった。作者も書いているように、話に起伏はないし決して引き出しは広くないんだけどね。見せ方が工夫しているのもあってか、ずっとこの世界に浸っていたくなる。
 空想というものの限界と現実の縛りを描いた話を挟んで、とことん馬鹿な話がラストなのも良いよなぁ。これが夢オチじゃないあたり、素晴らしく気が利いてる最終話だった。

 とりあえず作者の嗜好とかそういうものに対する愛とかに共感できる人ならば、代え難い価値のある漫画になるはず。合うと思ったら探してみて下さいな。

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[投稿:2012-02-23 01:35:58] [修正:2012-02-23 08:14:29] [このレビューのURL]

 原作小説の猟犬探偵シリーズは読んだことがないのだけれども、漫画化を考えた時に谷口ジロー以外に誰がやる?ってくらいにぴったりな小説だなと。だって犬×ハードボイルドの探偵ものですよ。これを谷口ジローが描いておもしろくないわけがない。

 失踪した猟犬の捜索を扱う探偵・竜門卓の物語。とりあえず思うのは、何てニッチな職業なんだ!ってことで。そんな風変わりな商売をやっていて、“小型犬は扱わないのだ”のように独自のポリシーを持っている。
 ハリー・モーガンのように、誰にも命令されない男。自分だけのモラルで動く男。金では動かぬ男。相棒と共に山に生き、フォア・ローゼスを飲む彼はまさに山のフィリップ・マーロウだ。

 もう谷口ジローの横綱相撲感が半端ない。絵にしろ構成にしろ匠の仕事に惚れ惚れします。魅せたい所と伝えたいことを過不足なくしっかりと見せてくれる実直な仕事。そして圧巻の、山と動物の魅力をこれ程までかと引き出す描写力。やっぱり谷口ジローは素晴らしい漫画描きだなと今さらながらに思った。さくさくとテンポ良く読ませてくれる一方で、感動と余韻はじっくりと味あわせてくれる。

 そしてまた竜門が格好良いんだ。仕事は完璧にこなした上で、自分のポリシーを貫く。言葉には出さずに、見返りも求めずに、そっと好意を置いていく。最高にリアリスティックな中にあるほのかな感傷というハードボイルドの醍醐味を堪能しました。憧れます。
 盲導犬のエピソードは特にぐっと来た。しびれますよ竜門さん。ため息が出て、温かな気持ちで泣ける。
 
 嬉しいことに続編も現在連載中ということで。また新たにこの傑作の続編も楽しめそうです。谷口ジロー好きはもちろん、ハードボイルドが好きな方はぜひぜひどうぞ。

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[投稿:2012-02-21 01:26:30] [修正:2012-02-21 02:03:29] [このレビューのURL]

 ロング・ハロウィーンはバットマンコミックの中でも90年代最高傑作とされる。映画好きの方ならノーランのダークナイトの原案となったと言った方が分かってもらえるかもしれない。
 そんな傑作にも関わらず、残念ながら上巻は絶版となっている。今年ノーランの手がけるバットマン最終章が公開されるということで再刊されそうではあるのかな。しかしプレ値を抜きにしても上下で7000円弱は高い。私は原書で読んだのだけれど、英語は比較的易しいし1800円と安いので選択旨に考えても良いかもしれない。
 
 本作はゴッサムシティに突如現れた謎の殺人鬼ホリデイの正体を巡るミステリーであり、フランク・ミラーのイヤーワンの後を引き継いだバットマン二年目のファルコーネファミリーの終焉の物語でもあり、またハービー・デントの失墜とトゥーフェイスの誕生譚でもある。
 ロングハロウィーン以前のバットマン二年目の話としてイヤーツーがあったが、こちらはロンハロの刊行とその後のイベントによってほぼ無かったことになってしまったそうで。

 ロングハロウィーンはまるでチャンドラーのような、ハードボイルド探偵小説の趣きを持ったバットマンコミックだ。まあバットマンはそもそも“闇夜の探偵”なんて言われるように、そういう面は強いシリーズなのだけれども。
 しかしこの作品はチャンドラーの名前を出したくなるくらいに素晴らしかった。「長いお別れ」を髣髴とさせる驚きの結末が待っていて、なおかつその結末は読み手を否が応にも感傷にひたらせる。

