「boo」さんのページ

総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

サッカー漫画の異色作にして個人的なベスト。まあ純粋なサッカーだけを描く作品ではないんで、一括りにしたら怒られるかもしれませんが。

女の子にも関わらず男子サッカー部に所属する恩田希。部内で随一のテクと創造性を持つも女の子ゆえに試合には出れない。しかし新人戦の1回戦に彼女はどうしても出場したい理由があって…。

この作品はサッカーにおける体格の重要性、男と女の違い、女子サッカーの現実、少年少女期の終わり、など欲張りなほどテーマをたくさん盛り込んでいる。
確かにそれらは興味深いけれど、そのおかげで楽しめたのかというと少し違う気がする。
では何がこの作品のすばらしい所なのか。

次に飛ぶためには、体を屈めなければいけない。
恩田は誰よりも低く屈んだからこそ誰よりも高く飛ぶことが出来た。誰もがそう、見とれてしまうほどに。
澱のように溜まっていたものが開放される時にカタルシスが生まれる。その点でさよならフットボールのカタルシスは半端じゃない。2巻の途中から鳥肌立ちっぱなし、そしてクライマックスではもはや鳥肌の上に鳥肌が立ったかのように感じてしまう。そしてひしひしと伝わってくるサッカーの楽しさ。
まさかサッカーで泣かされようとは…。

「ノンちゃんのフットボールには夢がある。」
まだ読んでない皆さん、あなたも恩田希のフットボールに魅せられてみませんか?

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-09-10 13:11:02] [修正:2012-01-22 22:15:27] [このレビューのURL]

 相撲というと日本の国技であるし、すごく身近なスポーツでもある。その一方でダサいというイメージは、言い難いけれど、あるだろう。ふんどし一丁で太った男同士がぶつかり合うスポーツだから、少なくとも“華麗”という言葉は似合わない。
 でもバチバチを読んで感じるのは、だからこそいいんだよなぁってこと。熱い漫画に洗練、華麗なんて言葉は要らない。泥臭くて、格好良くて、最高の男たち。やはり相撲は男の浪漫だよ。

 主人公の鯉太郎は暴力事件で引退し、交通事故で死んだ大関火竜の息子。彼は相撲と親父の過去に折り合いをつけられないまま日々を過ごしていた。
 そんな思いにケリをつけようと思った鯉太郎は巡業相撲で幕下力士を強烈なぶちかましと何よりもその根性と気迫で圧倒し、勝利する。その相撲を見ていた火竜の旧友、空流親方にスカウトされ相撲部屋に入門することになるのだった。

 バチバチを形容する時にやっぱり“熱い”というのは一番に使われる言葉だろう。男と男がぶつかり合って、張り合って、投げ合う。もちろん熱い。とんでもないくらい熱い。
 でも最初の内はそれだけかな、と思っていた。胸くそ悪い悪役(王虎ね)が出て来て、バチバチに打ち勝って、もちろん熱くて読んでいるときは燃え上がってしまって最高なのだけれど、立ち読みで十分だと思っていた。熱いだけだと読み返すうちにやっぱり冷めてきてしまうわけです、正直な所。

 でもあれ?それだけじゃない?と思い始めたのはどんぐりとの取り組みあたりからだろうか。あの取り組みで佐藤タカヒロは鯉太郎に、勝たなければいけない理由と勝つのが当たり前だと決め付ける理由の違いを突きつけた。
 決して鯉太郎だけが“特別”ではないのだと。いや、確実に特別ではあるのだけれど、でもそれは他の力士を無意識にでも見下ろすことにはならないと。

 で、それが私の中では、すごくすっと入ってきた。初めて熱いだけではなくて、おもしろいなぁと思ったのだ。さらにその後の鯉太郎がスランプに陥ってから下手投げを習得するまでのエピソードで、ああこれは傑作になるわと確信したのだった。
 すごく丁寧なのよ。相撲はシンプルなルールではあるけれど、私が知らなかったシンプルゆえの奥深さがそこにはある。ぶちかましや下手投げの一つをとってもこれだけ相撲ってすげぇなぁ、と思わせてくれて、さらにそれらはしっかり本場所での取り組みにつながってくる。さらにはただのスポーツではなく、伝統芸能としての一面もしっかり描かれる。

