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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

 犬のサルヴァトールはとても腕の良い自動車修理工。彼は「小さいやつ」と一緒に必要な部品を必死にかき集め、水陸両用の最先端の車を作る。そして、かつて親の都合で生き別れになったジュリーが住む南米へ赴こうとするのだった…。

 こんな感じのストーリー。しかも表紙のサルヴァトールは実に可愛らしい生き物のように見える。ゆえに、可愛い犬が愛を求めて愉快な冒険の旅に出る…とかそういう物語を想像するのが至極自然だと思うのだけれども。そこはクレシー先生ということで、一筋縄じゃいかない作品に仕上がっている。

 何といっても主人公のサルヴァトールの性格があんまりにも悪い。車を作るためなら泥棒やら騙しやら何でもござれ。パートナーの小さいやつに事あるごとに問題を押し付け、挙句の果てに南米に着いたら邪魔になるからと小さいやつを置き去りにしようとまで画策している。
 またサルヴァトールの裏で進行している二つの別ストーリー。豚のアマンディーヌと子豚たちのお話。そして出産時にアマンディーヌと生き別れになった子豚のフランソワを巡るお話。このアマンディーヌが視力が壊滅的に悪いだけではなくて、思考力の方もド近眼。フランソワを探していく内にすごい勢いでどつぼにはまっていくことに。

 基本的に読者は物語を読む上で主人公に感情移入していくものだと思うのだけれど、それにしてはひどく癖が強すぎるキャラクターたち。下手に感情移入してしまうと、色んな意味で苛々することは請け合いです。
 多分このサルヴァトールという作品を楽しむためには、キャラクターに近づき過ぎてしまっては駄目なのだ。ちょっと一歩引いて彼らを眺めてみる。すると、途端にこの不愉快なやつらの愉快な冒険が楽しくなってくる。

 サルヴァトールの腹黒い様々な試み。アマンディーヌの想像の斜め上を行く愚かさ。時折見せる小さいやつの素敵な笑顔。動物達が暮らす世界なのに、豚の切り身がスーパーに並び、牛は闘牛士に殺される。南米は近づくほどに遠くなっていく。物語は交差しそうで決して交差しない。JAPONでも見られたようなクレシーの実にブラックな文化批評。
 そんな一筋縄ではいかないひねた物語は、クレシーの可愛らしく味わい深い寓話調の絵に乗せて語られていく。時折描かれる活劇もとっても素敵だ。絵と物語はどこまでもアンバランス。というか全てがアンバランス。

 作品との距離感をつかめるようになれば、サルヴァトールを読むのがぐんと楽しくなってくる。約束事が通用しない…というか約束事がどんどん置き換わっていくような世界は実におもしろい。
 だからまだ完結してないとは言っても、個人的には別に完結しなくても構わないなと思ったり。物語が交錯しそうで交錯せず、南米は近づくほどに遠のくのだから、結局ジュリーが登場しなくても良いのかもしれない。完結しそうで完結しなくても納得できるかもしれない。そんなこっちまでひねた気分になってしまうバンド・デシネ。

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[投稿:2012-07-12 22:41:35] [修正:2012-07-12 22:41:35] [このレビューのURL]

 夢野久作×丸尾末広ですよ…! 恐らく乱歩と並んでこのタッグを待ち望んでいた人も多いはず。後は泉鏡花なんてどうでしょうか丸尾先生。

 本作は表題作である夢野久作の「瓶詰の地獄」以下4作が収録された丸尾末広の作品集。

 瓶詰の地獄は夢野久作の少なくはない短編の中でもベストオブベストの一つに挙げられると思う。事故により天国のような無人島に流れ着いた兄妹の禁忌と苦悩が3つの書簡を通して描かれていく。
 これはもうさすが丸尾末広という素晴らしさ。幸福な楽園であった島。しかし唯一の秩序であった聖書を信ずる心が内から芽生えた禁忌によって脅かされた瞬間、そこは地獄に変転する。丸尾末広はどこまでも美しく、どこまでも狂おしく内から楽園が崩壊していく様を象徴的に描ききる。圧倒的なビジュアルイメージにくらくら。

