「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

 ラブコメ無しの美少女ギャグ漫画、というと「あずまんが大王」などが連想されるが、本作はそれらの作品群とは対極にあるような作品。のっぺりとした間の取り方やズレたやりとりなどでは無く、考え抜かれた奇妙なシチュエーションの畳み掛けるような絨毯爆撃で読者を爆笑の渦に叩き込む。
 一応主人公の鬼丸美輝や、メイド服スタイルのライバル看板娘の神無月めぐみなど美少女キャラ主体のキャラ構成ではあるが、一般的な意味での萌え要素はあまり期待できず、エゲつないこと極まりない看板娘対決、それを更に囲い込むかのように配置された素敵だがどこかぶっ飛んだ町民達の喧騒に包まれた日常生活が描かれる。
 この漫画が良いと思えるのは、とにかく読者傾向を問わず楽しめる懐の広さ。戦隊ネタなどのマニアックなギャグもあるにはあるが、基本的にドタバタ騒ぎを基調としたギャグは読み手を問わず楽しめるものばかり。時々思い出したようにセリフ無しのサイレントギャグ話などが挿入される辺りからも、その地力の高さがうかがえる。ただ笑えるばかりでなく、時にはジーンとさせられるちょっといい話があるのも良い。
 砂場で転んだときに口に含んだ砂鉄の味を思い出すような、多くの人に読んでもらいたい漫画です。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2005-10-17 20:25:09] [修正:2005-10-17 20:25:09] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

 この2015年を回顧すると、漫画業界にとっての重大トピックといえば、やはり水木しげるの訃報であった。享年93歳。
 故人もつい先日までマクドナルドに通うほど壮健であった為、もう100まで生きてもだれも驚かないと思っていたところの突然のこの訃報。戦後漫画の地平を切り開いた巨星がまた一人、十万億土の彼方に旅立ってしまった。

 水木作品は、扱うテーマが怪奇に幻想、戦記、歴史や人物伝と、やや通好みに偏った面があり、テレビアニメなどでマイルドな味付けがなされた鬼太郎や悪魔くんに親しんだ人は多くとも、原作となった漫画作品が(手塚治虫や藤子不二男らと比べると)現在においてはそれほど広く読まれているとは言い難い。
 一方で近年では、悲惨な戦場を体験した戦争の語り部としてマスコミなどでもよく取り上げられ、朝ドラの「ゲゲゲの女房」のヒットなどから水木本人の波乱万丈の人生ドラマにも注目が高まり、そのユニークな人間的魅力も広く知られるようになっていき、気がつけばまさに国民的作家となっていた。

 今回紹介する『ゲゲゲの家計簿』は、「ゲゲゲの女房」ヒット以降の水木しげるブームを受けるような形で11年から12年(89歳から90歳!)にビッグコミックで連載された、人気作家となる以前の不遇時代の水木しげるを描いた自伝漫画である。タイトルに家計簿とあるように、偶然発見された当時の家計簿の収支報告が頻繁に引用され、貸本漫画家として水木が貧乏暮しに喘いでいた頃の回想記となっている。

 内容的には他の作品でも既に描かれ世に知られたエピソード(腐りかけのバナナの話など)も多いため年季の入った水木ファンには新鮮味に欠ける部分も少なくないと思われるが、筋運びに無理もなくテンポよく読めるので(自分も含めて)水木作品初心者にもかなり読みやすい。また、ブレイク以前の紙芝居作家?貸本漫画家時代の話がメインを占めるため、“妖怪”以外の水木の仕事ぶりを知る上でも興味深いエピソードは少なくない。(少女マンガも描いていた事は本作で初めて知った。)
 ガロ編集長の長井勝一や水木作品の定番モブキャラとなった“メガネ出っ歯のサラリーマン”のモデルの桜井昌一の登場する後半には、いよいよ漫画が表現として新たなステージに突入していかんとしていた時代の空気や高揚感が感じられるのも良い。トキワ荘系の戦後漫画史とは違う、一般に日の目を見ることの少なかった漫画界の裏面、貸本漫画の世界から見たもう一つの『まんが道』である。

 水木しげるは手塚治虫らとは違い、漫画家そのものへのあこがれが先立っていたというよりも、生活の為に漫画家となったという側面が強い。
 昭和26年、東京では手塚が『鉄腕アトム』などで華々しく活躍をしていた頃、水木は神戸でアパート経営の傍ら、画力を活かし紙芝居作家として生計を立てていた。しかしアパート経営はじきに行き詰まり、紙芝居の方も新興の娯楽メディアである漫画、そしてテレビに圧され、業界も終焉を迎えつつある。
 紙芝居の終焉を看取った水木は上京し、貸本漫画家として食うや食わずの毎日を送る事となる。『墓場鬼太郎』や『河童の三平』などは一部の子供には面白がられるも、不気味さの為に大ヒットには至らない。戦記物、武芸物、ギャグ、果ては少女漫画にまで手を出し糊口をしのぐ水木。
 原稿料の遅滞は日常茶飯事で、貸本漫画業界そのものも大手出版社による週刊漫画誌の攻勢に圧され、紙芝居と同じく終焉を迎えようとしている。そんな中、後にゲゲゲの女房と呼ばれる生涯の伴侶(水木いわく「ばかに顔の長い女」)との結婚、女房の妊娠……。