 要は熱さの中にも裏づけがあるってことで、これはなかなか見れない。熱いだけ、って漫画はたくさんあるし、頭でっかちな漫画はそれ以上にあるだろう。バチバチは熱さと物語性、そして競技性がそれぞれに盛り立てあうという稀有な漫画であって、それを傑作というのだ。
 バチバチは親方や兄弟子、同期の仲間の台詞や態度一つとってもそれぞれに布石があって、でも先は読めない。読めなかったのに、終わってみればこれしかなかったんだ、と感じてしまう。熱さの裏に説得力がしっかりとあるってこと。

 鯉太郎がまっすぐな、まっすぐすぎるくらいの好感の持てる主人公である一方、脇を固める空流部屋の兄弟子達や同期の仲間も魅力的だ。悪役が本当に胸くそ悪いのも良い。そして何より川さんの神がかりっぷりが良い笑。
 でも今年一番は白水だよなぁ。いわゆる凡人代表のポップ的な位置で、さらに兄弟子である白水の目覚めは本当に今一番わくわくしてる。天雷との取り組みとかもうたまらん。そして鯉太郎との決戦へ…。熱いぜ!

 来年は吽形と阿形の対戦が待っていて何とも楽しみな、そして恐ろしくもあるこの漫画、最高に熱くて、でもそれだけじゃないのです。初期のはじめの一歩が好きな人なんて特におすすめしたい。
 しかしまだ序二段だからなぁ、横綱までの道は遠いぜ。この勢いでぜひぜひ頑張って欲しいです。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-02-06 23:58:53] [修正:2012-01-22 22:13:37] [このレビューのURL]

 何というか、読み返すたびに色んな意味で何とも言えない思いになる。

 羅川真里茂がドラマを描く名手であることは私が言うまでもない。「赤ちゃんと僕」の広瀬とその漫画家である父親のエピソードにおける、“漫画は人間同士の心が動くからおもしろいんだ”という拓也の台詞は羅川先生の偽らざる気持ちだろうし、それを今まで実行し続けているから羅川作品はまさにずっと変わらずおもしろい。

 赤ちゃんと僕、しゃにむにGO!、いつでもお天気気分、チムアポート、ましろのおと…ホームドラマからスポーツや音楽もの、ファンタジーまで羅川作品の核には人間同士のドラマがある。チムアポートは以前書いた記事のように、ファンタジーとしては今ひとつでも人間ドラマとしてはやっぱりおもしろかった。
 それは“贖罪”という重いテーマを持つ3中篇を収録した、この「朝がまたくるから」においても変わらない。やはりどんなに重苦しいものであっても羅川真里茂は美しくドラマに仕上げ、彼らを救済してしまう。

 最初見た時、素直に感動した。ああ、羅川真里茂の真骨頂だなと。でも読み返していくうちに、ふとここまで物語を堪能してしまって私はいいのだろうかという疑念が芽生えてきてしまったわけで。
 誤解して欲しくないのは、羅川先生が真摯にそれぞれの作品のテーマと向き合っているのは確かなのだ。でも、何というか美しいドラマに仕上げて、読者をすっきり感動させてしまうのは羅川真里茂の持ち味だけれど、それはこのようなシリアスな作品集において長所と裏返しの欠点も露呈してしまっている気がする。

 要は“重さ”がよりドラマを盛り上げる助けになってしまって良いのか?、ということで。こんなシリアスなテーマなのにそのおもしろみはいつもの羅川作品と変わらない。相も変わらず、美しい物語に読者は酔いしれ涙する。
 それは素晴らしいことでもあるけれど、でも「朝がまたくるから」においてはいつものように全てを肯定することはできない。ドラマであるということは、裏返すと現実ではないということだから。そして私はドラマであって欲しくなかった作品集なのだ、この作品は。

 でもドラマを描かない羅川真里茂はもう羅川真里茂じゃないんだよなぁ。そういう意味では羅川ファンの私だけれど、向いてない作品だったのかもしれない。
 これからも変わらず羅川ファンではあり続けるのは変わらない。ただ羅川真里茂の良い所がはっきりした一方、限界も見えてしまった気がしてならない。

