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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

2巻が読めた喜びをかみ締めて。

イムリと並んで私が今一番楽しみにしているSFコミックがこの預言者ピッピ。名作となりえそうなSFを現在進行形で読めるというのはまた他のジャンルと違った喜びがある。何でだろうね、とにかく“今”読めることにわくわくする。

ピッピは世界中のコンピューターから情報が集められる地震予測ロボット。その予知はほぼ100%の可能性で的中し、多くの人を地震の被害から救っていた。
ピッピの親友であり、弟のような存在でもあるタミオは彼自身も知らない不治の難病で近い未来死ぬ運命にあった。しかし予想もしえない事故でタミオは亡くなってしまう。その時、ピッピの頭脳に変化が起こった。
地震から世界を、人類の未来を預言するロボットに…。ピッピの語る信じがたい預言は世界に何をもたらす?もしくはそれさえも預言の範疇なのだろうか?

サイバーパンクやハードSFももちろん大好きだけれども、シンプルな設定から色んな方向に深化していく物語を楽しむのもSFの醍醐味の一つだ。完全なる未来予知は何を生むのか、当初のテーマに収まりきれないものを現在この作品は獲得しているように思う。

預言者ピッピにこれぞSF!という程の装飾はない。そのガジェットだって既視感ありありのものなのに唯一無二の物語に仕上がっているわけで、オリジナリティがあるのは道具ではなくてその使用法の方だろう。
預言者ピッピはSFの厳選された素材を存分に堪能させてくれる。読みやすく、そして何より味わい深い。

正直2巻が刊行される時、猿の惑星:創世記と似たような展開になるんじゃないかと一抹の不安を感じていた。実際には全くの杞憂に過ぎなかったということで、私の浅はかな不安を軽々と飛び越してくれた。話はさらに混迷を深め、どこに帰結するのかさっぱり予想も出来ない。オカルティックな要素さえ完全にSFの範疇に収めてくれるという確信はあっても不安はない。ただただわくわくしている。
そう、結局SFに一番求めているものってわくわくなんだなと預言者ピッピを読むと本当に思う。科学に、それが生み出すものと未来に、未来に生きる人間に惹きつけられて物語から目を離すことは出来ない。

自分で考えて行動できる人間でいたい。そんな望みさえ幻想だとしたら…本当に怖いと思いませんか?
もし自分であったらどんなことを考え、行動するのか。いや、そもそも考えることが、行動することができるのか。これはやっぱり“今”読むべきSFだと思う。いつ出るとも知れない3巻に期待して、この希代のSFとは気長に付き合っていくつもりです。

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[投稿:2011-11-13 20:17:51] [修正:2011-11-13 20:17:51] [このレビューのURL]

エンキ・ビラルの「モンスター」が今月刊行ということで、同作者のもう一つの代表作「ニコポル三部作」について。

ちょっと前の邦訳本の例に漏れず、当たり前のように三部全て絶版中。私も残念なことにこの第一部しか持っていない。

徹底された管理国家となった未来のパリの上空に、神々の集団が乗るピラミッド型飛行船が大量の燃料を求めて滞在していた。
そんな騒然とした雰囲気の中、街の中に一つの冷凍ポットが落ちて来る。中には冷凍保存された男、ニコポルが入っていた。しかし落下の衝撃で彼の片足はとれてしまう。そこに現れたのは神々のはぐれ者、ホルス。ホルスはニコポルに鉄の義足をあてがい、彼の中に乗り移るのだった。彼らはそれぞれの目的のために手を組むことになって…。

全て読んだわけではないからあまりストーリーの解説めいたことは出来ないけれど、あまりそちらに言及する必要のある作品ではない気はする。
ファシズムや管理国家への嫌悪感、手前勝手な理屈で上から干渉してくる神々など、寓意らしきものを探せばたくさん見つかりはする。見つかりはするが、それだけという感じでそこまで傑出した物語とは思えない。少なくともこの第一部だけ見れば。