 瓶詰の地獄をより印象的な作品としているのが、色んな解釈の幅が残されていることに加えて、作中にいくらかの矛盾点が見られるというのがあって…。それらも突き詰めて考えていくと想像の地平にはキリがなくて、でもだからこそ掌編とは思えないほどこの作品は味わい深い。一つだけ文句があるとすれば、このコミカライズでは丸尾末広の解釈で新たな瓶詰の地獄の世界を読みたかった。再現性でいえばこれ以上のものはないだろうけれど、最後に読者にぶん投げてお茶を濁すのはどうだろうと思わないでもなかったり。

 一転してコミカルな「聖アントワーヌの誘惑」。こちらは絵は楽しいものの、今ひとつ自分の中のおもしろさにリンクせず。笑わせにきてるのかがあんまり確信できないままふわふわしてる感じというか。別に愉快でもないしなぁ。
 
 落語を原作としたとことん皮肉な諧謔に満ちた「黄金餅」。こちらはけっこうアレンジされているのだけれど、秀逸。落語の方は、善良な一般人ですらも金を手にするためならこうまでやるか…というものだったのに対して、丸尾版の登場人物はみんなストレートに強欲。そして強欲が強欲にどんどん食われていくその様。どうしても逃れられない人間の強欲さという業を強烈に感じるのは変わらない。

 とことんアンハッピーな「かわいそうな姉」。エドワード・ゴーリーの「不幸な子供」を意識しているのかと思うのだけれど、どうだろう。ゴーリーのような何かもう笑ってしまう程の芸術的な小気味よさで語られる不幸のオンパレードというわけではなくて、情念がこもってるだけにひたすら後味が悪い。難しいなぁ…あんまり好みではないかも。

 しかし時代時代の文化や風俗を一つのコマの中にさりげなく落とし込んで独自の世界を作ってしまえる丸尾末広はやっぱりすごい。話はそれぞれ好みが分かれるかもしれないけれど、絵を眺めるだけでも満足だったり。瓶詰の地獄や黄金餅は特にお気に入りです。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-07-10 23:32:20] [修正:2012-07-10 23:32:20] [このレビューのURL]

 真性死にたがり屋かつマゾヒストの弁護士の元に、彼を好きなゲイのヤクザが姪っ子をつれて訪れる。何やらやばい事情があって姪っ子をかくまってくれということで…。

 なかなかに入り込むのが難しい作品だった。ストーリーがまとまってるとかまとまってないとか、キャククターがしっかり描かれているとか描かれてないとかそういう部分ではなくて、読んでいるこちらの視点が定まらないというかね。うーん…。

 ヤマシタトモコ作品のおもしろみというのは、とにかくキャラウターが立ってるってことに加えて、そのキャラクターたちの絡みでキャラ同士の繊細な関係性、もしくはキャラ同士のぶっとんだ化学反応を見せてくれるということにある。
 死にたがり屋の弁護士や、弁護士に恋するゲイのヤクザ。さらにはそのヤクザに恋する極道筋の社長の息子。とかその他もろもろの濃すぎるほどのキャラクターたちがこの漫画には登場するし、あらすじから想像されるようなけっこうバイオレンスな作風だ。でも自身が後書きで『私にとっての「キャラ萌え漫画」でした。』と語っているように、やっぱりそのおもしろさというのはいつものヤマシタトモコと変わらない。

 でもこのシリアスで暴力的っていうのと、いつものヤマシタトモコのおもしろみというのは著しく食い合わせが悪かったんじゃないかと思うわけで。だってさ、個人的にヤクザがキャラ萌えにつながるというのが今一理解しがたいことは置いておいても、実際かくまわれている姪っ子の父親なんて借金のために殺されてしまってるんだぜ?