「ぼくは貸本マンガの終焉と「鬼太郎」を重ねて考えていた。」

 物語の9割がたはこんな調子で逆境の日々、常人ならどうにかなってしまうだろう。
 しかし、ならない。水木夫婦は金策に困り絶望的になる事はあれ、それでもどうにか乗り切って行く。決して説教くさい美談のように大上段から描かれているわけではない。それでも不思議と胸を打つ。

「ぼくには悲愴感などなく、生きることへの自信があった。それは“絶対的に生かされる”という楽天的な信念のようなものだった。フンッ!!」

 この水木特有の天衣無縫な楽天性(そして諦観)を、後に評論家の呉智英は「朗らかなニヒリズム」と評した。

 相変わらず多くの読者は得られず生活も苦しいものの、一方で水木作品は好事家の目に留まるようになり、「ガロ」への掲載を通じてインテリや学生らにも読者を増やしつつあった。水木の好んで描く異形や土俗、歴史や幻想といったモチーフが漫画の主要なテーマとなりえることが次第に認知され始めたのだ。

 そして終盤、“金霊”を見た事がきっかけとなったのか講談社から読切の依頼がもたらされ、週刊誌デビュー作『テレビくん』の好評により、遂に日の目を見る事となった水木。プロダクションの設立と共にますます多忙となり、金廻りもよくなった事で、家計簿をつける必要もなくなり物語は後腐れもなしにぷつりと終わる。

 このように水木しげるの初期のキャリアを本作で振り返って興味深いのは、テレビと漫画の普及による紙芝居業界の終焉に立ち会った水木が、今度は漫画とテレビの力で国民的存在となっていったという奇縁だ。
 『テレビくん』はテレビの中に潜り込みCMの商品を好きに持ち帰る事ができるという不思議な力を持った少年の話だった。そして貸本時代にはマニア受けはすれど広く人気を得られなかった鬼太郎や悪魔くんにせよ、その後テレビアニメや特撮ドラマとなることで子供たちに広く受け入れられた。
 思えば水木作品というものは、紙芝居に始まり貸本、週刊誌漫画、絵物語、図鑑…、そしてアニメ、特撮、映画、ゲームと、現代の娯楽分野の多くをカバーしていたのである。
 そして水木の人生そのものも「のんのんばぁとオレ」や「ゲゲゲの女房」などのテレビドラマとなり、普段漫画を読まない層も含む多くの人達の共感を呼び、国民的存在となった。

 あらゆる点において、水木しげるは破格の人物だった。そんな水木の足跡を振り返る上でもかなりお手頃な作品なのでこのたびの訃報を機に水木ワールドに足を踏み入れようと言う方にもお勧めである。フハッ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2015-12-31 02:36:35] [修正:2015-12-31 03:10:19] [このレビューのURL]

 これまで多くの作品において文明社会崩壊後の荒廃した未来世界が描かれてきた。そこには無法の荒野、異形の生物、ロストテクノロジーと化した旧文明の遺産、そして群れをなしてヒャッハーする飢えたマッチョ兵士などなどがモチーフとして頻発してきたワケだが、今回紹介する『牙の旅商人』はこの類の作品としては久々に大ヒットを予感させる意欲作である。今最も続きが気になる漫画の一つだ。

 何らかの大災厄により現代文明が崩壊した後の遙か未来の世界、家族を野盗の群れにヒャッハーと惨殺され一人荒野で死を待つのみだった少年ソーナは謎めいた美女に命を拾われる。女の名はガラミィ。武器を満載した漆黒のゾンビ馬車を駆り、善悪問わず求める者に武器を売ることを生業とする武器商人ギルド最強の戦士。
 彼女は決して親切心のみから少年を救ったわけではなく、法治の及ばぬ荒野の掟を説き、私が命を拾った以上、対価を支払わぬ限りお前の命は私のものだと告げるのだ。

「汝に問う!!欲する武器に如何なる対価を支払うや?」

 このガラミィとソーナの主従契約によって運命は動き始めた。様々な国家や組織の思惑が交差し、クトゥルフ神話や吸血鬼など種々の幻想文学から材を拾った異形の怪物が跋扈し、旧文明の遺跡が過去の惨禍を謎めかせる果て無き大地。様々に魅力的なモチーフが少しずつ小出しされ、その世界の全貌はなかなかあらわにはならない。旧文明は如何にして滅んだのか?異形の神々は如何にして生まれたのか?そして何より、武器商人ガラミィの旅の目的とは?魅力的な作画により、様々な謎を自然な流れで少しずつ掘り起こしていく物語展開は圧巻である。