やっぱり不死者のカーニバルの魅力はもはや芸術と言える絵。この人はただでさえ上手い上にすごく手間暇かけてペイントする人なので、絵を眺めるだけで飽きない。
ブレードランナーの着想の元となったとも言われる退廃的で汚れたアンダーワールドと先行きの暗い未来都市にはもう惚れますわ。かの荒木飛呂彦のスタンドのモデルとなったらしき登場人物もちらほら。

独創的な町並み、キャラクターの造形などこの人の描く世界は本当に素晴らしい。絵が気に入った方には兎にも角にもおすすめしたい。鮮烈なイマジネーションを存分に楽しめる。
しかしビラル、メビウス、クレシーとBD作家の色彩はどうしてこんなに圧倒的なのか。見易さはともかくとして、カラーに特化しているアメコミと比べても相当に違う。作家性の強さはもちろんあるだろうが、芸術の国なのかね、やっぱり。

絶版中とはいえそれほど高騰はしてないんで十分買える範囲だと思う。じゃあ何で私が買ってないのかというとやはり絵は気に入っていても話はあまり気になっていないからだったりする。そんな作品。
ちなみにページ数は値段の割りに破格に少ないけれど、その分原書サイズで大きい(アメコミよりも)のと密度の分だと信じよう。

絶版だからなぁなんて思う人は今月に刊行されるモンスターが良いかも。こちらはアメコミサイズで少し小さめになっているけど、その分充実したページ数とさらにおまけとかなりお得な感じ。
これがお得に思える自分が既に怖い気もするけどね。そんな理性は無視して買う価値がメビウスと並ぶBDの巨匠の作品にはある。

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[投稿:2011-11-11 00:36:11] [修正:2011-11-11 00:39:07] [このレビューのURL]

帯に書かれている通り、DKRのフランク・ミラーが贈る“男泣き必須の伝説的名作”。

泣く、と言っても色々ある。人が死んだ時、別れる時、夢が叶った時、などなど色んな場面で人は泣く。
このデアデビル:ボーンアゲインは男泣き必須の名作と言われる。それは大人の男の生き様に涙するということだ。これってかなり凄いことじゃないか?

デアデビルはマーヴル社のヒーローの一人、放射能によって視力を失った代わりに触覚や嗅覚などの超人的感覚を得たその名の通り恐れを知らない男。デアデビルの素顔はニューヨークのヘルズキッチンに住む弁護士、マッド・マードックだ。
しかしかつての恋人カレンが薬物欲しさにデアデビルが誰なのかを明かしてしまう。デアデビルの正体がマードックだと知った宿敵キングピンはマードックから仕事を、金を、友人を、そして終にはデアデビルを、精神の平衡すら奪ってしまい…。

ボーンアゲインは再生、復活を意味する。そう、ボーンアゲインはデアデビルの失墜と再生を描いた物語。
これを読めばヒーローが何故コスチュームを着て、顔を隠すのかが嫌でも分かる。ヒーロー自身は、デアデビルは恐れを知らない男かもしれない。でもマッド・マードックはそうではない。彼には彼の生活があり、大事な人がいるのだから。そしてデアデビルはマードックありきのものだ。
キングピンはマードックから全てを奪う。本当に全てを。しかし完全に折れ、絶望してもなお彼は…。

何故ここまで熱くなれるのか。それはデアデビルではなくマードック、そして新聞記者のユーリックやカレンも共にどん底から這い上がる物語であるからだ。ヒーローが立ち上がるんじゃない、マードックや彼らが力を振り絞って立ち上がる。ただの人間だからこそ、ぶちのめされてぶちのめされて、絶望の果てにもう一度…という姿に勇気をもらえる。
そう、恥ずかしげもなく言うと勇気をもらえるのよ。かつて少年漫画を読んでいた時のように。でもこれは“大人”が読んで勇気をもらえる物語。男の物語。

最後の方は様相が変わって、デアデビル復活直後の話になるわけだけど、こちらは焦点がぼやけ気味でちょっと残念だったりする。ダークナイト・リターンズのように個人の正義は国家の正義と衝突するという話ならば、最終的に戦うのはキャップになる気がするんだけど…。
ただ悪い話というわけではなくて、普通に楽しめはする。再生までの話で十分お釣りが来るので無問題。