 そういうけっこうなハードさがあってのキャラ萌えというのは、私としてはちょっとすんなりとは飲み込みずらいなぁと。シリアスなストーリー展開の中でちょいちょいヤマシタトモコの「萌え」が挿入されるもんだから、どこを見ていいのか分からなくなってくる。
 女子高生に生きる意味を問うおっさん連中なんて構図はこれぞヤマシタトモコなんて素晴らしさなんだけどねぇ。実際部分部分でぐっと来る場面がけっこうあったわけで。ただそれだけに、個人的には惜しい漫画という印象だった。

 結局ヤマシタトモコには核となる作風があって、どんな設定の作品でもそれは変わらないんだろうと思う。羅川真里茂みたいに。そういう意味では器用に作風を変えていく中村明日美子や吉田秋生とは異なるってことで、今作に関しては上手く作風と作品構成がハマらなかった感じ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-06-30 14:01:49] [修正:2012-06-30 14:01:49] [このレビューのURL]

 希代の大ぼら吹き、島田虎之介のデビュー作。
 初めて島田虎之介の作品を読んだ人はその作風に戸惑うかもしれない。泥臭いようでスタイリッシュ。漫画とは思えない独特なテンポで語られるストーリー。変な失調感と共に気付くことになる。これは今まで読んできた漫画とは違うものだ。

 在日米兵が残した「エルドラド」という黄金郷の名を冠したバイク。おならのせいで世界初の宇宙飛行士の座をガガーリンに奪われた男。チェルノブイリから唯一生還した消防士。晩年を迎えて日本に帰ってきたブラジル移民…。
 史実とシマトラが巧みに作り上げた虚構の歴史が、虚虚実実に組み合わされて物語られていく。影響を受けたというヴォネガットさながらの、実に見事な大ぼら。笑ってしまう一歩手前で心が動いてしまう物語の数々はそれだけで見てもおもしろい。

 とにかく慣れるまではめちゃくちゃに読みづらい。少なくとも手塚治虫が言うストーリー漫画ではないと思う。
 映像体験としては、よく言われるように映画的。でも読み心地としては、(まさにヴォネガットのような)海外文学的。長嶋有が「文学と 映画の面白さを漫画で駆使する男」と島田虎之介を評していたけれども、まさにそんな印象。日本の漫画が今までやろうとしてこなかった領域に足を踏み入れている感じがする。

 シマトラが物語るのは、華々しい20世紀の歴史の裏に生きていたはずの人間の話だ。もしかしたらこうなっていたかもしれない、もしくはこうなって欲しかったという20世紀への哀愁と惜別に満ちた偽史だ。そういう物語られなかったものの物語。歴史の裏に潜んだありえたかもしれない歴史や人間の物語。
 そんなものを描こうとしたら本来この10倍のページ数があっても足りないはずで…。それをシマトラをこの1冊の中に詰め込んでしまう。だからこそ一見淡々と語られていくように見えても、その密度と情報量は尋常じゃない。何度も繰り返し読まないとおもしろさは見えてこないし、行間を読むとかいう言葉では伝わらないくらい想像することを強いられる。

 そんな物語の数々がクライマックスでは、美しく一つに収束されていく。決して華々しい生涯を生きたわけではない登場人物たちの物語は死んでもなお、人知れずまた他の人々へつながっていき、また一つ物語られない物語が誕生した所でラスト・ワルツは幕を閉じる。歴史の裏だったはずの物語がありえないほど劇的に救われていき、20世紀の影もまた21世紀に引き継がれていく。とにかくすごい。

 ここで語られる真実は全て嘘だ。分かってもいいし、分からなくてもいい。でもこのシマトラの作品の読み心地は映画でも文学でも、他のどの漫画を読んでも得られないよなぁ。漫画に読み応えを求めている人には、全力でおすすめ。

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[投稿:2012-06-27 00:46:56] [修正:2012-06-30 13:53:24] [このレビューのURL]

