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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

 入水自殺しようとしていた田坂伝八郎は、ちょうどその場面に出くわした江戸の浮世絵師・国芳に命を救われる。国芳の弟子「伝八」として浮き世を生き直す彼であったが、その背後には暗い過去が潜んでいるようで…。

 正直期待してたのとは違った作風で、あんまり心底生きている江戸を感じられたわけではなくて…。やはり杉浦日向子やもりもと崇に比べると、どこか表層をなぞっている感じ。
 何といっても皆キャラが立ち具合がものすごいよなあ。国芳は最高に男気に満ち溢れているし、パトロンの梅の屋の旦那は憎いほど出来る男だし、売れっ子大夫は女郎とは思えないほどの風格で、弟子達は皆しがらみなんてないとばかりに浮き世を楽しんでいる。あんまりにも誰もが格好良すぎてぼんくらな私には少々眩しかった。とはいえとても面白い作品だったことは確かで。

 結局この漫画が試みていたのは、国芳の世界を漫画の中で表現することだったんだろう。その豪胆で奇想に満ちた浮世絵の一端であったり、国芳のあけっぴろげな精神性が感じられる物語であったり…。とにかく浮き世を楽しみ、生きたいように生きる彼ら。それはファンタジーなのかもしれないけれど、確かに私が国芳の絵から感じたものがあったように思う。これが国芳なのだ。
 火消しの場面の壮大さや綿密に描かれた刺青の男には国芳の浮世絵の迫力が垣間見えるし、国芳が巨大な鯨とちっぽけな二天様を描く場面なんて物語の重なり方も含めて本当にしびれた。また岡田屋鉄蔵の描く男女は色っぽいよねぇ。このからっとした色気はやはり本業のBLゆえなんだろうか。

 そんな国芳ワールドを存分に楽しんだのだけれど、やはりここで終わるのは惜しいよなあ。いや、物語としてはきっちりケリはついているしここで終わるべきなのかもしれない。でも1巻のみにも関わらず、この少なくはない登場人物達にここまでキャラを立たせちゃってるのは罪深いですよ岡田屋先生笑。それゆえに、何か妙な消化不良感に悩まされることは保証します。

 あと私はこの漫画を読む前に国芳関連の画集等を2冊ほど読んだのだけれども、いやぁこの人はすごいよ。無残とか、エログロとか、奇想とか、そんな現代のサブカルに片足突っ込んだ人たちにはたまらないものがあると思う。というか多分そんなぼんくらな私たちの祖先の一人が国芳御大。「ひらひら」とセットでおすすめ。

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[投稿:2012-11-15 00:38:55] [修正:2012-11-15 00:40:09] [このレビューのURL]

 恋人マリアに裏切られ、自殺しようとしていたチカ。しかし彼女はその際で妙な男レオナルドに出会い、彼の言葉を受けて誰もが見える場所で“死ぬために”女闘牛士になることを決意するのだった…。

 自殺願望を持った女性が死ぬために女闘牛士になるというとけっこうとんでもないけれど、要はチカ(スペイン語で女の子の意)が自分の名前・居場所を見つけていく物語だ。そういう意味では闘牛という題材は脇に置いておくけば、決して珍しくない普遍的なお話だと思う。

 しかしそんな物語よりも、えすとえむのハッタリの力に惚れ惚れとしてしまった。
 元々この人は現実味があってなおかつ格好良い外国・外国人を描ける、何気に稀有な作家のように思う。そういう意味では絵柄が似通っているオノナツメや多くの少女漫画のような現実味の感じられないひたすらお洒落な外国の生活を描くわけではないということで。でもえすとえむの描く海外の暮らしには生活観が溢れているにも関わらず、最高に素敵で格好良い。