 単なるミステリーとして見てはちょっと楽しめないかもしれない。結局ホリデイが誰であったかということに完全な論理的解決は恐らく不可能だ。読者しか分からない材料が推理のヒントとなっている上に、殺害の手際やそれが露見しなかったのも偶然性が大きくリアリスティックに欠ける。祝日という制約が大きかったというのもあるだろう。しかしこの作品の見るべきところはそこではなくて…。

 ロングハロウィーンのテーマは恐らく“信頼”だと思う。ハービーを信じられるのか? ゴッサム・シティを、ゴッサムの住人が変われると信じられるのか? それはバットマンの自身への問いかけであり、かつ読者への問いかけでもある。そして各々の“信頼”がホリデイの真相を決めるのだ。
 これは本当にすごいと思った。重要なのはミステリーとしての真相じゃなくて、それぞれの思いが真相を決めること。ミステリーと物語がここまで完璧に融合した作品ってなかなかないよ。だからこそバットマンは信じたんだよなぁ。信じなければもはやバットマンではありえなかったのだ。でもそれはバットマンにとっての真実であって、読者にとっての真実ではない。どこまでハービーを、人間を信じるのか…。ホリデイの正体はミステリーの枠を超え、私達読む側がどこまで人間を信じられるかという人類の普遍的な問いかけにつながってくる。
 
 ハードボイルドをここまで引き上げたミステリーというのはやっぱりチャンドラーの作品以外に思いつかない。バットマン、ゴードン、そしてハービーの三人の屋上で結んだ絆は悲劇に終わり、三人はそれぞれの道を選ぶ。何度読んでも泣かずにはいられない。
 続編としては邦訳済みの「バットマン:ダークビクトリー」と未邦訳だが「Catwoman: When in Rome」がある。ロングハロウィーンだけでは分からなかった部分も多いので、ロンハロを気に入った方はこちらもぜひぜひ。

追記
Catwoman: When in Rome はまだ発売日未定ですが、小プロより刊行が決まったそうです。喜ばしきこと…なのだろうけど、原書読んだ直後にこのニュースを聞いたので複雑な気持ちなのであります。

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[投稿:2012-01-24 01:18:04] [修正:2012-02-18 16:43:36] [このレビューのURL]

6点 WE3

 グラント・モリソンといえば頭がおかしいという話をよく聞く方。宇宙人に誘拐されたとか、自身のコミックの売り上げを上げるためにファンに同じ時刻にオナニーをさせようとするとか、魔術師としてムーアと張り合うとか、色々ネタにされてます。実はアーカム・アサイラムをまだ読んでない私はこれがモリソン初体験。

 WE3はDCのヴァーティゴという作家性の強い作品を中心に扱う大人向けのレーベルから刊行された。
 生物兵器に改造され、さらには廃棄処分にされそうになった三匹の動物達の逃亡劇。彼らの友情、そして悲哀が描かれていく。

 タイトルが似ているのと3匹の動物達の話ということで、どうしても比べたくなるのが手塚治虫のワンダースリーなのだけれども。まあ多分偶然の一致だとは思う。基本的に全然違う話だし。
 ただワンダースリーを読んだ者としては、大森望さんの帯にある“もうひとつのW3”という言葉にはなかなかぐっと来るものがあるなぁ、と。そして読んだことのない人にとっては何のことやらだろうなぁ、と。気になった方はW3の方もおもしろいので読んでみたら良いかと。

 モリソン自身も後書きで語っているように、ストーリー自体はものすごくシンプルで分かりやすい。ただ安易にお涙頂戴に走らないモリソンの演出はすごく好みだった。明らかに感傷的なお話なのに硬派な雰囲気。下手な作家だったらかつての飼い主のエピソードなんか入れそうなものだけど、そういう余計なものは一切ない。
 もしかすると人によってはあっさりすぎると思うかもしれない。でもそこが良いのだ。削ぎ落とされたからこそ生まれるものというのは確実にあって、だからこそWE3の勇気や友情、悲哀というものが心に沁みる。