10点 羣青

 本当にすさまじい漫画。読んでいると、いつの間にか息が止まっていることに気付いたり。体の変な所に力が入っていたり。知らないうちに滂沱していたり。読んだ後に30分くらい放心状態で天井眺めていたり。その後眠ろうとしても全然寝付けなかったり。そんな漫画はなかなかない。

 もう内容はと言えば、どろどろでぼろぼろな悲劇。惚れた女の旦那を殺したレズ女と旦那の暴力に耐えかねてレズ女に旦那を殺すよう頼んだめがね女、二人の宛のない逃避行が始まる。
 女二人の逃避行といえばやっぱりテルマ&ルイーズだったり、もしくは人を殺すことに追随する負を描くという意味であれば罪と罰だったり、内容面での新鮮味はそんなにないのだけれども。しかし羣青がすさまじいのは、圧倒的に本物ということだ。

 羣青はすんごく重い。本当にどろどろでぼろぼろで狂おしくて。でも重い話というだけなら、別に珍しくはない。そもそも読み物で何億人死のうと、現実における一人の死とは比べ物にならないわけで。話が重ければ重いほど、舞台が現実であればあるほど、私達はその乖離を痛感させられてきたと思う。
 ただ羣青が他と圧倒的に違ったのは、いつもそこにあったはずの現実と読み物を隔てる厚いフィルターが限界までぶち破られていたことで。羣青において人が死んだら、傷つけられたら、本当にそうであるように感じられた。どこまでもどうしようもない後悔とか、糞みたいな愛とか、底の見えない憎悪とか。二人の感情の濁流というのが直にドカンと来た。

 そう、本当に濁流。漉されていない大量の感情。だからこそ自分と全く縁もないこんな二人にありえないほど感情移入してしまう。移入するというかもう引きずり込まれてしまう。没入にも程があるくらい没入して、気付いたら滂沱しちゃっている。すごすぎる。
 何でこんな作品を描けるのかって考えた時に、そりゃあ中村珍の技量や漫画に対する真摯な姿勢はもちろんあるのだけれども、それでもこれはありえない気がする。それを可能になさしめたのは帯に書かれているように“魂”としか言えないのかなと。完全に一線を踏み越えてしまっていると思う。

 もう何か言葉にすればするほど嘘になっていく感じがして、でも多分それが本物ということだ。絵は癖があるし、ページ数や値段も含めてなかなか買いにくい作品なのだけれど、頭をぶん殴られたような衝撃を味わいたい人は必読。まじで大傑作です。

[完結によせて]
 羣青という作品は、愛や孤独、理解しあうことを描いた作品だった。人と人は決して本当には一つになれないこと。本当の意味で他者を理解することは出来ないこと。もちろんこれらは羣青だけではなく、数多くの作品で描かれてきた普遍的なテーマだ。
 特にSFというジャンルはこれらのテーマを得意としてきたように思う。宇宙人が誰かの頭の中に乗り移ったり、人類が個体の枠組みを超えた一つの生命体となったり…。空想の世界の中では、人がひとりぼっちから解放されることは容易かった。

 羣青の何が特別かというと、驚くほどにこれらのテーマに真正面から立ち向かっているということで。だからこそ羣青を読むと息苦しいし、“愛”という言葉が全く似つかわしくないほどこの作品は泥臭い。

 とにかく執拗に自己と他者の世界のずれが提示されていく。主人公であるメガネさんとレズさんの世界は決して交わることはないし、理解しあうことはない。何度も何度も彼らはぶつかり合い、すれ違い続ける。
 極め付けが、メガネさんとレズさんの兄貴との会話であり、レズさんとレズさんの元彼女さんの母親との関係性だ。レズさんの兄貴も、レズさんの元彼女さんの母親も決して悪い人間ではなくて、むしろ正しくて立派な人間なのだろう。しかし彼らの言葉や態度はどうしようもなく上滑りしていく。カウンセリングだろうが友人のアドバイスだろうが何でも良いのだけれど、理解を示す人間が、ああこいつ何にも分かってないんだなって逆に絶望を加速させてしまうことがあるじゃない。それは正しいとか悪いとかいう問題ではないわけで。中村珍はこの人間同士の世界のずれを執拗に、絶望的に繰り返し描き出していく。本当にたまらない。