 そんなえすとえむが描く「闘牛」のその迫力と存在感にはちょっと酔いしれてしまった。私は多くの世間一般の人と同じように、闘牛について特に詳しい知識はなくて、年に何回かテレビのニュースで流しているのを見る程度。正直に言うとあまり興味があるわけでもなく、牛を見世物で殺すのは残虐のように感じたりもする。
 しかしえすとえむのフィルターを通すと、それがこんな風に見えるのかというのは本当に鮮烈な体験だった。目の前にいるのは私たちがいつも食べている牛とは思えない。一種神とも言える風格を醸し出す存在。そんな神の前に立ち、彼らと一体になり、そして最後には刺し殺す。そんな強烈な一体感と忘我の瞬間をえすとえむは鮮烈に切り取ってしまう。

 何気に登場人物だって大したことを言ってるわけじゃなかったりするのだ。ほら、同じ台詞でも本田やイチローみたいな人が言うと重みが違うじゃない。でもえすとえむは気持ちよく私たちを騙くらかしてくれる。気持ちを冷まさないように物語を読ませてくれる。そんなえすとえむのハッタリの名手っぷりが本当に心地よい。

 えすとえむはやっぱりすごい! 本当にこの人の作風は幅が広くてまだまだ底が見えないよなあ。また短編集も出してくれると良いのだけれど。もちろんおすすめ。

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[投稿:2012-11-06 23:27:49] [修正:2012-11-06 23:27:49] [このレビューのURL]

 去年「竜の学校は山の上」で話題になった九井諒子の新作。

 相も変わらず熱心に独自の世界を構築していこうとしている姿勢は変わっていなくて。とにかく愚直なまでに独自の世界を描き、その世界でしか物語れないものを紡ごうとしている印象。そしてファンタジーといえども、嫌味ならない程度に現実を想起させる世界と人々。
 ただ日常とファンタジーが入り混じった独自の世界観が作りこまれているからこそ、その世界と物語との間にギャップが生じた時にその隔たりは巨大なものになってしまうように思う。例えば今作であれば第一話「竜の小塔」は、世界が練りこまれているからこそ結末の安易さが気になってしょうがなかった。

 ただそんな風に感じてしまった部分は前作よりもはるかに少なくて…。世界と物語のすり合わせ方が上手くなったのか、私の感じ方が変わったのかは分からないのだけれど、今作では圧倒的に心にすっと物語が入ってきた。
 「人魚禁猟区」は人と異なるものとの触れあいを描くことを得意とする九井諒子の真骨頂で、甘くも苦い異種遭遇譚。母親による狼少年育児エッセイが組み合わされた「狼は嘘をつかない」はくすりと笑える入れ子構造がうまくハマっていて日常とファンタジーが入り混じる面白みを存分に感じられたし、超能力家族パロディ「犬谷家の家族」はとことん可笑しいコメディながらも現実味を感じられるオチが九井諒子らしくて実に良かった。

 ところで九井諒子の「線」って何でこんなに色気がないんだろうなあと不思議に思っていたのだけれども、そうじゃないんだということにようやく今作を読んで気付いた。ここまで意識的に線をコントロールしようとしている人もいないかもしれない。絵柄だけではなく、一つの短編の中でも線を描き分けることで世界を描き分けようとしているというか。
 魅力的な線を描ける人は絵に余白が多くても全く気にならないのだけれど、そうでないからこそ自分は描き込んでいるんだなんてことを語っていたのは確かわらいなくだったと思う。九井諒子の矜持は多彩な線が描けるということなんだろう。「わたしのかみさま」ではあえて無味乾燥なタッチでユーモアたっぷりに“かみさま”を描いているし、何より「金なし百祿」は絵師と筆で命を吹き込まれた絵たちが織り成す涙ほろりの物語はそんな九井諒子しか描けない傑作だった。

 ということで、前作よりもはるかに九井諒子の魅力が伝わりやすい作品集になっていると思う。前作を読んでもあんまりぴんと来なかった私のような人にもおすすめ。今読めば「竜の学校は山の上」もまた違った風に感じられるかもしれないなあ。

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[投稿:2012-10-21 17:35:11] [修正:2012-10-21 17:41:10] [このレビューのURL]

 4巻で完結してしまいましたねぇ。前にレビューした時にはけっこう批判的なことを適当に書き散らしたような記憶があるので、完結によせてちょっと整理した上でもう一回書き直しておきたいなと。