 物語展開でもう一つ注目したいのが、作中の随所において登場人物同士で取り交わされる様々な“契約”である。これは本作がただのファンタジーアクションでなく“商人”というモチーフを採用しているからなのだろう。
 冒頭のソーナの命とその対価の話に始まり、売買、護衛、雇用と物語の要所においては必ず何らかの契約がキャラ同士で結ばれる。逆に言えば主人公パーティもそれらの契約の賜物であり、安易な友情や愛情に拠った擬似家族では無いのだ。また、武器商人は善悪問わず対価を支払う者には武器を売るので、時にはそれが災いや破滅をもたらしうる事実も作中早々と描かれる。『ゴルゴ13』を思わせる乾いたモチーフに感じられるかも知れないが、無論それだけでは無い。

 どうも本作は、この“契約”というモチーフで『ジョジョの奇妙な冒険』のような人間讃歌を描こうとしているフシがあるのだ。

 契約に必要なのは何よりも売り手買い手双方の誠実さなのだが、この無法の世界においてそれらを愚直に人が守ろうとしていく様はそれだけで感動的なのであり、何より運命を主体的に切り開こうとする覚悟の表れとしても表現される。本作の物語展開は1巻後半の中編「ユガの市」以降ノンストップで次々訪れる危機また危機の連続活劇、セーブポイントが無く操作を誤れば即You diedの即死ゲームをスレスレで突破していくような快感があるのだが、それらの要所要所において登場人物は覚悟を込めた運命の選択として、種々の契約を交わす。これが物語においていいアクセントになっており、テーマ的にも広がりうる可能性を秘めているのだ。いずれ主人公一行は単なる所有や主従の関係を超えた絆で結ばれることになるのだろうが、そんな人間性のかがり火の火種は覚悟に基づく契約なのである。人間性を捧げよ!

 それと蛇足だが、帯文で三浦健太郎や萩原一至など画力に定評のある先生方が激賞しているように作画の迫力・美しさもともに申し分ないので、ますます満足度の高い作品に仕上がっている。単行本巻末に掲載される原作者七月鏡一のエッセイもややクサいが示唆に富んでいて読み応えがある。今後も楽しんで読んでいきたい。ヒャッハー。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-01-29 18:43:16] [修正:2012-01-30 01:18:35] [このレビューのURL]

 我々日本人の食に関するこだわりの深さは良くも悪くも世界有数であり、特に薩摩黒豚がどうした和牛がこうしたといった“国産”肉への執着はもはや信仰のレベルと言って良いが、昨10年は口蹄疫、そして今年11年は原発災害による土壌汚染にTPP交渉参加、と日本の農業は重大な危機と岐路に直面している。
 
 今回紹介する『銀の匙 Silver spoon』はそんな近年の農業事情を考える上でも非常に有意義な作品だが、単純に漫画作品としてもかなり面白く、読者の興味を引き新鮮な驚きを与えてくれる。
 作者の荒川弘は大ヒット作『鋼の錬金術師』で有名だが、北海道の酪農農家出身という異色の出自でも知られており、『百姓貴族』など自身の農業体験に基づいたエッセイ作品も既に描いている。そして週刊少年サンデーで今年から連載の始まった今作『銀の匙』は、農業とは無縁の生活を送ってきた都会育ちの少年が、とある理由で北海道の農業高校に入学し様々な経験を積んでいくというストーリー漫画だ。
 サンデー伝統の“部活マンガ”路線の異色作と言えるし、同じく北海道での畜産を扱ったゆうきまさみの『じゃじゃ馬グルーミンUP』の後継作とも言えるが、扱われる内容はそれらと比較してもかなり生々しい。『じゃじゃ馬』ほどにラブコメ色が前面に出てくる気配は今のところ無く、主人公周辺のキャラの大半は農家の跡取りという立場から単なる部活モノのお気楽さとは比較のならない重さを秘めている。家畜の屠殺や間引きといった生臭いテーマも早々に正面から描かれ、獣医になれる条件には「殺れるかどうか」と答えさせる。かわいい仔豚ちゃんはいずれは食肉となる事が示唆され、熊嵐に象徴される北海道開拓の苦闘の歴史を描くことも忘れない。昨今の農業事情も意識しながら読むと、非常に考えさせられる事が多い作品なのだ。

 なんだか辛気臭い・説教臭い作品のように思われるかも知れないが、そこは等価交換、とても伸びやかで愉快な作品でもある。主人公の八軒は「家から遠く離れたい」という理由だけで遠路はるばる北海道の農業高校にやってきた勉強はできるが少々ひねくれた所のある少年で、実家が農家では無いし将来の夢も特には無い。そんな農業とは無縁だった少年の視点により、農業高校での様々な体験が読者の想像を絶する新鮮な驚きに満ちた、実に活き活きとした魅力あるものとして描かれているのだ。日本の農業事情を大上段から深刻に描くだけなら他にいくらでもあるが、こうも楽しさや驚きを少年漫画というフィールドで描きうる作者の筆力はやはり凄い。