 そして二人が辿りついたところが「知り合わなきゃ、絶対幸せだったのに…」であり、さらにもう一つの台詞が連なっていくのだ。

 行き着くところまで行き着いてくれたという実感。作者の蛮勇に心から拍手。この真理に持ってゆきたいがために上中下巻、決して短くはないページ数で濃い物語を綴ってきたんだなぁ。
 中村珍にしか描けない泥にまみれた愛であり、人間賛歌だった。きっつい作品だったけれども、そのきつさ以上のものをもらった漫画だった。こんな業の深い漫画はなかなか読めるもんじゃない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-02-16 02:27:22] [修正:2012-06-24 11:19:50] [このレビューのURL]

 内藤泰弘の劇場版トライガン番外編に加え、Boichi・石黒正数・水上悟志・Ark Performance・竹山祐右・高内優向・相模映らの作品を加えたトライガンアンソロジー(石黒正数はイラストのみ)。
 昨年は映画に加え、完全版の刊行やパチンコにまでなったりして完結後もトライガンの盛り上がりを感じさせた年だった。その残り火と言ったら失礼かもしれないけれど、トライガンファンの私としてはこれは嬉しい。

 漫画好きには著名な作家から、このアンソロジーがデビューという作家まで様々な方が様々な作品を寄せている。作品としての質は高くないというのが正直な所で、設定を借りてきた二次創作の域を過ぎていない。ファン以外が楽しめるかといえば否だろう。
 でもこの手のアンソロジーって多分それで良いのだ。ファン以外が読む必要もないしファンが楽しめればそれでいい。私?…もちろんヴァッシュやウルフウッド、メリル達にもう一度出会えて歓喜でしたよ。

 ただ一つ共通するのはトライガンへの溢れる愛。作品を掲載している漫画家はもちろん、寄せ書きのみの方ももう皆さんトライガンが大好きなんだねと。それが一番大事だよね。
 こんな作品集を出せることからも分かるように、内藤先生自身も愛されているのでしょう。作品から良くも悪くも人柄が透けて見えてくることはあるけれど、内藤先生は人間的に魅力的な感じがするもんなぁ。

 そしてこの弾丸たちを読むと、本編をもれなく読み返したくなるのだった。最高にしびれるアクションと人間賛歌。やっぱりこんな作品は内藤泰弘にしか描けない。本編ともどもしつこく読ませていただきます。
 
 ファンは言うまでもなく必読。そうじゃない方はトライガンを読んでファンになる所から始めよう。ポロリもあるよ?!!。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-04-15 21:14:56] [修正:2012-06-15 00:46:01] [このレビューのURL]

 1976年のニカラグア、アメリカの支援を受けつつ独裁を続けるソモサ政権への反発からFLSN(サンディニスタ民族解放戦線)のゲリラ活動が盛んになり、ソモサ政権は国境警備隊を使ってFLSNを排除しようとしていた。
 若き修道士ガブリエルは、壁画の作成を依頼されニカラグアのとある村にやってくる。ガブリエルは宗教画を得意としていたが、村の神父ルーベンから“ものの表皮をめくる”ことを教えられ、村人たちを描くことを通して彼らと深くつながっていく。

 一つのライターの数奇な偶然によって物語は動き出す。村の女性から国境警備隊の男、さらにはFLSN、そしてガブリエルの元へと人々の手を移り続けるライターは当時のニカラグアではFLSNの象徴とされていた。FLSNと彼らを教会を通して支援するルーベン、ガブリエルは双方を国境警備隊の捜査から庇おうとする。しかしその企ては偶然ガブリエルの手元に渡ったライターから露見し、逆にガブリエルは拷問によってFLSNと教会のつながりを吐いてしまう。
 FLSNとルーベンへの裏切り、村の貧しい人々とは異なり政府の有力者の息子であるという罪悪感、実は同性愛者であるという背徳感…ガブリエルは両親の迎えから逃げ出し、革命に身を投じることになるのだった。