今の所邦訳されたデアデビルの話はこれと、マーヴルクロス収録のラブ・アンド・ウォーのみ。こちらもミラー担当の(アートはマツケリーではないけど)傑作なのでまた別に紹介したい。ちなみにデアデビル入門にはボーンアゲインの方が分かりやすいのでおすすめです。
エレクトラも含めてミラーのデアデビル関連はぜひ邦訳を進めて欲しいな。

結局気に入るかどうかはストーリー云々じゃなくて、フランク・ミラーの男の美学が肌に合うかどうかだろう。ただこの人はハードボイルドを書かせると随一な方なので、好きな人には間違いない。
熱くなりたい、勇気をもらいたい大人の男は今すぐ読もう。男泣きしたい人には言うまでもない。熱く涙するという稀な、そして最高に気持ちの良い体験が出来るはず。

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[投稿:2011-11-08 20:18:48] [修正:2011-11-09 00:06:06] [このレビューのURL]

本場ゾンビコミックの傑作。
翻訳者のツイッターによると2巻がどうやら決定した模様。やったぜ!

冒頭でゾンビコミックの傑作と書いたが、よくよく考えると恐らくこの作品とアイ・アム・ヒーローくらいしか漫画でゾンビものを読んだことがない。ACONYみたいな変化球は除いて。
そもそも私はゾンビ系のジャンル自体あまりおもしろいと感じるものがなくて、唯一の例外がアイ・アム・レジェンドだった。もちろん映画ではなく小説の方だけど。
そしてアイ・アム・レジェンドとはまた違ったベクトルでゾンビものの私的金字塔となりそうな作品が、このウォーキング・デッド!

主人公のリックは警察官。ある日脱獄囚との銃撃戦でリックは撃たれ、意識は断ち切れた。病院で目覚めたリックは異変に気付く。周りに人が見当たらないのだ。誰かいないかと探していると、ゾンビと化した死体に出くわし、世界が永遠に変わってしまったことに気付かされる。
家族と何とか合流できたリックであったが、もはや政府や通信網は機能していない。緩慢な動きではあるがゾンビに噛まれるとその者もまたゾンビとなってしまう恐怖に脅え、人が増えるごとに人間関係は煩雑になる。国も希望もない中で、人間はどのように生きていくのか…。

スタンダードなゾンビ映画の面白みって何だろう。門外漢の私はあまり分からないが、それがホラー的なものであるならばウォーキング・デッドとは異質と言える。この作品においてゾンビはもちろん大量に登場するし、どこから現れるか分からない彼らは確かに恐ろしい。でも肝はそこではない。
ウォーキング・デッドの良さというのは良質なヒューマンドラマに通ずるものがあるように思う。それは人間を描くのが、そして何より人間関係を描くのが上手ということだ。

法や国という縛りはなくなり、人間の多くが死に絶えた世界。こんな世界でも彼らは食べなければいけないし、子育てもしなければいけない。日々の生活を営む中で人とのつながりはなくならない。
そんな極限状態にある人間達をカークマンはたまらないほど巧みに描く。人は死に、時に狂う。かつてのしがらみが消えてしまったからこそ、人の素顔はさらけ出される。
すっごく刺激的。あくまで読み物とはいえリック達には失礼かもしれない。でも本当におもしろい。

1巻において彼らはコロニーを作り、少しずつ人を増やしながら安息の地を探す。何が正しいのか?、どうすればいい?、こんな絶望的な世の中でリックはそれでも尚全力で知恵を尽くし、行動する。もはや正しい道なんてないのかもしれない。それでも生き延びたいなら戦うしかないのだ。
しかし乗り切っても乗り切っても問題はなくならないんじゃないか?と思う方もご安心、これは終わらないゾンビ映画なのだから。著者はゾンビ映画の弱点はエンディングにあると言う、その後に何が起こるのか知りたいと。だからこそこのウォーキング・デッドはリックの一生を描く年代記になるらしい。成功すれば最高の試みだろう。