 それらに対する八軒の反応も実に素直で良い。世間の常識から隔絶されたギャグのような(というか既にギャグの)農業高校生の生態にいちいち過剰反応を示し、産みたての卵かけご飯や自家製ピザに大感動、子牛の出産という普通なら「厳粛な生命の瞬間に立ち会えて云々」と感動する場面では素直に「グロい」と言ってのける。卵かけご飯をかっこむ際の「ばばばばばばばばばば」やトラクターの駆動音「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」など突き抜けるような擬音効果からもそんな素直さと勢いが感じられる。周囲の大半の学生と違い主人公は特に継ぐべき家業も将来の夢も現時点では持っていないが、校長先生曰く「それは良い!」 何もないまっさらな八軒だからこそ、様々な体験に驚き戸惑いながらも色々な分野へ挑戦することも出来るし、いずれは何者かになり得る可能性を見出すことができる。

 物足りなさを感じる部分としては、作品の性質上仕方のない事だがャラクターデザインが少々地味目で時々作画的にも不安定さが感じられる点、またせっかく北海道の大自然を舞台にしている割には背景の自然描写などもやや淡白な印象を受ける点などがある。上述の通り非常に勢いのあるシーンが多いのが魅力だが、反面専門的な部分の説明シーンなどは少々セリフが説明口調の長文になりがちな所も気になる。あと作者が週刊連載のペースに慣れていないのか休載が多いのもやはり気になる…。最近は休載も少なくなったので、今後も引き続き楽しく読んでいけることに期待したい。

 タイトルの『銀の匙』だが、現時点では学生寮の食堂に飾られていることが言及されるのみでそれが何を意味するのかはよく分からない。中勘助の小説ともおそらく縁は無いだろう。ただ、食を命を掬い上げ自身そして他者の口にそれを授ける“匙”という食器の持つ象徴的な意味を考えると、本作が今後何を描いていくのかを考える材料にはなるかも知れない。
 八軒が生まれて初めて野生の鹿をさばいた時、彼は鹿の亡骸に向かい手を合わせるが、その姿はまるで何かを錬成しようとする錬金術師に重なって見えた。恐らく、作者の描きたかったものはハガレンから本作まで一貫しているのだろう。

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[投稿:2011-12-31 00:52:00] [修正:2011-12-31 01:14:31] [このレビューのURL]

 紀元前三世紀、地中海世界の覇権をかけた二大大国ローマとカルタゴの大戦争、ポエニ戦争。本作『アド・アストラ』は、カルタゴの生んだ稀代の軍略家でありローマ史上最大の難敵と言われた”怪物”ハンニバルと、彼からローマを護るべく対峙した同じく天才軍略家スキピオの対決を主軸に据えた歴史アクション漫画である。

 スキピオとハンニバルの対決劇は歴史(特に戦史)好きの間では広く知られ人気もあるテーマで、最近1年越しで2巻目が発売された人気の某作品でも二人仲良く異世界を絶賛漂流中だが、同時代のローマを描いた漫画作品として読んだことはまだなかったので本作には高い期待を持って接した。

 本作で描かれるハンニバルの繰りだす様々な戦術の数々-機動力の駆使した包囲殲滅作戦、周到な調略による兵力の増強などなどは聞くところによると現代の軍事教本でも参考にされるほど完成度が高かったというが、古代も現代も変わらない戦争行動がある一方で、本作には現代の近代国家同士の戦争ではあまり見ることができない古代ならではの戦争のイメージも見事に描かれている。国と国、人と人の闘いだけに留まらない、神軍の戦争である。
 第1話で少年ハンニバルのもとにカルタゴの神である雷神バールの意志が雷が降るように降り立つシーンには身震いした。ハンニバル(バールの恵み)はぇ決して単なる軍人としてではなく、カルタゴの神の意志そのものとしてローマへの狂気じみた復讐戦争へと身を投じる。

 導入部としてはほぼ完璧だったが、残念ながら1巻を通して見た場合、第1話で見せた恐ろしい予感にまだまだ応えきれていないように思える。まず展開が少々早すぎる。第2話で早くも成人しローマへの復讐を開始したハンニバルは、あれよあれよという間にイベリア半島を暴れまわり史上名高いアルプス越え(数万の軍勢と戦象を引き連れてアルプス山脈を踏破!)も一瞬で終わらせてしまった。このアルプス越えはハンニバルを語る上では絶対に外せない部分だっただけに、もう少し重きをおいて描いて欲しかった。

 これは恐らく終生のライバルとなるスキピオとの初顔合わせを単行本一巻の中で終わらせ、展開のテンポなども重視した結果なのだろうが、おかげで歴史大河巨編らしい重厚さが少々足らなくなってしまった気がする。絵柄もリアルよりで上手いがもう少し生気(それと狂気)も欲しいところだ。だがまだこれからもおいしい見せ場には事欠かない事は歴史的にも確約されたようなものなので、今後未だ若輩のスキピオがハンニバルに劣らずローマの神をその身に宿すかのような大奮闘を見せていけばきっと素晴らしい作品となるだろう。そんな二人の軍神の間に隠れた凡人の一兵卒ガイウス(本作のオリジナルキャラだろうか?)の今後も、二人の対決に劣らず気になる部分ではある。