 うーん、これはすごい…。絵と物語がここまで高い質で両立してるとはねぇ。

 ガブリエルの抑圧された感情と身の上というのが一つの重要な要素になっていて。ニカラグアの革命を通してガブリエルの自己の変革、つまり大人になるための通過儀礼を描いた作品、と括ってしまうのは簡単なのだけれども。とあるライターを巡る凝りに凝った物語の導入、自己の変革へ至るまでの貪欲なまでのテーマの盛り込み方、そしてその多彩なテーマを一つにまとめきる作者の手腕にはただただ驚くばかり。

 FLSNの人々との出会いと別れ、人を殺すことと殺されること、辛い行軍、そして愛…ルパージュは人間の光と影を繊細に描き出す。そして積もりに積もった物語はガブリエルの解放に結実するのだ! 同性愛者としての自分も、政府の有力者としての自分も、裏切りを犯した自分も、自己を自己として認められるようになったガブリエル。そんな彼への感動とそこへ至るまでの圧倒的な説得力は、もうたまらない読み心地だった。
 また終わり方が良いんだよねぇ。大人になったガブリエルへの喝采に悲恋のほろ苦さが花を添える。同性愛の恋愛ものとしても秀逸な出来だったと思う。

 ルパージュの絵はただただ本当に美しい。アートとしての素晴らしさだけではなく、物語の展開やガブリエルの心情に沿ってルパージュは見開きごとに色彩を変える。ページをめくるごとに常に鮮やかで透明感のある絵が目に飛び込み、絵の表情はどんどん変化していく。
 人も自然もその時々によって、また見る側の心情や境遇によって受ける印象は異なってくる。ルパージュもまた単に上手いだけではなく、“ものの表皮をめくる”ことを徹底しているのだ。

 ニカラグア革命のある側面を描いただけではなく、エンターテイメントとしても非常に読み応えのあるおもしろい作品だった。ニカラグアの革命に自己の革命を重ね合わせ、それを一つの物語として結実させる。つくづく感嘆するしかない傑作です。おすすめ。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2012-04-30 01:58:07] [修正:2012-06-15 00:45:06] [このレビューのURL]

 機械のような演奏をすることで知られていた元天才ピアノ少年が、自由奔放な天才美少女ヴァイオリニストに出会う。そしてもう一度演奏家達の世界へ!…というボーイ・ミーツ・ガールもの。

 まあ上手い。超絶上手い。めちゃくちゃ上手い。前作「さよならフットボール」からさらに進化して、新川直司は盛り上げる技術に関してはもう今の漫画界でも随一くらいのレベルに達してんじゃないかくらいに思った次第。
 だってもはやこの人、話を盛り上げるのに大した物語を必要としてないわけで。例えば、かつて主人公・有馬がコンクールに出場していた時に彼の影に隠れていたライバル二人のお話。当時有馬が全く自分達のことを見ていなかったこと…この単純な“思い”だけで、新川直司はいきなり登場した二人の演奏を下手な漫画のクライマックスくらいの勢いで盛り上げてしまえる。しかもたった三話でだぜ? とんでもない。

 ぱらっとページをめくってみるだけで、執拗に過去のフラッシュバックやモノローグが何度も挿入されているし、視点は一人称で進んだりまた複数の視点が同時進行したりところころと変わるのが分かる。そして何よりもすごいのは、それだけ凝りに凝ってかつスピーディーに技術を詰め込んでいるのに至極読みやすいんだよなぁ。だから上がって上がりきったキメの場面ではぞわっと鳥肌がたってしまう。