現在ウォーキング・デッドはアメリカで14章が刊行されており、この日本版ウォーキング・デッド1巻には3章分がまとめて収録されている。インタビューによると90号まで書かれているが、200号までの構想はあるということ。長いよ笑。とはいえ終わらないゾンビ映画、カークマン流終末の叙事詩なのだから仕方ない。でもこの質が保たれるならばこんなに嬉しいことはないし、さらに上だってあるかもしれない。
あんまり長くなると、邦訳で全て見れるか不安になるのは事実なのだけど、こんなに刺激的で濃密なコミックというのはゾンビに限らずなかなかあるものじゃない。一度読むと目が離せない緊張感、そして数少ない緩和にほっと一息ついてもすぐにそれは破られる。たまらない。

来年の2月からは日本でもドラマのレンタルが開始され、恐らく春にはコミックの2巻が発売される。
ウォーキング・デッドの(ミニ)旋風が巻き起こってますよ! たくさんの人が読めば最後まで邦訳も続く、これは確か。この値段でこの質と量ならかなりのお買い得です。ぜひぜひおすすめ。

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[投稿:2011-11-06 01:49:02] [修正:2011-11-08 00:47:05] [このレビューのURL]

7点 ZERO

リングでしか生きられない男。その生き様。

“狂気”という言葉は最近日本の漫画市場において薄っぺらく大量生産されている。そんな中、異彩を放つ作品の一つが松本大洋のZERO。狂気とは何ぞや?変なことをすれば狂っているのか?、作者独自の思索の探求が感じられるものって良いよね。

ボクシングミドル級の世界チャンピオン、五島は長年無敗で王座を守り続けてきたボクサー。しかしあまりに圧倒的な彼のファイトはそれゆえに見るものの関心を奪っていった。
年を取り、引退も視野に入ってきた五島はトラヴィスという南米の若き新鋭に興味を持つ。トラヴィスの中にかつての自分を見たのだろうか? 今五島とトラヴィスの死闘が始まる。

ZEROは現在刊行されている松本大洋作品の中では一番古い。なので絵柄はまだまだ洗練されてはいないにしろ、今に至る原型がほぼ完成されているのには驚くしかない。それにしても迫力あるわぁ。

五島=ボクシング。彼にはボクシングしかない。勝つことが彼の存在意義で、それは嬉しいことでもなくただただ当たり前のこと。酒も女も、友達さえも何もない男、それが真島。
そんな真島が負けを覚悟するほどの対戦相手トラヴィス、彼もまた底知れぬものを持っていた。
しかしそんなトラヴィスでさえも霞んで見えるほどの狂気に戦慄する。圧倒的なボクシングの臨場感。トラヴィスだからこそ引き出せた真島の底。

天才、これ以上ない天才に哀れみを覚え、静かに静かに物語の幕は閉じる。真島の言う花の例え、そんな花は美しくはないかもしれないけれどただただ悲しい。
独りで、永遠で、だからこそZERO。寂しいほどに完璧。

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[投稿:2011-11-07 01:18:03] [修正:2011-11-08 00:46:27] [このレビューのURL]

もはや足の踏み場のないほど荒らされちゃったんじゃないかと思っていた織田信長というキャラクター、まだまだ色んな見せ方があるもんだと驚いた。やはり作者の腕次第ということで、いい仕事してます。

現代から戦国時代へ高校生がタイムスリップして信長になるというありがちなお話なのだけど、何だろうな、もはやタイムパラドックスお構いなしな感じが開き直ってて潔い。資料とつき合わせて矛盾なく作者オリジナルの史実を作るのでも一つの平行世界とするのでもなく、おもしろければいいさとかなりアバウトな姿勢に思える。
それでいて歴史にはすごく精通しているみたいで不思議だなと。歴史の解釈は独自にかなり吟味されているようなのに、タイムパラドックスにはほとんど配慮されてないのよ。というかタイムスリップさせる絶対的理由も今のところ感じられなくて、やはり本能寺の変まで待たされるのかね。