 これからどうなるか注意深く見守る必要があるが、連載デビューから物怖じせずに調理の難しい題材に挑む作者には敬意を評したい。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-10-30 22:10:21] [修正:2011-10-30 23:23:38] [このレビューのURL]

(※現在発売中の単行本1巻のみの内容に基づいたレビューです。)
一人暮らしの独身男性の頭上に謎の少女が降ってくるという導入からなる落ちモノ系コメディ漫画だが、この手の漫画は主としてラブコメ作品などで古くから量産されまくってきた為、変化球と言うか作者の照れ隠しと言おうか、他のそっち系漫画とは一線を画した奇妙な設定がまず印象的だ。

 主人公の男性は気弱で普通の男子学生などではなく羽振りのいいヤクザの若い衆で、一方空から降ってきた謎の少女は念動力を駆使しイクラ丼に異常な執着を燃やす綾波系無表情超能力少女、ヤクザxサイキック少女というヘンな組み合わせに勝るとも劣らず作品の雰囲気もアウトロー物らしいブラックさと相反するようなアホな脱力具合とズレたアットホームさがうまい塩梅で融合しておりなかなか面白い。
 主人公のヤクザを下手に「実はいい人」に貶める事無く、かつひょんなことからハタ迷惑な能力使いと同居することになった苦労人としての側面を強調する事で一癖ある存在感を発揮させており、一方で物語のキーパーソンである謎のサイキック少女”ヒナ”もズレた言動と破壊的なマイペースさで物語の台風の目として周囲を思う存分引っ掻き回す様が見ていて爽快、ただ、しかし…。


 世間から後ろ指さされる身の上の男性の元に突然ハタ迷惑な能力使いの無表情少女が降ってくるという設定といい、ブラックさと脱力さを融合させた展開を売りとする点といい、なんとなく似ている気がするのだ、沙村広明による落ちモノコメディ史上の大怪作『ハルシオン・ランチ』に、色々と…。しかも残念ながら1巻を読んだ時点ではネタのシュールさ、奇想天外さ、インパクト等様々な点でまだまだ『ハルシオン・ランチ』には遠く及んでいない印象を受けた。作品の方向性の違いといえばそれまでなのだが。

 それでもら2巻以降は何やらライバルの超能力少女も登場して派手な能力系バトルが展開されたりするらしく、まだまだ物語の核心部分も見えないままなので、今後の展開如何によってはこの手の作品としても独自の境地に達する可能性はある。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-09-30 00:20:04] [修正:2011-10-01 00:28:23] [このレビューのURL]

 帰省旅行の際に立ち寄ったJR岡山駅の本屋で「岡山県倉敷市を舞台にした青春応援ストーリー」「倉敷市観光キャンペーン採用作品!!」と妙に地元にプッシュされていたので、汽車旅行のお供になればと興味をひかれて2巻まで購入した。

 倉敷市のある瀬戸内という地域は、どうも昔からたびたびこういう青春モノの舞台になることが多く、たとえば大林宣彦監督は広島県の尾道を舞台にした青春映画を好んで撮ったし、近年ではアニメの「かみちゅ!」などの例もある。本作もそういう系譜の作品であるらしく、瀬戸内海の車窓の風景を眺めつつ楽しむには最適ではないかと思ったわけだったのだが。

 結論から言うと、特に倉敷が舞台である必然性は感じられなかった。

 本作は、倉敷市内の共学高校を舞台に様々な少年少女たちの主として放課後の日常ライフを描いたオムニバスストーリー集であり、登場人物は毎回異なる。物語は基本的に男女のほのかな甘酸っぱい恋バナか女子同士の微百合な友情話かのどちらかで、まぁ毒にもならず薬にはちょっとなる、という当たり障りの無い話が続く。
 絵柄は今風の肩の力を抜いたラフな雰囲気で、地方都市が舞台だからといって変に力を入れて背景描写なんかに注力している感は特に無い。キャラクターデザインは近年のジブリアニメ風味というか貞本義行風味というか、過剰な萌などは抑えられて自然体が意識されたものとなっており、背景演出とはよくマッチしている。作画表現に関して一部特筆すべき部分があるならば、第3話における海水面を海中から捉えたシーンなど、瀬戸内らしく水に関する描写にはこれはと思う部分もあるにはある。