 やっぱり「朝がまた来るから」を読み返すとおもしろいのだ。そしておもしろいからこそこの気持ちの行き所の始末に困ってしまう。慈しむような優しさに満ちている作品だけれども、でもなぁ…。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-08-14 01:36:21] [修正:2012-01-22 22:12:15] [このレビューのURL]

 現在の大人でも楽しめる“シリアス”なアメリカン・コミックの流れを作ったのはDKRやウォッチメンとはもはや常套句と化したくらいよく言われることで。
 でもそれらは突然変異的に現れたわけじゃあない。ジャック・カービーとスタン・リーのX-MEN、そしてこのニール・アダムスとデニス・オニールのGL/GAなどの先駆けがあった。
 
「怪物やマッド・サイエンティストばかりが悪ではない…やっと気付いた」
 
 X-MENのさりげなさとは違って、特にこのGL/GAはヒーローを正面切って社会問題に向かわせたという意味で、より後の作品に与えた影響は強かったかもしれない。上の台詞が示すように、何せこの作品でグリーンランタンとグリーンアローが立ち向かうのはただの“悪者”ではない。薬物問題、人種差別、環境問題、エコテロリスト、ネイティブアメリカン問題、など“敵”が明確には見えないものばかりだ。

「もはや世界を白と黒に分けることはできない。…中略…グリーンアローの言うとおり、もはや権力が正しいとは言えない世の中だ。ならば何が正しいんだ。」

 GL/GAが生まれた1970年代というのは様々なことで世界が揺れた時代だった。もはやかつてヒーロー達が第二次世界大戦で活躍を見せていた時代のような一方的な正義と悪では、大人の読者は納得しきれなくなっていたのだろうか。そう、もはや権力が正しいとは限らなかった。
 そんな激動の社会の中に、優等生で生真面目なグリーンランタン(ハル・ジョーダン)とシニカルな自由主義者であるグリーンアロー(オリバー・クイーン)という、正反対のコンビが放り込まれる。

 彼らは悩み、そして力では本質的な社会問題の解決など出来ないことを思い知らされる。それでも、どんなに辛くても二人が目をそらすことはない。だからこそ彼らはヒーローであり、目をそらさないことの大事さを教えてくれる。目をつぶってしまっては何も見えないし、先には進めないのだから。そんな葛藤を受けての回答が本作でも随一の傑作である「たった一人でなにができる?」でありウォッチメンの結末でもある。
 同時に連載ものの限界も所々見せてしまってもいる。彼らはヒーローをやめるわけにはいかないし、どこかで話に救いをもたせないといけないわけで。でもそもそも子供向けとされていた作品ということを考えれば仕方がないし、だからこそ読みやすいし重くなりすぎないのだ。

 それぞれの短編で異なったテーマが鋭く掘り下げられている一方で、シリーズを通して進んでいくサイドストーリーもある。例えばハルとキャロル、またはオリーとブラックキャナリーの関係性は少しずつ変化していくし、オリーの怪我は後の短編に影響を与えていく。
 そのようなサイドストーリーと何よりハルとオリーという正反対の、正反対ゆえの魅力的なコンビがこのシリアスな話の内容を明るく彩る。二人の珍道中という面でもすごく楽しいし、何といってもオリーがかっけぇ!本当にいいキャラクターしてるよなぁ。大好きになっただけに、今度のリランチで若々しくなったのはちょっと残念だった。髭もないし…。

 GL/GAはアメコミの記念碑的な意味でも、また現在の視点で見た単体の内容をとっても間違いなく傑作といえる作品。二人が立ち向かった問題は今でもなくなったわけではないのだから。薬物問題なんかは言うに及ばず、エコテロリストの話で、どっかの某対捕鯨テロリストの姿が浮かんできたのは私だけではないと思う。
 出来ることなら中学生くらいの子どもにも読ませたい作品なんだけどなぁ、今のアメコミ事情を考えると現実的ではないのが残念な所。学校の図書館に一冊くらい置いておいてもいいんじゃない、なんて思うのだけど、どうだろう?