基本的に史実どおりに物語は進む。高校日本史までの知識しかないからあまり自信はないが、多分。
だから先はある程度読める。でも読めることが全く話の興味を削いでいなくて、というのも結果ではなくて過程が気になるのだ。信長自身はもちろん、臣下の人物造形もかなり目新しいものばかりで今まで考えていたのとかなり異なった道のりを辿って同じ所に行き着くのがおもしろい。特に猿は秀逸。

それにしてもこの人のテンポの良さは異常。信長が入れ替わる所なんて本当に一瞬。戦闘描写も最低限切り詰められていて、いや確かにこの漫画の見せたいものはそこではなくて必要かそうでないかというと多分要らないのは分かる。でもここまで徹底できるのも一つの才能。
ただあまりにさくさく進むので、年月の経過が実感しにくかったりもする。これには恐らく作者の絵もついていけてなくて、家康なんかはともかくとして信長はほぼ顔が変わってないわけで。

絵は独特の泥臭さがよく戦国時代とマッチしている。女性的であるようなそうでないような、微妙さがおもしろい。洗練された小山ゆう、というと少し違うか。

今の所烈火のような感情は見せず、常に飄々としている信長さん、今後どのような道のりを進めば比叡山を焼いたり、何より本能寺の変が起こったりするのだろうか。
どういう結末を迎えるかすごく気になる。とりあえず夢オチだけは勘弁してよということで、まったりと興味深く読ませていただきます。

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[投稿:2011-11-08 00:00:47] [修正:2011-11-08 00:00:47] [このレビューのURL]

前作「虫と歌」で見せた才能はちょっとした衝撃だった。本物かどうか、試金石となる現在進行形の奇才の2作目。

この市川春子の2作目ではっきりしたことは幾つかあって、とりあえず言えることは彼女の才能が本物だったということ。「虫と歌」はまぐれではなかった。
そりゃそうだろ、と仰る方もいるかもしれない。でも2作目以降ガタっと作品の質が落ちる作家は少なくないし、1作目が良かったからこそ2作目への期待はもちろんだけど同じくらいの不安もあった。
もう分かっただろう、25時のバカンスを読むとそんな不安は粉々に消えてなくなった。表現はより洗練され、物語は深化している。

25時のバカンス 市川春子作品集(2)には表題作25時のバカンスを含む3話が収められている。
前作と変わらず人と人以外のものとの交流が叙情性豊かに語られる物語となっている。そういう意味で市川春子の描きたいものは以前と変わらず一貫している。

しかし明らかな変化も見受けられる。
虫と歌の記事で私はこう書いた。少しずつねじれていて、変質的で、痛すぎる、と。でも“痛さ”は25時のバカンスで“無機質な美しさ”に昇華される。
表題作「25時のバカンス」を見て欲しい。貝殻人間の体の中に手を差し入れる場面の何とエロティックなことか。「月の葬式」だってたまらない。月に生きた最後の男を蝕む奇病はその孤独と寂しさを哀しいほどに美しく表現する。「パンドラにて」だけはちょっと味わいが異なっていてそれも良い。宇宙空間での言葉にならない侵食はウイルスが染色体を注入するイメージからきているのだろうか。

もう一つ自分の中ではっきりしたことは高野文子と市川春子の違い。
市川春子はよく高野文子のフォロワーとされる。もちろん彼女の影響は顕著なのだけど、それは絵柄や表現技法など作画方面に偏っているように思われる。
高野文子がテーマありきで話を作るのに対して、市川春子はあくまで彼女の世界観に沿った話を作ることに力を傾倒する。SF的なガジェットだってあくまで世界観を装飾するための道具だ。その意味で市川春子の物語というのは以前紹介したポリス・ヴィアンと岡崎京子のうたかたの日々に近い。