 また明らかなボーイ・ミーツ・ガールものなのに、少年とヒロインがあんまり恋愛の方に進まなさそうというのはおもしろい所。多分二人は恋愛とは違う所でつながっていくのだろう。「君は君だよ」というヒロインの台詞で救われた少年の思いは分かる。じゃあヒロインの少年への思いは何なのだろう…。
 主人公の過去へのトラウマとか、ヒロインの病気とか、幼馴染との関係性とか鉄板な設定を詰め込んでいる一方で、「四月は君の嘘」という意味深なタイトルや闊達さに似合わずヒロインの謎めいた雰囲気はミステリーとしても中々におもしろくなりそうな気配。だって未だにヒロインが何故こんなに主人公にこだわるのか分からないのだ。読ませるなぁ。

 ただ今の所、まだ技術的には凝りに凝ってる作者が物語の方にその気持ちを傾けられるかはよく分からない。大した物語がなくとも瞬間的には沸騰させてしまえる人だけになおさら不安な気がしないでもなくて。しかし物語が上手く折り重なって、そこに新川直司の技術が乗ってくればどんなにカタルシスが得られるのか…楽しみに待ってます。

追記
・「君は君だよ」の“君”って何だよとか多少意地悪な突っ込みもしたくなる部分も多いのだけれど、そこはあくまで少年漫画だからしょうがないとも思う。
・そういう意味では自分探しものとしてやっぱりモテキのあくまで前向きでしかもはっきりとしたラストは秀逸だったよなぁと今さら。

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[投稿:2012-06-11 00:38:22] [修正:2012-06-15 00:43:59] [このレビューのURL]

 ヤマシタトモコの6つの短編が収録されている作品集。最初の方の比較的初期のものから今年発表されたばかりのものまで色々なので、一冊の短編集としての味わいはさまざま。

 最初の4つは比較的初期の投稿作ということなのだけれども。これらと後の2つを見比べると、ヤマシタトモコは明らかに「ドントクライ、ガール」以降あたりから変わったなぁと思う。男も女も一歩踏み間違えばギャグになっちゃいそうな、変な色香がまだまだ感じられない。
 線は硬くても、決して下手というわけじゃあない。むしろ現在のヤマシタトモコよりもコマ割りも多くて丁寧に描いているし、しっかり描き込んでもいるんだけどねぇ。やっぱりヤマシタトモコのおもしろさはそういう部分じゃないんだなぁ、と痛切に感じた。

 というわけで、初期の4つは今ひとつ。ヤマシタ作品王道のおじと姪っ子シチュエーション、少しファンタジックな魔法少女、人情幽霊ものと、様々な話が見られるという点では見所はあるのだけれども。どれも投稿作ということもあってか、肩に力が入りすぎなのかもしれない。話も絵もごちゃごちゃで、物語にもう一つ乗り切れなかった。

 やはり比較的最近の2つがおもしろい。

 「ビューティフルムービー」は映画館に勤める女性が主人公。“映画のように美しいその一瞬で、すべてが終わってほしかった”と映画と引き比べては現実に疲れている女性の物語だ。現実には映画みたいに起承転結があって、美しいラストで終わりはしない。ずっと同じことの繰り返しかもしれないし、何か素晴らしいことがあっても次の日には色あせているかもしれないわけで。この短編においても女性に何か変化が訪れるわけじゃあない。別れた彼氏とは元に戻らないし、新しい恋をすることだってない。
 決して明るい物語ではないのだけれど、まあ現実においてもそんなもんだよなぁ。ヤマシタトモコの描く倦怠と退廃はそれだけで色気があるし、そんなモノクロな現実に訪れる一瞬の色彩は驚くほどに鮮烈だった。私達と同じ現実に生きているからこそ主人公に共感してしまうし、その一瞬のために生きていける気がする。