 結末も良かったなぁ。全体的にWE3に出てくる存在って色々矛盾してると思うわけです。動物達を残酷な生物兵器にしちゃった博士なのに誰よりもその動物達を愛しちゃってるとか。人が死なないために作られた生物兵器が人殺しまくりだとか。イイイヌ、ヒト、タスケル、なんて言いながら人殺しまくりのイヌとか。動物達のほのぼのとした会話に心が動いた次のページではやっぱり人が死にまくりとか。善人と思われる人が間違ったことをしちゃったり。生物兵器を利用してきた人が見せる優しさだったり。
 そんな善悪が混沌としている世界で、3匹が間違いなく勝ち取ったもの。簡潔ながらもそれがラストにはぎゅっと詰まってたように思う。正直ほろっと来ました。

 クワイトリーの緻密なアート、そしてモリソンの大胆な画面構成というのも見応えがあった。導入部の静かな緊迫感や、また弾丸が体を貫く時の3Dを思わせる演出には思わず息を呑む。モリソンが超自画自賛してた程かどうかは知らないが。

 ヒーローものでもないし、ちょっとアメコミを読んでみたいなという方にもおすすめしたい良作です。ただ文法的に漫画により近いのはキック・アスかもしれない。
 けっこうえぐいのに動物愛がしっかり感じられるあたりもおもしろい。3号(ウサギ)のウンコ爆弾には思わず胸がときめきました。やっぱりボッコ隊長といい自分はウサギ派ですね。

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[投稿:2012-02-18 13:22:13] [修正:2012-02-18 13:22:13] [このレビューのURL]

 真造圭伍はこの森山中教習所がデビュー作で、しかも22歳でこれだけのものを描いちゃうんだから恐れ入る。この先もっとすごい漫画を生み出していくのだろうか。

 とはいってもストーリー自体は本当にシンプルな物語。ひょんなことから非公認教習所に通うことになった大学生、佐藤清高くんのひと夏の恋と友情を描く、それだけだ。しかし真造圭伍はそれだけの話をここまでおもしろく語れてしまう。つくづく新人とは思えない。

 何というか、もう物語を語るセンスがずば抜けていると思った。語る所とあえて語らない所の選び方が絶妙、またその語り口も素晴らしいの一言で。清高くんにしろその友達の驫木くんにしろ、背景に色んなものを抱えてるんだろうな、って匂わせるシーンもそこらかしこにあって。でもそれはあくまでバックボーンに留め、絶妙な間と表情で語らせる技量にはほとほとため息が出た。
 いくつかの見開きでは、ふきだしを使わずに名前とかぎかっこで登場人物の会話を描くなんてこともしていたのだけれども。こんなこと、下手にやっちゃったら途端に話がうそ臭くなってしまうと思う。でもこの作品では驚くほどすっと心に入ってくる。

 基本的には、ヤクザの件のような本当に漫画的な漫画で。その一方で、水風船の遊びからの拷問シーンや清高くんのヤケ酒なんて、笑ってしまうほど滑稽で、でも尋常じゃないほど人間臭さを感じさせる。そうかと思えば清高くんの元彼女さんの食事やラストの急ブレーキの場面ように、とことん笑える場面もあったりして。やっぱりそこらかしこに強烈に作者のセンスを感じた。

  「なーに、ノスタルジーにひたってんのよ?」

 気付いたら私までそんな思いにひたっていたのは、自分の中にも同じような物語があったからだ。真造圭伍は、誰もが心の片隅にひっそりとしまっているものを、おもしろい物語に仕上げることが出来る。そういう人が私は好きで、でもそういう人はなかなかいない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-02-13 00:14:49] [修正:2012-02-13 00:26:14] [このレビューのURL]

 中村明日美子といえば自分の中ではどちらかというとBL作家のイメージがありまして。一般向けも描いているのは知ってはいたのだけれども、「同級生」がBL界隈で絶賛というのをけっこうな場所で聞いていたのが大きかった(だってぷっすまでも見た記憶が…)。というわけで去年この鉄道少女漫画を読んだのが初中村明日美子。