 「星を継ぐもの」というタイトルさえついてはいるものの、実際に星野之宣がやっているのはJ・P・ホーガンの星を継ぐものを含む3部作を再構成したコミカライズ。ちょっと間が空いて発表された3部作の続編である「内なる宇宙」は含まれていないと思う(これは読んでないので自信はない)。

 古いSFというのもあってかこのシリーズには矛盾点や少々科学的考証がおかしい部分が多々あるのだけど、そういう所を星野之宣は上手く再構成してさらに物語の流れをスムーズに追いやすくしてくれている。ここはさすがベテランの腕の見せ所ということで、ちょっと驚くくらいに読みやすい。
 ただスムーズに流れが追えると言うのは原作の楽しさと矛盾する点でもあるわけで。特に「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」で最高にわくわくさせてもらった私としてはちょっと残念な気がするんだよなあ…。要はこの2作におけるチャーリーの謎、そして人類の起源を解き明かしていくミステリーのおもしろさというのは実際に自分がディスカッションに参加しているようなわくわく感なのだ。こうでもないああでもないと言いながら議論しあうからこそ、議論が紛糾した場面でここぞとばかりにハントが発想を飛躍させる場面は最高に痛快だし、ダンチェッカーがシニカルに論理を進めていく姿は奥深い。またガニメアンのデザインは秀逸なのだけれども、ガニメアンとの交流の場面が大部分端折られているために、“善き人々”である彼らの姿が少々薄っぺらく感じてしまうなんてこともあった。物語がスムーズに追えるというのは一方で、原作が持つセンス・オブ・ワンダーを損ねてしまっている。

 かといって主に4巻部分における「巨人たちの星」パートだってけっこう扱いはおざなりだよなあ…。この巻は論理を深めていく物語であった前二作と打って変わってハントのロマンスだったりスパイアクションまであったりして、また違ったおもしろさのある作品なのだけれども。このコミカライズにおいて、星野之宣はここらのパートはどうでも良いよとばかりにすっ飛ばしていくので、その分と物語としては駆け足かつ薄味さが際立っていたように思う。

 また身も蓋もないことを言ってしまうと、あんまりホーガンの作品を映像化する意義を感じないんだよね。ホーガンSFのセンス・オブ・ワンダーはあくまで物語に感じるもので、読み取れる世界観自体はかなり無機質なものだから。そういう意味では星野之宣とホーガンは似ているとは思うのだけれども、似ているからこそ星を継ぐものの世界は私の想像を超えるものではなかった。
 例えばヴァンスやオールディスみたいな、色彩豊かに異世界を描き出すSFこそを漫画で読んでみたいな。貴志祐介の新世界よりの漫画化が期待はずれだっただけに(アニメは1話だけ見たけど中々良さそう)、市川春子あたりがこの手のSFを漫画化してくれないかななんて妄想しているのだけれどどうだろう。

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[投稿:2011-11-19 23:44:07] [修正:2012-10-14 17:11:19] [このレビューのURL]

 DCユニバースを再起動したクロスオーバーイベント、フラッシュポイントの関連タイトル。フラッシュポイント世界でのそれぞれのキャラクターに焦点を当てて、彼らに何が起きていたのかを描いている。この作品集に収められているのはその中でもバットマン、スーパーマン、アクアマンの3編。
 それにしても邦訳でこの手のタイインが刊行されるというのは珍しいよね。バットマンありきなのは否めないけれども。フラッシュポイントを楽しんだ人ならばこちらを読んで後悔はしないはず。誰もが思うだろうネタバレについては解説であれだけ気を使っていたのに、なぜこうなった…。

 「バットマン:ナイト・オブ・ベンジャンス」
 あの夜、凶弾に倒れたのはブルースだった。トーマス・ウェインがバットマンとなったFP世界ではバットマンの目はらんらんと赤く輝き、悪を止めるためには殺人も辞さない。そんないつもとは異なるバットマンの物語においても、やはりジョーカーの凶行は止まらないようで…。
 クロスオーバータイトルというより、IFものとして傑作。バットマンがブルースではないのにも関わらず、この世界のキャラクターの関係性のハマり方が尋常じゃない。こう来るかという驚きに留まってないんだよなぁ。トーマスがバットマンで、そして○○が○○なのによ、この世界がこれで完璧に調和しちゃってるという驚き。切れ味鋭い諧謔の感じられるオチも見事で、FPのラストとは真逆の意味で涙腺を持ってかれることになった。