25時のバカンスを読み解こうとするのは人ならざるものと交流することに似ているかもしれない。違うものを理解しようとする時に人間の美しさは垣間見える。
理系的な知識に裏付けられた物語はさらに美しさを増して、私達に豊潤な漫画体験をもたらす。類型化されていないこのような作品を切り捨てるのは簡単だけど、それゆえに私は2つとないものとして貴重に思うのだ。そして多分そんな人は少なくない。

[追記]
ダ・ヴィンチの11月号に市川春子のインタビューが載っていた。
彼女によると、“賢い人”は社会にその頭脳を還元出来る人で、“頭のいい人”は自分のために使ってしまう不器用な人らしい。今作「25時のバカンス」ではそんな頭のいい人達が愛するもののために奮闘するのが一つのテーマだったということ。

すごく納得した。それで「虫と歌」より読みやすくなっているんだなと。天才でも“頭のいい人”だからこそコメディ要素や憎めない部分が輝いて、人間らしい美しい心が際立つ。

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[投稿:2011-10-26 00:21:52] [修正:2011-11-05 01:45:54] [このレビューのURL]

くらもちふさこが描く教師と教え子の恋愛もの。

最近少女漫画もそこそこ読むようになったとはいえ、この手のまっとう恋愛ものを読む気にはなかなかなれない。好きな作家であるくらもちふさこだからこそ手にとってみた。
今のくらもちふさこからは想像できないくらい甘ったるい設定、物語。教師と教え子のラブストーリーなんてそりゃそうなるわけだけど。

天コケ以降のくらもち作品の特徴である重層的な構成の妙は特に見られなくて、本当に王道な作品に仕上がっている。そして私は漫画に限らず、そんな王道恋愛ものは途中で読むのをやめてしまうことが多い。気恥ずかしくて耐えられないのだ。でもこの海の天辺に関してはどうにかこうにか楽しんで読むことが出来た。

それはやはりくらもち作品のリアリティ。
何の気もなしにたちの悪いことを仕出かすやつがいたり、授業やクラスの雰囲気だったり、ちょっと他の漫画とは違う現実味のある空気が流れている。結局私が見れない恋愛ものというのはファンタジー的な感じが駄目だったのかなとは海の天辺を見て思ったこと。
先生と教え子の恋愛もの、まるでフィクションのような設定にリアリティを与えるのはくらもちふさこの手腕だろう。ありきたり、ではなくそういうドラマなのだ。
しかし現実味という点で、教師達の駄目さが本当にいそうで困った。まともなのは山崎先生くらいかな?と思ったが人間的にはともかく、教師としては山崎先生もどうなんだろうね。

人魚姫がモチーフとされていることからも分かるように初恋をひたすら追い続ける少女の物語となっている。
正直王子さま役であろう先生をあまり好きになれず。だってねぇ、作中でも再三言われるけどさ、どう考えても軽い女たらしだもん。気遣いなりから気持ちは分かるけれども、男目線だと遠藤君の方が…。

そんなこんなわくわくしながら何だかんだと楽しんだ。起承転結がお上手。最後の展開に驚かされ、何より締めがすごく巧い。
これでいいのか?との疑問がラストの台詞で氷解してすっきりと読み終えた。この疑問はくらもちふさこの疑問でもあったのかもしれない。

これが純粋に甘ったるい最後のくらもち作品かな。そういう意味では海の天辺が読者の一つの転換点ともなりうる。
ただ作中のリアリティだったり、キョーチの存在あたりは後の作品につながりを感じるので興味深い部分も多かった。

わりかし王道な恋愛ものが苦手な人でも試しに読んでみると新たな発見があるかも。意外にいけるもんだね、と思ったり。

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[投稿:2011-11-04 22:51:27] [修正:2011-11-04 22:55:58] [このレビューのURL]

アダムス・ファミリーという名前は大体の人は聞き覚えがあると思う。そもそもこの作品が著名になったのは映画やドラマの影響が大きいみたい。私は世代的にどちらも見ていないからやはり名前くらいしか知らなかった。
じゃあ何で買ったの?と思うかもしれない。実を言うと「ファン・ホーム ~ある家族の悲喜劇~」を読んでいて、アダムス・ファミリーの話題が出てきたのだ。何となくおもしろそうな予感があった。