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-09-20 12:47:15] [修正:2012-01-22 22:10:33] [このレビューのURL]

6点 泡日

 かなり作者がギリギリの位置に立っている短編集に思える。とは言っても「泡日」という作品集自体は高浜寛の他作品と比べてもかなり可笑しくて、ユーモラス。
 
 高浜寛は漫画家として決して楽な道のりを辿ってきた方ではないし、精神状態がかなり落ち込んでいた時期があるというのは色んな所で自身が語っている。泡日では高浜寛本人をモデルとした短編も描かれているが、やっぱりそこにおいても高浜寛は情緒不安定。
 でも現実においてどうかは知らないけれど、漫画において彼女は辛いことや馬鹿らしいことを笑い飛ばすことができる。それはやっぱり今までと変わらず“滑稽”で、生きていることを強く感じさせる。泡日は高浜寛作品の中でもとても可笑しい。しかし読んで笑いながらも、その裏に潜むものは決して明るいものではないことに気付いた時、何とも言えない気持ちになる。

 表題作「泡日」は中編ではあるものの、決して長くはないページ数の中でえっちゃんという人間はしっかりと浮かび上がっている。院長先生などの脇役だってそう。彼らは私達と同様に面倒くさい人生を生きている。だからこそ面倒くさいけれど、面倒くさいことを笑ってやろう、こちらまでそんな気分になるのだ。
 高浜寛の転落する一歩手前の瀬戸際で、それでも自分を笑い飛ばせる強かさ。それは決して悲壮な笑いではなくて、とっても前向きなものだ。すごい人。

 作品の多くは大まかにはラブストーリーになるだろう。でも高浜寛はもはや変わらない愛なんて、純愛なんて幻想を信じてはいない。現実にはごたごたが付いてくるわけで、ずっと高校生ではいられない。
 それでも高浜寛は愛という言葉を口にするんだよなぁ。何か恥ずかしそうに、手が届かないものであるかのように。“こんな時代に愛のある話じゃないか?”…本当にそうなのだ。やっぱりこれは大人のラブストーリー。しっかり地に足ついた人間の物語。

 やっぱり高浜寛の作品は良い。決して読みにくくはないのにしっかり現実とつながっているから読むのにエネルギーを使う。そしてそのエネルギーの分だけ良い物語を読んだ充実感を与えてくれる。一番地味な印象があるけれど、他の高浜寛作品を読んで気に入った方はこちらもおすすめ。

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[投稿:2012-01-18 23:24:31] [修正:2012-01-18 23:24:31] [このレビューのURL]

7点 W3

 W3(ワンダースリー)は小学生の頃に学校の図書館で読んだことがあった。当時気に入っていた漫画が今読み返してもこれ程までに楽しいって多分すごいことだ。かつてW3や真一の活躍に胸を踊らせていた気持ちを思い出しつつも、結末では手塚SFの極みの一端を感じられる。

 結局人間は正なのか悪なのかという疑問は今も昔も誰しもがどこかで考えてきた。
 地球を存続させるかどうかの判断を下すよう命じられたW3と反陽子爆弾を自国の権益に利用しようとする国、世界平和を目指す秘密機関。様々な思惑が絡み合う中で、真一や馬場先生に輝くヒューマニズム。手塚治虫は娯楽的な冒険SFのオブラートに包んで、読者に古典的で素朴な疑問を問いかける。
 
 アラン・ムーアのWATCHMENでは正義も悪も溶けてなくなり、ノーランのダークナイトでは曲がりなりにも一つの回答が示された。
 そういう後発の作品に比べるとやっぱりW3は物足りない。でも子ども向けに少年サンデーで連載されたことを考えるとちょうどよい塩梅なわけで。気楽に読めて、考える余地も十分にある。そもそも約50年前にこんな漫画を描けるのはやっぱり手塚治虫の凄みだよなぁ。

 よく賞賛される驚きの結末は、私がある程度年もとって色んな作品を読んできたからか今読むとそうでもない。手塚治虫作品に時に感じられるお仕着せのヒューマニズムが気になる部分もあるのだけれど。
 じゃあ結局私が何を気に入っているのかというと、もうボッコ隊長が可愛すぎてしょうがないってことで。これはもはや異常ですよ。