 「プロジェクト・スーパーマン」
 もしスーパーマンの乗っていた宇宙船が軍の研究所に回収されていたら…。研究所に幽閉される異星人と地球人の2人のスーパーマンの物語。ライターはリランチ後のライジングスターであるスコット・スナイダーで、ペンシラーは「トップ10」のジーン・ハ。スコット・スナイダーに関してはNEW52のスワンプシングとバットマンがそれぞれ素晴らしかったのでそちらで詳しく書こうと思う。
 このIF自体はかなり興味がそそられる設定だと思うのだけれども。うーん、ちょっと二人のスーパーマンのドラゴンボールよろしくな超人バトルに終わっちゃってる感があって不完全燃焼。この世界のスーパーマンはケント夫妻に育てられていないわけで、もちろんクラーク・ケントという名前すらない。だからこそ研究所にずっと幽閉され続けていた彼が何故スーパーマン足りえるのかというのを読みたかった。そして何故サブジェクト0がスーパーマン足りえないのかというのが読みたかった。ラストのあれでというのはちょっと理由が弱くないかい。

 「エンペラー・アクアマン」
 冷徹な海底の王となっていたこの世界におけるアクアマン。そんな彼の生い立ちそして、ワンダーウーマン率いるアマゾン族との抗争へ至った理由が語られていく。
 クロスオーバーの関連タイトルらしいといえば一番らしい。FP世界が戦争状態に至った経緯を知れるという意味では存在意義はあるだろうけれど、それ以上の価値は薄いよなぁ。そういやフラッシュポイント本編で弟君が健在だったのはただの間違いなのか、それともワンダーウーマンのタイトル等でさらに何かあったのかというのはちょっと気になる所。

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[投稿:2012-09-30 00:14:59] [修正:2012-09-30 00:23:15] [このレビューのURL]

 バットマン・アニメイテッドシリーズの傑作を二つ合本化したもの。バットマンに限らず日本ではあんまり紹介されている印象のないカートゥーンの魅力がたっぷりで、読んでいてとっても楽しい。ブルース・ティムの躍動感に溢れたアートはもちろん、「お約束」に守られた安心できる世界観は普段触れているバットマンのダークな色調とは全く違う。ほら、ドラえもんではのび太がいくら秘密道具を使って調子に乗っても最後はきっちり懲らしめられるでしょ。このシリーズではいくらジョーカーやトゥーフェイス等のヴィランが暴れまわっても、彼らの企みはバットマンによってきっちり防がれ、アーカムに送り込まれる。しかし何度アーカムに送り込まれようが、彼らは繰り返し脱獄し、バットマンと対峙するのだ。そんな箱庭的世界観は何とも言えない心地よさ。

 「マッドラブ」
 ジョーカーの愛人であり時に用心棒的な役割もこなすハーレイ・クインゼルのオリジン話。普通に考えたらけっこうひどい話だぜこれ。だってジョーカーに利用されるだけ利用されては何にも報いられずひどい扱いを受けて、それでもジョーカーを愛しちゃってるのがハーレイって女なのだ。まさにマッドなラブ。でもそんな女性は恐らく現実にもいるわけで…。そんな悲惨なハーレイを描ききった上で、とことん笑える活劇に仕上げてしまうのがポール・ディニの矜持なんだろう。すごいぞポール・ディニ!

 「ハーレイ&アイビー」
 ハーレイと植物を操るポイズン・アイビーのタッグを描いた快作。バットマン版「テルマ&ルイーズ」といった趣き。テルマ&ルイーズが男社会に抑圧されていた二人の女性が男共に反抗ののろしを上げる最高に爽快で、でも物悲しい映画だったように、ハーレイ&アイビーもとにかく好き放題暴れまわる。ジョーカーも、バットマンさえも歯牙にもかけない二人の冒険はすんばらしく気持ちよい。そしてハーレイとアイビーの友情にはほろっとね。この二人の間に男なんて入る余地はないのだ!