 今風の肩の力の抜けたキャラ達がいかにもな友情話や恋愛話を演じるわけだが、内容がこのようにあまりにも当たり障りなく普遍すぎて、結局舞台が北海道の函館だろうが神奈川県の鎌倉だろうが愛媛県の宇和島だろうが成立する感は否めない。自分は倉敷市民でも岡山県民でもないので本作の倉敷描写がどれだけ忠実なのかはよく分からないが、背景描写の全般的な淡白さもあって本作を片手に倉敷市内を巡礼してやろうという気は起きなかった。
 というよりなぜキャラを標準語で喋らせる?多少注釈は増えようが、ここは方言を使うべきだろう。作者は方言女子の魅力を知らんのだろーか。
 あと、これは需要は少ないだろうが、もそっと男子高生同士のボンクラ青春ストーリーも入れるべきだろう。

 作品単体で見ればこんな具合にやや辛辣になってしまう部分があるが、本作のこの力の抜け具合はそう悪い点ばかりでは無いのかも知れない。
 例えば地元を巻き込んでブームを起こした成功例としては埼玉県の鷲宮町でおなじみの『らきすた』が有名だが、あれだって鷲宮町が舞台である必然性など希薄だった事だろう。
 本作がもし何らかのきっかけでアニメ化を果たし、しかも京都アニメーションなどの優秀なスタジオが制作を担った暁には、原作のこの淡白さを最大限に活かして凄まじいアレンジを施して映像化、新規獲得のファンが聖地巡礼だと大挙して倉敷に押しかけ地元は嬉しい悲鳴……そんな遠大な計画が本作を観光キャンペーンに採用した地元の商工会議所の中で描かれてそうで、何やら複雑な気分になってしまった。

 やや微妙な作品ではあったが、肩の力を抜いて楽しめるので汽車の長旅における暇潰しの役目は果たしてくれた。しかしいくら旅先で金銭感覚が麻痺していたとはいえ、単行本のこのボリュームで一冊税込672円はどうかと思う。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-08-18 00:00:06] [修正:2011-08-18 00:00:06] [このレビューのURL]

 女学生1000人を誇る全寮制のお嬢様学校が共学化、やってきた男子はたったの5人!果たしてそこは男共にとって天国か、地獄か。
 のっけからいかにも学園ハーレム物的な物語設定だが、結果はまさかというかやはりというかの地獄であった。
 伝統と格式ある名門(元)お嬢様学校の私立八光学園に入学した5人の冴えない男子一期生。「童貞なんか4月中に捨てられる」とアレコレムフフな夢と希望に胸ふくらませていた彼らを待ち受けていたのは女子総勢からのガン無視といういじめのような仕打ち。ハーレム築城の夢などまさに砂上の楼閣で、ショーウインドウの前でよだれを垂らし続けることしか出来ないこの地獄のようなシチュエーションにもはや我慢も限界、遂に女子風呂覗きという最悪の実力行使に打って出る男子一同だったが学校の風紀を裏から取り仕切る裏生徒会に覗きの現場を押さえられてしまい…?

 周りが女子だらけの元女子高に男子が放り込まれるというシチュエーション、そして学校内で異様に権限の強い裏生徒会の存在し、更にそこの裏生徒会長がカラスを使役する能力者であったとか、初期設定だけ見るといちいちよくも悪くもラノベっぽい。だがそこはやはり平本アキラというべきだろうか、『アゴなしゲン』の初期から相当変わったとはいえ独特の濃い絵柄は随所で健在で、それによって描かれるおかしうてやがて哀しい駄目男共の悲喜こもごもが珍妙な味わいとなって作品を支えている。
 このように下支えするダメンズ達を文字通りヒールで蹂躙する裏生徒会の女性陣もそれぞれ凶悪な魅力を発散しており、中でも1巻でいろんな意味で露出の多かった裏生徒会副会長のドS女王っぷりは特に素晴らしい。学校内に監獄型の矯正施設が存在し、もれなくドS女子高生看守に思う存分いじめていただけますというシチュエーションの歪みっぷりに負けず劣らず作中の男性読者向けのサービスシーンもアングル、状況ともにかなりマニアック。そんな逆境の中でますます輝きを増していく男子共の阿呆エナジースパイラルー…いろいろな意味でありきたりの学園コメディには満足できない皆様方も楽しめる作品になっていると思う。
 一方で主人公の少年だけはそんな異常な状況の中でもメインヒロインらしい同級生の女の子と密かに関係を育もうとしており、どうやらストーリーの縦軸自体は意外とマトモなものになりそうだ。尤も彼らの縁を取り持ったきっかけは何と大相撲の話題だったりとやはり一筋縄では行っていないけど、個人的にはツボである。

 なお、本作は各話のサブタイトルが著名な映画や漫画作品のパロディが使われており、「四つ葉と!」にはサイダーを吹いた。

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[投稿:2011-06-12 15:09:15] [修正:2011-06-12 15:20:59] [このレビューのURL]

 鉄道ファン(以下「テツ」と呼称)という存在はそう新しいものでは無く以前から人知れず一種独特な濃い世界を形成してきたが、ここ数年で急速に世間的な認知度が高まってきている。市場が彼らを相手に商売するオイしさに気づいたのか、テツをターゲットとした催し物やツアーなどが多く開催されるようになり、その裾野はますます広がりをみせている。