 というのもボッコ隊長は地球人に疑われないためにウサギの体になっているのだけど、私が感じてるのは動物が可愛いとかそういう感情ではないんだよなぁ。どっちかというとボッコ隊長の純真さや仕草という一挙一動にときめいちゃっているのです。プッコにキスした時なんか私の胸までドキドキしたよ。ウサギとカモなのに。
 手塚治虫のいう「私の漫画は記号です」というのがある面最大限発揮された結果かもしれないけれど、これは他にない体験な気がする。手塚治虫が変態なのか、私が変態なのか…。

 子どもの頃に読んでそれっきりという人にはぜひ読み返してみて欲しい。あの頃にわくわくした気持ちを思い出しつつも、新たな発見があると思う。もちろん全く読んだことのない人にもおすすめ。ボッコ隊長に惚れたのは私だけではないって信じてる。

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[投稿:2012-01-16 18:34:47] [修正:2012-01-16 18:50:32] [このレビューのURL]

 DCスーパーヒーローズはアレックス・ロスとポール・ディニに手がけられた作品が一つに集められたもの。スーパーマン、バットマン、ワンダーウーマン、キャプテン・マーベルの4人のヒーローそれぞれの中編に加え、DCの主だったヒーローのオリジンを描く「JLA:シークレット・オリジンズ」、JLAの未知のウイルスへの奮闘を描く「JLA:リバティ・アンド・ジャスティス」が収録されている。

 日本で初邦訳のものはワンダーウーマンとキャプテン・マーベルのものだけで、他はJIVEなどで個別に作品が刊行済み。しかし絶版によってとんでもないプレ値になっていたので、それらを持っていない私にとってはこの値段でさらに合本となると、まあありがたいことです。
 この調子で小プロにはバットマン:ブラック&ホワイトやマーヴルズあたりを再刊してもらえると、小プロのアメコミ邦訳中断期前の作品は大体揃うはず。ぜひぜひお願いしたい所。

 まず目を惹くのはやはりアレックス・ロスのアート。キングダム・カムをまだ読んでいない私はこれがロス初体験だったのだけれど、アメコミ界最高のペイント絵師の名に違わずすごい。特に力を入れている絵なんて本当に映画かと見紛うほど。巻末で解説されているように、わざわざモデルを使って描いているそうでとんでもないです。
 ただ写実という点で頂点に立つ絵師だろうなと思った一方、ロスの絵を見ると漫画的な絵が恋しくなっちゃうのも正直な所。実はあまり好みではなかったりするんですが、すごさは認めるしかないよなぁ。

 内容面では何というか、味わいがすごく似ている作品が多い。どのヒーローも勝ち得ないものに立ち向かい、苦悩する。そして彼らはみんなあくまで“人間”なのだ。特にスーパーマンやワンダーウーマンの話は古いワインを新しい皮袋にじゃないけれど、やっていることは結局GL/GAと変わらない。
 似たテーマを扱っているからこその作品集なのだろうけど、正直色んな意味で相互が似ているし、新鮮味はあまりない気がする。キャプテン・マーベルやバットマンの話はわりと好きです。

 JLA:リバティ・アンド・ジャスティスに関しては、これまでJLA自体を見たことがなかったので、かなり新鮮に楽しんだ。特にジョン・ジョンズとか、DKRの時なんて特に謎に思っていたので助かります。
 でも特筆してこれ!っというのがあるかというとあまりなくて、単純にヒーロー同士の共演を楽しむ部分が強かったりする。これも“人間”を強く意識しているのは同様だけれども。

 テイストの近いDC作品やシークレット・オリジンズが収録されているというのもあって、DCを知るにはわりと良いんじゃないかと。これが典型かというと、多分そんなことはないけれど、どのヒーローがどんな感じかというのはそれなりに理解できる。
 そういう意味ですごい傑作というわけではないけれど、やはりDC好きなら必読の作品。DCキャラクター大辞典と併せてDC入門におすすめです。

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[投稿:2012-01-15 12:21:26] [修正:2012-01-15 12:21:26] [このレビューのURL]