 で、この合本が気に入ったので読んでみたのが「Batman: Mad Love and Other Stories」。マッドラブに加えて9本の短編が収録されている。

 マッドラブほど抜きん出てはないものの、粒の揃った楽しめる短編が揃っている。ポール・ディニのフリークへの視線は悲しくも優しい。心が少しだけ狂ってしまった彼らは、否応なしにそういう風にしか生きられず、周りに理解されることもない。そんな切ないフリーク達を描き出すポール・ディニの目線は、ティム・バートンのそれと似通っている。せっかくアーカムを出所したのにも関わらず悪い女に利用されてしまう腹話術師や、男を拷問していたスケアクロウの哀れな人助けをバットマンが語る話なんて涙腺が…。特に整形によって傷のない顔に戻って出所したトゥーフェイスの恋愛とその悲劇的な顛末を描いた掌編は涙がちょちょぎれる。
 もちろんバットマンとヴィランたちが立ち回る活劇たっぷりなお話だって魅力的。ロキシーやバットガール、クレイフェイス、エトリガンなどあまり邦訳だけでは馴染みの薄いキャラクターたちが活躍するだけでも目新しくてとっても楽しい。バットガールがデパートの試着室であわててコスチュームに着替える場面なんて可愛いよね笑。

 英語はかなり簡単な部類だと思うので、合本の方を気に入った方はこちらもおすすめ。あんまり邦訳の売り上げよろしくないそうなのは本当に意外だよなぁ…。こんなに愉快なコミックは中々ないよ!

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[投稿:2012-09-26 21:35:20] [修正:2012-09-26 21:35:20] [このレビューのURL]

 人生における節目・冠婚葬祭を描いた作品集。えすとえむといえば、ケンタウロスだったりうどんの女だったりと奇抜な設定が目立つ作家だと思うのだけれども、この作品集は比較的地味というか地に足のついた短編が揃っている。でも話の魅力はやっぱりいつものえすとえむ。

 冠婚葬祭といって普通想像するような物語とは一風違う。圧倒的にドラマチックではないしすごく話が盛り上がるわけでもない。ただドラマチックではないというのは、要は話に、そして登場人物に血が通っているからってことで…。結婚するからといって、幸せな気持ちだけに浸っているわけじゃない。人が死にそうな時に後悔が残らないわけもない。儀式の前と後では決定的に何かが変わってしまう通過儀礼の瞬間、だからこそ単純な気持ちではいられない瞬間、だからこそ普段は表に出ない感情が噴出する瞬間をえすとえむは鮮やかに切り取ってみせる。

 この作品集の短編がどれも自分に身近な話かというとそんなことはない。それでも物語が自分の身の回りの世界の延長線上にあるってことは強く感じてしまう。
 何というか、絶妙に間が抜けているんだよなぁ笑。結婚式で新郎が新婦に言う笑ってしまうような台詞だったり、何気ない顔でお見合いしている裏でしょうもない思考をしていたり、姉の告白に泣いてしまった妹の目がメイクが崩れて真っ黒になってしまったり、あの世に行くのに持たせるお金にパチンコの玉を書いてみたり、そこはかとなく滑稽で苦笑いしたくなる場面。でも自分の人生だって思い返せばそんな場面の連続だもの。キメたい所でキマりきらない情けなさはそういうもんだよなぁと苦笑いしながらも、だからこそえすとえむの漫画は温かい。

「草食。っていうか草?」
「性格よければいいって、顔がよければもっといい」
「このままじゃ室料もったいないから、何か歌いなさい」(悲惨な空気で終了した家族会議の後の父親の言葉)

 もちろんえすとえむらしいどことなくずれた台詞回し、表情と話のテンポもおもしろい。本当にアホらしいのだけれど、ずれてるのだけれど、やっぱりそういうものなのだ。ずれている人々はずれているからこそ、自分とどこかでつながっていて、ずれているからこそどこにでもありそうな物語が輝いて見える。ドラマチックじゃない普通の人生を際立たせてくれる。そんなちょっと読んでいると勇気が出るような短編集。やっぱりえすとえむは素敵な漫画を描く人ですよ。