 読んでみてまず思ったのは、上手すぎる!ってことで。こういうテーマを縛っちゃった短編集は話がなかなか広がらなかったり、もしくはテーマを意識しすぎて話に無理やり感が出ちゃったり、この話…じゃなくても良くね?とかなかなか難しいものがあると思う。
 鉄道少女漫画はその名の通り、鉄道+少女漫画なのだけれども、このおもしろさはどちらを抜いても絶対成り立たない。まさに少女漫画という、青春大爆発な感じや現実にはありえない夢物語のような話が、鉄道特有の独特な雰囲気でぐっと引き締まる。両立しえないものがしてしまったという驚きがあった。

 短編一つ一つの構成の上手さもまた際立っていて。第一話のスリの少女がスリを仕掛けた相手に捕まって…に代表されるように、突拍子のない冒頭から始まり、見事な伏線回収を挟みつつ、心をぐっと掴まれる美しいラストに帰結する。
 鉄道の使い方もどれ一つとして似たようなものはないもんなぁ。時刻表トリックや鉄道に絡めたウィットに富んだやり取りというのも何とも素敵で、またそんな鉄道愛を感じさせる要素もしっかりお話の中の必要なものとして組み込まれている。表紙やエピローグまで隙がない。稚気に溢れた仕掛けを眺めていると、ついついにやってなっちゃうのだ。

 どの短編も素晴らしいのだけれど、特にお気に入りを挙げるとしたら「浪漫避行にのっとって」「立体交差の駅」「木曜日のサバラン」あたり。
 「浪漫避行にのっとって」は特に構成が抜群で、最後のカタルシスがものすごい。全体的にコミカルな感じも好き。「立体交差の駅」は青い花以来、久しぶりにぐっときた百合もの。すんごく可愛くてぎゅっとしたくなる。「木曜日のサバラン」の共通幻想というか、言葉に出したら壊れちゃいそうな雰囲気と仲間って良いよなぁ。

 ということで中村明日美子のすごさというのを存分に感じられた短編集でした。本当に活動再開してくれてありがたや。短編集好きの人には外さないと思うのでおすすめ。

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[投稿:2012-02-08 18:34:25] [修正:2012-02-13 00:16:17] [このレビューのURL]

 フロム・ヘルなんかとはまた違った意味で、本当に読んでいてしんどかった。もちろんおもしろくないとか下手だからではなくて、志村貴子がすごいからなのだけれども。
 何でそんなにしんどかったのかというと、ハチクロの台詞でいう“自分が苦労して脱ぎ捨ててきたもう見たくないものを、強制的に見せられている”感じに近い。読んでいて、あぁぁぁーってなっちゃう。

 女の子になりたい男の子と男の子になりたい女の子の話、といえばもちろん正しいのだけれど、性同一性障害を描いた物語かというと少し違う。恐らく志村貴子が描きたいのは、それよりもう少し広いもの、成長するにつれてカテゴライズされていく子供たちの姿だ。
 
 作中に、女モンの下着を持ってるのか?と聞かれて肯定した二鳥くんと友達のこんな会話がある。「女の服着るだけならまだ、てゆーかそれもアウトだけど、でもまだマシだけど、下着は完全アウトだろ」「それを何でおまえが決めるんだよ」
 もちろん私は二鳥くんのような、女の子になりたい男の子ではなかった。でも成長するにつれて自分を取り巻く“線”を少しずつ感じ取っていくのは決して二鳥くんような子だけの話ではなくて、誰もが経験することだと思う。私が中学生の時、学校ではズボンを腰まで下げるのが流行していたし、校則違反だけれど眉を剃るのは格好良いとされていた。二鳥くんは何でおまえが決めるんだよ、と言ったがやっぱり人によってアウトとセーフの線は異なるし、その線を決めるのは周りの人間なのだ。子どもはそういう雰囲気にすごく敏感だから、自分はどこまでズボンを下げていいのか、眉を剃っていいのかを考えて、出来るだけ線からはみ出さないようにする。