 ショーン・タンのある少女の一日を描いた絵本。一コマ漫画。

 誰しも何となく憂鬱な日というのはあるだろう。誰も自分のことを考えてなくて、何にも素敵なことは起こらなくて、つまらないことばっかりが訪れる。そう、まるで世界に見放されたような…。ショーン・タンがそんな暗い何かに囚われてしまった少女を描いたのがこのレッドツリーだ。

 以前レッドツリーは同出版社から“希望まで360秒”という副題をつけられたものが刊行されていた。昨年日本でのショーン・タン人気の高まりを受けてか、あまり評判のよろしくなかった副題を取り除き、一回り大きなサイズの新装版が再び刊行されている。
 やっぱりショーン・タンの素敵な絵と魅力的なカラーリングは新装版の方がより際立って楽しめる。高いなと感じる方は英語はちょろっと絵に挟まれるくらいなので、洋書の方も選択旨に考えるとよいかもしれない。

 誰にも自分を分かってもらえない。窓の外を見ると、自分以外のみんなは楽しそうだ。そんな孤独感と寂しさをショーン・タンは奇抜だけれど、本当に私達の心の中を覗いているかのような想像力で絵に仕立て上げる。心の中には迷宮があり、怪物が巣くう。
 もちろん一枚の絵だけを見ても、素晴らしい。ただこれ程までに心に迫って、少女に深く共感してしまうのはやっぱり私にもこんな一日が訪れることはあるからだ。

 もちろん落ちることもあれば上がることもあるわけで、いつまでも沈んでばかりではいられない。最後には素敵な出会いが少女を、私達を待っている。

「時には、何も楽しみなことのない一日が始まることもある」

 そんな日にはレッドツリーを読むとちょっとだけ希望を分けてもらえるかもしれない。そして寝る前に読めば、明日はきっと何か良いことがあるはずだ、そんな気持ちにさせてくれる。

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[投稿:2012-01-15 11:49:12] [修正:2012-01-15 11:49:12] [このレビューのURL]

 高野文子のB級センス大爆発!、なかっけぇ漫画。

 まあそもそも高野文子といえばセンスの塊みたいな人です。漫画家の中で天才を一人選ぶとしたら多分私はこの人を選ぶ。
 そんな人が全力を傾注して超B級なスパイものをやるとなると、超イカした冒険活劇になるのは至極自然なことで、絵に見はまり過ぎて最初はストーリーがさっぱり頭に入らないのも至極当たり前なわけ。

 お金持ちのお嬢さんのメイドをしていたラッキー嬢はちょっとした悪ふざけでメイドを首になってしまう。ひょんなこんなでデパートを巡る陰謀に巻き込まれた彼女は“一見ただのかわいいデパートガール。しかしその実体は―――極秘文書受け渡しの任務を受けた勇敢な一少女特派員”になってしまうのだった。

 捻くれている好みだろうか、私はB級というよりB級愛に溢れた作品が好きなのだ。B級という言葉は人によって捉え方が様々かもしれないけれど、私にとっては独特の“チープさ”。そのチープさを巧く自分の作風に取り入れたものって波長が合えば何ともたまらない魅力がある。
 例えばプラネット・テラー in グラインドハウス(だって義足がマシンガンだし)や血界戦線(だって世界救いまくるし)とかね、もう大好きです。で、このラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事もそんな作品の一つ。

 ストーリー見れば分かるでしょ。めっちゃチープですよ。夢と希望のデパートで繰り広げられる一国の命運を握るお話ですよ。悪の親玉も、王子さまも、機知に満ちた会話と駆け引きも、可愛くて素敵な女の子も、ハッピーエンドも、何だってデパートのように品揃えが良くてかつ大安売りなんですよ。
 要はもう高野文子の好きなもん全部詰め込んだってことで。で、そんな漫画が私は大好きってことで。

 そんな魅力的なお話を盛りたてるのはやはり魅力的な高野文子の絵。高野文子はわりかしシンプルな絵だけれど、その線はついつい見惚れてしまう程素敵で、絵の見せ方という点で追髄出来る人はいない。この作品において、高野文子のペンはいつにも増して縦横無尽に動き回る。
 ラッキー嬢は縦にも横にも自由自在に走り、止まり、落ち、踊り、飛び跳ねる。読むうちに時間の感覚が狂ってくる。他の漫画家が3速くらいしかギアを切り替えれないところを高野文子は13速くらい切り替えることができるのだ。映画のようなスピード感があるのに、でも確実に漫画なんだよなぁ。高野先生は化け物ですか?

 ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事を好きな人となら、私は一緒に楽しく飲み明かせる気がする。趣味の映画や漫画の話をぜひぜひしたい。そんな漫画。
 高野文子本人はこれを失敗作と言ったそうだけど、私は大好きです。高野作品でも一際異彩を放つこの漫画、好みに合うかもと思った方はぜひぜひ。

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[投稿:2012-01-05 23:14:31] [修正:2012-01-06 00:01:54] [このレビューのURL]

 少年漫画は“特別”な一人に対する憧れを描き、少女漫画はありふれた日常を“特別”に描く。とは私が勝手に思っていることだけれど、多分大体において間違ってはいないと思う。
 フラワー・オブ・ライフのことを考えたとき、色んなところで言われるように、思い浮かぶのはやはり彼らの笑顔なのだ。フラワー・オブ・ライフはまさに人生の花を描ききった作品であって、少女漫画の一つの完成形にさえ思える。

 この作品において、彼らはすっごく青春を満喫している。楽しそうで、充実していて、こんな高校生活を送れたら…と願わない人はいないだろう。
 でもそこに不思議と嫌味や嫉妬の感情は浮かんでこない。これは「Papa told me」もそうだけれど、日常を楽しく見せてくれる漫画はしっかりとその裏にある努力を描いているから。フラワー・オブ・ライフでいうと、その努力とはとにかく“空気を読む”ということ。気を回しあって、みんなが一番幸せになる形を作ろうとしているのがしっかり伝わってくる。

 でもそれは決して良い子という意味ではないし、“幸せ”を型にはめようとしないのがよしながふみらしさ。例えば真島を見ればよく分かるように、彼にとってはクラスのみんなと打ち上げをしたりすることを望んではいないし、クラスのみんなも真島に参加して欲しいとは思っていない。じゃあどうするのか?…は読んで欲しいのでここには書かない。
 みんながみんな賞賛する方法ではないだろうけれど、私はこのエピソードが好きだった。全部を手に入れることは出来ないのだから、楽しく過ごすためにはそれなりの代価が必要なわけで。 

 2巻以降のクラス劇なんか本当に楽しいのよ。こっちまで笑って笑ってたまらないくらいに楽しい。でもそんな日常の楽しさを極めた一方、打って変わって最終巻では日常の貴重さが存分に描かれることになる。
 決して“普通”というのは絶対のものではないのだと言い切った時、フラワー・オブ・ライフは少女漫画の枠を超えた。雰囲気が変わるのに戸惑う人もいるだろうけれど、この最終巻があってこそ、それまでがさらに輝きを増すのだ。

 “普通”というのは成長においてもこの漫画の一つのキーワードになっている。成長とは強くなることか?それとも勇気を出せるようになることか?、少年漫画においてはそうかもしれない。
 フラワーオブ・ライフの高校生達も最終巻でそれぞれが確実に成長を見せる。でも彼らにとっての成長とは、自分が総体的には普通であると認めることだった。友人でも恋でも相手への感情と相手の自分への感情は決して等価ではないし、自分が本当に欲しいものが手に入るとは限らない。だからこそ自分の殻を破って人とつながれるようになるのだ。春太郎と真島が主軸であったにしろ、細かい所まで読み込むとほとんどのキャラクターにしっかりと見せ場と成長があったことが分かって素晴らしい(尾崎は知らない)。

 よしながふみは彼らの青春と成長を華々しく、そして繊細な描写で描ききった。真島の「滋?」はいつもポケットにショパンの「麻子はシチューが得意です」に並ぶ私の少女漫画の至言です。
 これ以降よしながふみが一般誌で連載を続けているのも、もはや少女漫画というフィールドで彼女がやれることはなくなってしまったということかもしれない。でもいつかさらに大きくなってホームに帰ってくるのを楽しみに待ってます。

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[投稿:2011-12-21 00:30:23] [修正:2012-01-04 02:06:07] [このレビューのURL]