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[投稿:2012-09-23 01:10:37] [修正:2012-09-23 01:10:37] [このレビューのURL]

 結婚式・葬式等の人生における節目を描く6編の短編集。

 書店員さんのツイッターで話題沸騰ということなのだけれども、それは何となく分かる気もする。そのくらい新人とは思えないほど漫画の描き方ががこなれている。見やすくも精緻な絵、洗練された構図とコマ割り、台詞なしに心情を浮かび上がらせる表情と間…物語自体は落ち着いていても漫画を読みなれている人ほどおっ!と思っちゃうようなセンスむんむんな雰囲気。もはや「新人」という枕詞が鼻につくくらい上手い。

 人生の節目を描いた漫画というと、えすとえむの「このたびは」を思い出す。ただ「このたびは」がそうであったように、この作品が私達の人生の一瞬を切り取っているかというと、それにしてはちょっとドラマチックにすぎるよな笑。こんなシチュエーションにしろ超常現象にしろ中々普通の人生では起こりえそうもないもの。そういう意味で、別にこの作品集の舞台が人生の節目である必要性は薄いように思ったりもする。
 じゃあこの作品の肝は何かというと、全編通してとにかく独特の視点がおもしろかった。どの短編にしろ、読み始めの内は登場人物の関係性や思いがぼかされたまま話が進むので、こちらとしてはわりともやもやした気分なのだけれども…。そんなもやもやがやがて鮮烈に解きほぐされる瞬間が訪れる。物語の景色がすっと開けて、登場人物たちの思いが一気にこちらにのしかかって来る。そんな一瞬に込められた熱量は半端じゃない。そして余韻までじっくり味あわせてくれるあたりこの作者は本当に隙がない。

 なんて書いたらすごく絶賛みたいになったけど、個人的にめちゃくちゃハマりきれたかというとそうでもなくて…。というか少なくとも巷で言われているほど涙腺は刺激されなかった。自分が何かしらの作品で泣く時は、大まかに分けると登場人物に共感して泣くか、作品から自分の思い出を喚起されて泣くかのどちらかだと思う。この作品において、登場人物に共感するには状況があまりに特殊すぎたし、自分の思い出からは遠すぎた。スーパーナチュラルな現象は置いておいても、自分には初恋をウン十年も引っ張り続ける気持ちは今ひとつぴんと来ないなぁと。

 あんまりエッジの効いた作風ではないのだけれど、この一瞬に込められた思いの熱量というのは読んでみる価値はあるように思う。熱量ぐわぁって感じではなくて、限られた熱をテクニックで最大限効率的にレーザービームみたいに圧縮してる印象。長編になったらどんな漫画を描くんだろうというのも少し楽しみ。

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[投稿:2012-09-23 01:09:42] [修正:2012-09-23 01:09:42] [このレビューのURL]

 ロリータ・ハードボイルドを謳うこの漫画、ちょっと購入を迷っていはいたもののこれが中々に幾原邦彦×中村明日美子のセンス大爆発の楽しい漫画でした。いやでもこれハードボイルドなのか?笑

 簡単にあらすじを説明すると、何やら逃亡中・カケオチ中のカップル、イタルとヒツジが結婚式を挙げようと通りがかった教会を訪れると変態神父に気絶させられ、さらには「燃えるキリン」の追っ手にヒツジが連れ去られてしまう。イタルはちょうど教会で告解中だったまろにえとみゆたんと共に脱出、ヒツジを救出する冒険の旅に出るのであった…みたいな。

 あらすじだけ説明しても何が何やら分からない。というか実際3巻まで読んできてもろくに何が何やら分かってないのよ。私はアニメに疎いので幾原邦彦という方はあまり知らないのだけれど、癖のある脚本を書くのはよく分かった。
 何というか、スポットを当てる所が普通の作品と圧倒的に違う。ここは力入れて物語るだろうって所で徹底的にぼやかす。世界が解き明かされそうな所で余裕のスルー。普通の作品が8割本筋2割遊びだとしたら、全くその逆を行っちゃってるとしか言いようがない。