 漫画の世界においても『鉄子の旅』や『鉄娘な三姉妹』などテツを題材とした漫画が多く世に出るようになったが、ここにきてある種真打とも呼べる作品が堂々の漫画化を果たした。大正から昭和にかけて活躍した文豪であり、無類の鉄道旅行好きでもあった内田百間(ひゃっけん)の代表作にして紀行文学史上の傑作でもある『阿房列車』(あほうれっしゃ)が一條裕子によって漫画化されたのである。

 内田百間こそは日本のテツ達のグランド・ファーザーのような存在であり、
「なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪に行ってこようと思う。」
 この有名な出だしに始まり延々ひたすら浮世離れした鉄道旅行珍道中を描きつくした本作はテツ文学の偉大なる古典であった。用も無いのに汽車に乗り、どうせ乗るならと借金こさえてまでも1等車にこだわる。紀行文学とはいうものの地方の情緒だとか名所名物の類の描写は一部の例外を除いて一切描かず、ただただ鉄道旅行の道中記及び鉄道に対する百間先生の思い出話や美意識を主軸に描写がなされた特異な内容で、また名文家の誉れ高い百間のテムポの良い文体と相まって今でも根強い人気を誇る作品である。読みやすいがクセも強く、漫画化など考えもしなかった作品であっただけに、何気なく書店でこの漫画版の単行本を見かけたときの衝撃たるやかなりのモノだった。

 で、肝心の漫画版だが、いざ読んでみた所「そう来たか」とハタと膝を打ちたくなった。成程、これは紛れもなく『阿房列車』の世界だ。何しろ、他の原作付き漫画と比べても原作文章の引用割合が凄まじく高いのである。漫画作品としてキチンと成立してはいるので誤解の無いように願いたいが、文章と画の主従関係が他の漫画と比べても明らかに文章の方が上、という考えようによっては奇妙な事態となっているのである。
 そんな事を書くと「え?文字が多いの?なんか読みにくそうだな」とか「そもそもそこまでして漫画化する必要があったのか」と思われるかもしれないが、意外やこれが不思議と読みやすい。一見単調に見える絵柄とコマ割だがその実かなり計算されて描かれており、文章(大半が百間先生のモノローグ)のテンポをうまく活かすように画面が構成されている。絵柄は新聞の4コマ漫画や一コマ風刺漫画のような素朴で簡略化されたもので独特の俳味があり、それがまた原作の持ち味を活かす結果となっている。
 上の方で「文章のほうが画よりも重きが置かれている」と書いたが、時折大ゴマを活かして精密な描きこみがなされたシーンなどが挿入され、画>文章となる一瞬も鮮やかに表現されており、単なる原作トレースにも終わってはいない。なによりコマ運びに作者のユウモアが感じられ、論理的なんだかただの偏屈なんだかよく分からない困ったちゃんな百間先生のモノローグと行動にに作者からのささやかなツッコミとも取れる大ゴマ強調など、見ていて思わずニヤリと笑いたくなってしまう。カギ括弧や改行などの文章運びのテクニックが、ここではコマ運びという形で表現され、原作の文体をうまく漫画という文体に置換せしめたという意味で、見事な漫画化と言える。これには冥途の先生も苦笑しておられる事だろう。

 『阿房列車』の漫画化という事で個人的には大変魅力的な作品だが、いかんせん扱っている題材が題材なだけに、テツでもなくましてや原作のファンでも無い多数層に受け入れられるか?と問われるとやや苦しい。しかし逆に鉄道旅行や内田百間に興味のある人には実に良い導入編となるだろう。漫画喫茶などで根を詰めて一気読みするよりも地方の在来線特急のボックスシートなどでサンドウィッチをかじり麦酒をあおりながら読むほうが似合う作品でもある。「用もないのに旅に出る」のはなかなか叶わないけれど、テツにも、またそうで無い人にも、帰省の汽車旅行のお供などにお薦めな一冊でもある。

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[投稿:2010-12-28 23:25:48] [修正:2011-01-05 22:38:36] [このレビューのURL]

 芸人、喜劇役者、そしてギャグ漫画家、世の中には“笑い”を売ることを生業とした特殊な身分の人々が存在するが、いくら売り物が笑いだからといって、売る側がヘラヘラ笑っていられるほど甘い業界ではいずれも無い事もまた事実である。芸人世界の厳しさは広く知られているし、喜劇役者は精神的負担から自殺する者も少なくなかったという。ギャグ漫画家の世界にせよ「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめのようにネタを出しつくして“壊れて”しまった漫画家の話なども枚挙に暇が無い。