で、その少し後全集が刊行予定と聞いて購入を決めたわけ。
結論から言うと、すげぇ良かった。こんな家族いたらいいよねぇ。絶対隣人には欲しくないけど。

「考えてみたらすてきじゃありません? この子たちの幸せな子供時代のひとこまを、こうしていつまでも見られるなんて」

一家の母がこんな台詞を言う作品を例に挙げてみよう。
一見家族がみんなで映写機で子ども達の活躍を見ていると言う微笑ましい光景に思える。しかし映写機に写っているものを良く見ると、何と家に来た郵便やさんを子ども達が縄で転ばせようとしているではないか!
アダムス・ファミリーというのはこのような捻った毒のあるカートゥーン、一コマ漫画なのだ。

これ程ブラックな作品なのに、愛おしいのは何故か?
それはやはり本人達が大真面目だからだろう。毒があると言っても、嫌がらせや悪趣味な作品では決してないのだから。

「今不幸せかい?」「もちろんよ!」

という仲睦まじい夫妻の会話が示すように、彼ら一家は不幸せを尊び、異端を愛する。悪趣味でやっているのではなくて、彼らは好きで好きでしょうがなくてやっているのだ。
例え世間からは彼らが変に思えたとしても、彼らは世間を変に思っている。優等生名簿に載せられたといってウェンズデー(一家の長女)は泣き、先生から警告の手紙が来ると夫妻はパクズリー(一家の長男)を褒める。

そう、世間の価値観を抜きにすると彼らは理想の家族に思える。そして彼らの価値観と世間の価値観のずれがおもしろさを生む。にやにやしながら見てしまうのだけど、もう自分でも微笑ましくて笑っているのか毒にやられているのか分からない。

チャールズ・アダムスのアートも素晴らしい。ティム・バートンが影響を受けたの言うのも納得の美しさ。ゴシックで、毒があって、ホラーな世界。こんな所にアダムス・ファミリーは暮らしている。

いやー、本当に最高だよ?この全集。迷っている人はぜひ買うべき。詳細な解説も編集の方の愛だよなぁ。

にやにやしながら眺めて良し、チャールズ・アダムスのアートに見惚れるも良し。こんな個性的な面々の家族がいたらいいなぁと思いつつも関わりたくはないなと思うのだった。

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[投稿:2011-11-04 20:31:35] [修正:2011-11-04 20:31:35] [このレビューのURL]

8点 HELLSING

平野耕太のアメコミチックな吸血鬼漫画。

正直ストーリーはうすいと思う。設定は独創的だし多少謎めいた展開ではあるものの、凝った精密なストーリー展開も何かを伝えようとするメッセージ性も感じることは出来ない。
では何故ここまで評価されているかというと陰影を効果的に使ったアメコミのような絵と迫力のあるポーズとコマわり、そして何といっても格式高い大げさな台詞回しが本当にすごいから。
ブリーチのレビューを見たら分かるようにこのサイトの住人のような漫画好きは基本的に話の内容・メッセージ性を重視する人が多いと思う。そんな人たちすら惹かれてしまうほど平野耕太のセンスはずば抜けているのだ。多分ブリーチでもセリフと絵を平野耕太に任せれば最高におもしろくしてくれるんじゃないかな。

基本的に狂ったキャラクターばかり出てくるので感情移入をすることはできない。ただただ見入るのみ。
でもそれだからこそ、たまにあるアーカードの寂しげな顔・ベルナドットの最期・裏切ったウォルターの心理描写やお別れのシーンなどの王道ともいえる展開にはぐっとくる。

個人的には対アンデルセンがマックスだった。とはいえ最終回もらしさ全開でおもしろかったし、意外にうまく締めれてたと思う。
こういう偏った漫画は大好きです。

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[投稿:2007-11-22 00:13:07] [修正:2011-11-02 22:22:25] [このレビューのURL]