 でもこれがけっこう楽しいんだよなぁ。物語が物語られず想像の斜め上に脱線していく感覚というか、もう何かわりとシリアスな話なのにも関わらず本筋どうでもいいというか、時に話が進んだらラッキーみたいな。何たってイタルがまろにえとみゆたんと共に、教会から脱出した後に向かうのはライブハウスなのだ。まろにえとみゆたんは「ハイデガー、ハイデガー」と白熱のライブを始め、それが何故かとっても楽しい。

 そういう癖のある脚本と台詞回しが幾原邦彦の素材だとすれば、やっぱりそれを食べやすく調理してくれているのは中村明日美子。大胆な画面構成と白と黒のゴシックロリータな格好良さはさすがだなぁと見惚れるばかり。この人かなり作品によって絵柄を使い分ける人だけれど、今作みたいなデフォルトを大胆に効かした絵まで描けるあたり本当に絵が達者だよなぁと思う。

 というわけでかなり癖のある作品ではあるのだけれど、原作作画どちらかのファンであれば楽しく読めると思う。絵も話も横道に一級品な素敵な漫画。

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[投稿:2012-09-17 16:36:25] [修正:2012-09-17 16:36:25] [このレビューのURL]

 小プロの最近人気の2000円シリーズ。正史ではなくパラレルワールドのスーパーマンのお話。いわゆるDCのエルスものというやつ。

 スーパーマンといえばアメリカのザ・ヒーロー的存在。とはいえあんまりにもテンプレートなイメージのあるヒーロー像が今一受けが悪いのか、日本では圧倒的にバットマン人気だよなぁ。まあアメリカでも最近はバットマンどころかグリーンランタンにさえ売り上げでは上を行かれているみたいだけれど。私もDCスーパーヒーローズ収録作とラストエピソード、スーパーマンの最期くらいしかスーパーマン関連の作品は読んだことがない。

 このスーパーマン:レッドサンにおいて、そんなスーパーマンの宇宙船はアメリカではなくソ連に落ちることに。ソ連で育った彼はスターリンの跡を引き継ぎ、共産圏の幸福の支配を世界に推し進めていく。スーパーマンに対抗するはアメリカを率いるルーサー、そしてソ連内のテロリスト・バットマンであった…。

 アメコミとしてはもちろん、SF・世界改変ものとして傑作。ソ連に落ちたスーパーマンというアイデアに留まらず、平和を愛するスーパーマンはスーパーマンゆえに独裁者となり、スーパーマンゆえの悲哀に直面する。決して明るい物語ではないのだけれど、そんなスーパーマンにはヒーローの魅力が溢れていた。
 そしてやはりとことん「個」の人間であるバットマンとはどこまでも相容れず、ルーサーは謎めいた存在ながらもさすがスーパーマンの宿敵たる存在感。さらにはワンダーウーマンやグリーンランタンまでもが登場し、本来とは立場・関係性を異とする彼らが破滅に向かって突き進んでいくストーリーからは目が離せない。

 しかしオチの鮮烈さはもちろん、この世界の円環構造にはちょっと唸らされてしまった。単純に上手いというだけではなくて、巻頭の言葉を借りるならマーク・ミラーの“灰色”なセンスがものすごい。理想的な共産主義的な管理社会を推し進めていくと、その先に待っているのはユートピアのようなディストピア!というありがちな結末、ひいてはいかにもアメリカ的な資本主義万歳な結末をマーク・ミラーはラストで全てひっくり返してしまう。スーパーマンとルーサーの対決が決して正義と悪の闘いではなかったように、とことんまで曖昧になる善悪の境界と幸福の定義。痺れるよこれは!

 値段も比較的手ごろで、アメコミの知識がなくても読める一冊。SFの中でも特に世界改変ものが好きな方なら外さないはず。ぜひぜひおすすめ。

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[投稿:2012-09-17 16:33:46] [修正:2012-09-17 16:34:59] [このレビューのURL]