「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

 「落ち物」と呼ばれるジャンルの漫画がある。さえない男主人公のもとに空から美少女が落ちてきて、彼女をめぐって平凡だった男の日常は上を下への大騒動、ラブ&コメディの日々が始まる…という類の奴である。古くは「うる星やつら」、少し前なら「ああっ女神さまっ」などがこのジャンルの代表作であり、美少女ギャルゲーや深夜アニメの作品群にも似たようなものは枚挙に暇がないはずである。

 そして本作「ハルジオン・ランチ」は、ネオ時代劇「無限の住人」で知られる鬼才の沙村広明 (←アラフォー)が本気を見せた落ち物ギャグ漫画の最先端である。内容は一言で表すと、カオス。とても系統立てて説明するのが困難な内容だが、同作者の「おひっこし」にはまった人ならまず外さない面白さがある。

 部下に金を持ち逃げされ事業に失敗し、川で食料の魚を釣らねばならぬほど困窮していたホームレスのアラフォー中年男「化野(あだしの)」。日がな一日釣り糸垂らす彼の元に、「お腹へった」と突然現れた地球外の美少女「ヒヨス」。主人公がホームレス中年という以外は取り立てて新鮮味の無い落ち物の王道的導入部である。

 これまでの落ち物ヒロイン達も空を飛べたり電撃を撃てたり、と特殊能力を持っている場合がほとんどだったが、本作のヒロインであるヒヨスの能力は、何と生魚だろうとリヤカーだろうと家電だろうと人間だろうと何でも一口サイズに縮小して食べることができるというとんでもないものだった。それどころか一度食べたものを「うっええええエエエエ」と吐き出しす事により、食べたものが生物無生物を問わず融合して出てくるという更にとんでもないコンボが…。そう、ヒヨスは「無敵看板娘」の鬼丸美輝、「銀魂」の神楽らに続く正統派の”嘔吐ヒロイン”だったのだ。そして従来の嘔吐ヒロイン達がその食い意地に相応しく男勝りな元気さを売りにしていたのに対し、ヒヨスはいわゆる”綾波系”的な無表情&常識の欠如が特徴なのが新鮮である。

 このハタ迷惑極まりない能力(”ちから”と読んでください)を持った美少女と彼女の保護者に選ばれてしまった中年男性を軸に、理系で兄萌えのジャンキー少女、気の毒な犬(詳細は後述)、金を持ち逃げしたメガネ男子等等の奇妙でダメな奴らを巻き込んで物語はあさってどころか明々後日の方向に全力で転落していく。
 一応はすべてを失った中年男性の再生物語みたいな大筋もあるんだろうが、とにかく設定のカオスさと物語に脈絡なく大量投入されたマニアックな小ネタの数々(無料回収車「貧乏姉妹海物語」「ATARI社のレア基盤」には呼吸困難になるほど笑った)が、そんな本筋?をボヤカすほどに隙間なく詰め込まれている為にますますその全容をつかむのが困難である。何しろ第1巻のラストで登場人物の一部が「北の某国」の潜水艦に拉致られるのだから。いや、ギャグ漫画だから全然OKだが。

 とにかく非常にカオスな作品だが、作者の絵のうまさもあって不快感は感じない。それどころか、ヒヨスの吐き戻しによって誕生する様々なクリーチャーのデザインなど、立体化したらそのまま現代アートとして通用しそうなくらい秀逸である(←訳が分からないとも言う)。単行本表紙の裏カバーでもネタにされているように、その有機物と無機物の融合した奇怪なデザインは前衛芸術家成田亨によるバルタン星人やゼットンなどの初期ウルトラ怪獣や、クローネンバーグの映画(←「ザ・フライ」」とか)に登場する「柔らかな機械」を髣髴とさせ、美大出身の作者の才能の無駄使いっぷりが見ていて痛快である。
 極めつけはレギュラーキャラとなった気の毒な犬「アスキー犬」で、これはハスキー犬とうまい棒とデコケータイがヒヨスの体内で融合した結果誕生、前足がうまい棒、顔がアスキーアートで構成されたというとんでもないデザインで、コイツを見る為だけにも本作を読む価値があると自分は信じる。

 以上、色々書いてきたがとにかく本作に関しては「まずは読んでみてくれ」としかいいようがないほど混沌としている。思うに、何故そうなったかというと、それは本作が沙村弘明による”ゲロ漫画”だからなのであろう。
 落ち物美少女、人間ドラマ(?)、SF、オタネタ、現代アート、様々な食材を沙村弘明は一旦咀嚼した上で、「うっええええエエエエ」と原稿用紙という名のキャンパスにぶちまけた結果誕生したのが本作なのだ。色よし形よし香りよしの三方良しを実現した素晴らしいゲロ漫画である。
 しかし、いくら味が良くてもゲロはゲロなので、毒気も強いし吐いたゲロを一目見ただけで元となった食材を当てられるような食通(というよりオタク)でないとイマイチ面白くないかもしれない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-28 19:26:07] [修正:2010-06-10 23:25:18] [このレビューのURL]