 「日本の喜劇王」と呼ばれ戦前戦後に活躍した喜劇役者の榎本健一(エノケン)に、そういう“笑いを売る人々”の哀しい宿命を象徴するエピソードがある。舞台や映画では人々を笑わせ続けたエノケンも、私生活では苦難の絶えない日々を送り、自ら笑うことはほとんど無かったという。そんな彼を襲った最大の不幸は愛する息子に結核で先立たれた事だった。この時もエノケンは客の前では悲しいそぶりは見せまいとギャグに励んだが、彼の息子の死を知っている観客は「いいよエノケン…無理はするなよ」とちっとも笑ってくれなかったのだと言う。“笑いを売る人々”の哀しい宿命である。

 前置きは長くなったが、上野顕太郎による『さよならもいわずに』にも、そういう哀しい宿命が全体を通じてむせかえるほど伝わってくる。生半可な作品では無い。描く側も、読む側にとっても。

 「暇人漫画家」と呼ばれ知る人ぞ知る活躍を十数年続けてきたギャグ漫画家の上野顕太郎(ウエケン)は、『帽子男は眠れない』や『ひまあり』、『夜は千の眼を持つ』など一貫してギャグにこだわり続けてきた生粋のギャグ職人であった。爆発的大ヒットとは無縁のため生活も順風満帆ではなかったが、それでも愛する妻と娘に囲まれささやかながらも充実した濃い日々を送ってきた彼のもとに、突然その日はやってくる。元々心身ともに不安を抱えていた奥さんが、ウエケンが仕事部屋を行き来したわずか3時間ばかりの間に、心疾患によって帰らぬ人となったのだ。わずか3時間ばかりの間で…。本作は、最愛の妻と突然の永訣を余儀なくされた一介のギャグ漫画家の哀切きわまる思いと現実が交錯するセルフドキュメント漫画である。

 ウエケンの代表作の一つ『ひまあり』においても、この奥さんは主人公ウエケンにツッコミを入れたり罠にはめたりと名バイプレイヤーとして物語を彩っていた。そういう実績もあってファンにとっては氏の作品世界には欠かせない重要な人物となったわけだが、『ひまあり』の作中の描写や後書きにおいてもどうやら健康状態がすぐれないことは暗に示唆されていた。そんな悪い予感が、最悪の形で表出したのである。
 
 そしてウエケンはギャグ漫画の鬼才であると同時に超一級の漫画読みでもあった。彼の漫画には名作無名作問わず膨大な漫画的記憶が下敷きとなっており、たとえば彼の描いた『ゴルゴ13』と『一休さん』のコラ漫画などその出来の良さからネットで話題になったりもした。そんな膨大な経験値に裏打ちされた多様な演出スキルが、彼のギャグをこれまでは彩ってきたわけでが、本作ではそれらの演出スキルが、全て「妻を喪ったという現実」「それを受け止めきれない哀れな中年男の悲しみ」を一切の容赦なくあぶりだす。視点は上下し、世界は歪み、終いには溶解する。
 
 男は町をさまよい、道行く人々とすれちがいながら、

「何故あなたではなく……」

 と、他の誰でも無く最愛の妻を奪った天の非情を呪う。大袈裟である。傍から見れば「何をそこまで…」と思うほどに大袈裟な演出の数々である。普通の漫画でやれば半ばギャグとして処理されてしまうであろう。実際、ウエケンはこれまでそういう大袈裟演出で様々なギャグを彩ってきたのだから。普通にいけば、ラストで奥さんが棺桶から楳図タッチの表情で復活し「ホホホホホ」と首を激しく回転させながら笑ったりした事だろう。
 しかし、今回ばかりはそうではなかったのだ。これまでギャグとしてしか受け止められなかった演出が、本作では内臓を圧迫するような密度で読者に襲いかかるのだ。


 冒頭紹介した喜劇役者エノケンのエピソードには、更に胸糞悪いおまけがついている。息子の葬式の当日、エノケンの家の周りには多くの野次馬が集まった。いよいよ出棺となった時、ついに悲しみをこらえきれずにエノケンが嗚咽すると、野次馬達は「あのエノケンが泣いてやがらァ」と爆笑したのである。舞台では笑ってくれなかったにも関わらず…。宿命とはいえ、いささか残酷すぎる話ではある。

 不幸中の幸いというべきか、“笑いを売る”という点では共通しているが本人が直接観客の前に姿を現す必要の無いギャグ漫画家であったウエケンは、この残酷な仕打ちからは逃れる事が出来た。そして表現者の宿命であろうか、彼はこの最愛の妻の死という体験を漫画作品として描いてみたいと思うようになり、数年の時間を経て遂に執筆にこぎつけたのである。ギャグと紙一重の悲しみ、表現者の持つ業、それらが圧倒的な筆致で塗り込められたこの物語は、こうして誕生したのだ。こんな作品にも関わらず作者は途中にギャグを挟み、他漫画からのコラージュも怠らない。業である。
 ウエケンはおそらく今後もギャグを描き続ける事だろう。しかし、そこには確実にある種のペーソスもまた刻まれるようにもなるのだろう。

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[投稿:2010-08-30 00:51:54] [修正:2010-08-31 00:06:17] [このレビューのURL]