 でも時にはその線からはみ出したくなるときもあるんだよね。いつもより気張った髪型をしてみたり、思い切った服を着てみたり。しかし大体な所、自分の線をはみ出した結果、何となく決まりの悪い思いをしたり、友人に馬鹿にされたりすることになる。二鳥くんが女の服を着たいということは、こういう誰もが経験することの延長線上にあるのであって、決して普通の人と関係のないことではないのだ。
 もちろん男と女ってだけじゃなくて、子どもと大人、可愛い人と可愛くない人、だったり人は色んなカテゴライズをされていくわけだけれども。ただ二鳥くんを取り巻く線は、成長するにつれて少しずつ狭くなっていく。制服によって男と女は形式的に分けられるし、第二次性徴期によって否が応にも自らの性別を実感することになる。これは苦しいよなぁ。
 
 成長するにつれて、あんまり人ははみ出さなくなる。線をはみ出ることで苦労をするより、その中でやっていく方が精神的に楽だから。二鳥くんはどうやら高校生になっても、おっかなびっくりしながら線をはみ出し続けていくようだ。それが多分タイトルの“放浪”息子ということなのだろう。
 多分思春期をこういう風に描いた人って志村貴子以外にいなかった。よしながふみの根底にも似たものがあるとは思うのだけれど、志村貴子は噛み砕く前のものを見せてくれる。だから青臭くて、照れくさくて、読むのがしんどいのだ。いや本当に佐々ちゃんという清涼剤がいなかったら読めなかったかもなぁ。志村貴子はやっぱりすごい。

 志村貴子は様々な放浪を見せてくれる。人によって自分を取り巻く線は違う。ちーちゃんのように異様に広い人もいるし、高槻くんみたいな人もいる。色んな線のはみ出し方があって、線をはみ出すことには相応のリスクだってある。
 二鳥くんの放浪はどこに行き着くのか、それとも放浪し続けるのか。読むのはしんどいけれど、それ以上に楽しみなのであります。

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[投稿:2012-02-10 23:47:53] [修正:2012-02-10 23:47:53] [このレビューのURL]

 “庭”をテーマとした5短編から成る作品集。まあ庭があまり関係なかったり、庭じゃなくても成り立ちそうな話もあったりする。

 「鮮烈な才能」とか「この才能に出会えたことが幸せ」とかITANの尋常じゃない押しっぷりとハードルの上げ方にはちょっとびっくりするわけですが。結果去年かなり話題になった作品の一つとなったので、そう誇大な広告でもなかったのかもしれないけどさ。
 しかしこの漫画って決して“新しく”はないぞ、って思った。むしろ結構な既視感があったりもする。要は花の24年組や高野文子あたりを今風に焼きなおしたんだなってことで、それらを読んできた方ならこの感じは分かると思う。しかも形は違えど似たようなことを市川春子や西村ツチカが先にやっちゃってる。

 もちろん構図や見せ方は素晴らしいものがあって。また「五月の庭」での偽善とエゴイズムの境目とか、表題作「地上はポケットの中の庭」における生きることの意味、「まばたきはそれから」で描かれる生きる目的の見えないもやもや感(こちらは色んな作品で見るけど)とか、そういう言葉に出来ない、答えの出ない感情を切り取れるのは才能のある方じゃないと出来ない。

 ただ問題はやっぱり、この感じはどっかで読んだぞってことで。「五月の庭」が市川春子の「虫と歌」をどうしても想起させちゃうのはもう運が悪かっただけかもしれないけれど、読む側として雑念が入ってしまうのはどうしようもない。また構図や話の作り方にしろ、裏側に高野文子や大島弓子あたりがどうしても見えちゃうのだ。で、まあさすがにここらへんのレジェンダリーな方達と比べると分が悪い。

 もちろん前述の市川春子や西村ツチカにしても、同じことは言えるのだけれども。ただ彼らに関してはその土台の上に紛うことなき彼らの個性がドン!とあるのに対して、田中相はまだそうではなかったのかなと。
 ということであまり入り込めなかったのだけれど、才能がある方というのは間違いない。むしろこれから先が楽しみな作家さん。

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[投稿:2012-01-31 22:01:49] [修正:2012-01-31 23:13:30] [このレビューのURL]