 「MUD」はこれぞヤマシタトモコな傑作。主人公は予備校に通う女子高生。退屈な日常を生きている彼女はある日予備校の教師が落とした携帯を見つけると、その画面には明け透けなSM願望のつぶやかれたツイッターの画面が写っていた…。
 このような退屈な日常があるきっかけで輝きだすというよくあるストーリーなのだけれども、そのきっかけとその日常の輝き方というのが尋常じゃなくエグい。アナルプラグとか緊縛とかそんなんばっか。そして行き詰った二人の関係がどうなるのかとやきもきしていたら…何とも見事に放り投げてくれるなぁ笑。最後にこんなに切れ味鋭いジャーマンスープレックスをかけれる漫画家はまじでヤマシタトモコくらいだと思う。こんなの笑うしかない。

 これが一番最初のヤマシタトモコというのはおすすめしにくいけれども、他の作品を気に入った方なら最後の二つのために読む価値はあると思う。やっぱり最近のヤマシタトモコはノリに乗ってる。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-06-15 00:41:17] [修正:2012-06-15 00:42:51] [このレビューのURL]

6点 BABEL

 全ての情報がビブリオテックという電子図書館に集積・循環される近未来。ビブリオテックは人々の知的創造の場としてなくてはならぬ場であった。しかし、ビブリオテックの電子図書にはパランセプトという原因不明の不具合が表れる。
 主人公・オレッセンはビブリオテックの修復に従事するようになり、かつて父親の“消失”に関わった一つの書物の謎に迫っていくことになって…。

 かつて人々は同じ一つの言語を話していた。人々がバベルの塔という天まで届く塔を建て、神に挑戦しようとしたことが原因で、神は人々に違う言葉を話させるようにした。というのがバベルの塔の大体のあらすじ。
 想像するに、“かつてバラバラになった宇宙の全ての断片(情報)をビブリオテックに集めてしまえば、再び一つであったもの(アカシックレコード?)を復元できるのではないか? それは神へと至る道なのではないか? しかしそれではもう一度神の怒りに触れることにならないか?”…そんな期待と逡巡に満ちた人々のまなざしがこのBABELというタイトルからは感じられる。

 私達は莫大なメッセージを送り続ける一方で、伝えられなかった思いは何処へ行くのだろう。記録されなかった情報の行方は?

 まだまだ1巻は多くの示唆に満ちたプロローグに過ぎないのだけれども、圧倒的におもしろそうな匂いがぷんぷんしているわけで。新しくてなおかつ独創的。SF好きはもちろん、本好きをも惹き付ける神話と現代を上手く融合させた非常に魅力的なストーリーになる予感。
 独創的とは言っても奇想を狙っているのではなくて、重松成美には物語りたくてしょうがないものがあるんだろうと思う。前作は「製本」の物語だったのだけれど、製本から一転して近未来の電子図書を扱うこのBABELにも変わらない気持ちが感じられる。本を読むこと・読み解くことへの強い思い、本に込める心、紙の本への郷愁を。

 テーマや舞台設定からはサイバーパンク寄りになるのかなと思っていたら、ファンタジーの色が強いのには正直面食らった。現実の延長戦上の世界観が強いだけに。
 少しデッサン調で精緻な絵柄なのでファンタジーとの相性も良さそうなのだけれど、この期待感と言うのは紛れもないSFのものなわけで。でも神話とSFを結びつけるのにはかなりの脚本の力が必要とされるだろうなぁとも思うわけで。理論立てたSFになるのか、肌で感じるファンタジーになるのかは分からないけれど、そこらへんの折り合いをどのようにつけていくのかもこれからの楽しみな所。

 と色々書いたけれど、まだ期待感が先行しているというのが正直な所で。でも1巻でここまで期待させてしまえるというのはやはり物語りたいことのある人の強さだよなぁ。後はそれがどんな脚本で、どんな語り口で語られるのか…。イティハーサのように新たな神話が作られるんじゃないかと最高にわくわくしています。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-05-31 12:17:49] [修正:2012-05-31 12:19:11] [このレビューのURL]