 あれはもう10年前になるか、当時青雲の志に胸躍らせていたピカピカの大学一年生の自分は、友人の部屋で無造作に転がっていたアフタヌーンシーズン増刊を拾い読み、本作に出合ってしまった。「無限の住人」は存在は知っていたが読んだことは無かった。(今も無い。)
 そこで描かれる奇妙な青春群像とマニアックなギャグに惹かれるものを感じて「蟲師」や「ラブやん」や「もっけ」と併せて大いに楽しみ、単行本も購入。そうこうしているうちに夢のように大学時代は過去のものとなった。

 今、手元に「おひっこし」の単行本は無い。卒業時に実家に帰った際、他の荷物とまとめて押入れにしまいこんでしまった。それから更に数年、しかし今でもあの鮮烈な印象は脳の片隅になお残る。

 以下、記憶を頼りに印象的だったシーンやセリフを拾えるだけ拾ってみる事とする。細かいところは間違っていると思うけど御容赦。


第1話

「俺は赤木さんが好きだ!」
「おお、自分探しの旅じゃぁ」 「ケッ反吐が出る」
「ウェルカムトゥーザヘール!」
「銀ビス少女隊」
「♪バナナセーキ バナナセーキ」

第2話 ←ここから読み始めた

「ローマは一日にして成らずんば虎児を得ず」
「ベヘモト (中略) 斉天大聖 (中略) マドモアゼルフロムヘル」
「やっぱ行楽地のお昼はカツカレーだよねー」
「くらえっデスマサカー!!」
「今いるここはどこ?魔界?」(背景;ジェダステージ)
「マンマ!僕も一緒に行くよォッ!」 「ああっ、ピザ野郎が逃げた!」
「ジャッジメントギャルズ」

第3話

「ですめたるは不滅です」(巻頭アオリ文句)
「伊太利亜人のお墨付き」
「ペスカトーレ! ユダめェェェェェ!」
「ブタに食わせとけ!」
「今時デスメタルに硬派性を感じるってのは、本棚の目立つ場所に「地獄の辞典」を並べるのと同じくらい格好悪い事だと思うんすよ。」
「何故ベノム?現世とは没交渉の一枚」
「あたしこの車、晴海の催事場え見たことある…」
「あたしは小学館のコロタン文庫で」

第4話

「世界のどこかにあるという回転しない寿司屋へ!」(BGM;ガンダーラ)
「所持金700ペリカ」
「実は私ずっと夜尿症が治らなくて」 「うわーダサー」
「赤木さん、私怖い!」 「マグマグ人?」
「好きなドラマーはブライアン・ダウニー 好きな呪文はザラキ 嫌いなものはお前のような女です」
「木戸草介は後に述懐す」
「早くレポート仕上げねーと」
「バローネ、このイタ公!」

最終話

「誰が言い訳しろつったよ?」
「みなさんありがとう 土佐の黒潮に揉まれて巨乳になって帰ってきます」
「うわーーん赤木さーーん」
「♪あなたーの胸で泣かせて欲しいー」
「これで飯でも食てやー」(←ウルヴァリン) 「えっ1万円も?」
「……がんばんな…」
「ぶわっはっはっはっは」
「♪君の名を呼ぶときは…」
「危険って何がですカー!?」
「その後、それなりに幸せになったという」


 …不思議だ。当時確かにいろいろ思うところもあったしそれなりに感動もしたはずなのに、思い出されるのはどうでもいいシーンやデティールばかりである。というか上のセリフだけ見たらどんな漫画かさっぱりわからん。

 フラフラしているようで生活臭く、何も考えてなさそうでその実ひたむきでもあり、永遠に続くような時も「おひっこし」と共に終わりを告げる。この底が浅いのか深いのか、大事な何かを学べたのかそうでないのかも良く分からんが妙に楽しい読後感は、しかしそれゆえにマニアックなデティールと共に記憶に残ることとなった。いまだ自身の大学生活というものを人生においてどう位置づけるべきか分からぬわが身なればこそ、かもしれないけれど。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-24 23:41:47] [修正:2010-03-24 23:41:47] [このレビューのURL]

7点 芋虫

 原作:江戸川乱歩、作画&脚色:丸尾末広。前作「パノラマ島綺譚」に続く至高にして(悪)夢のコラポレーション第2弾である。前作が手塚治虫文化省を受賞するなど反響も大きく完成度も高かったので、大きな期待と安心感を持って本作には接することができた。

 まず一つ言えるのは、本作「芋虫」は前作「パノラマ島」よりもはるかに丸尾末広の持ち味…大正昭和風味の残虐猟奇趣味が発揮できているという点だ。おそらく昔からの熱心な丸尾ファンには「芋虫」の方が肌に合うと思われる。
 物語の舞台は大正期の軍国時代の日本。大正というと「サクラ大戦」や「大正野球娘」のような華やかなイメージの作品が多いが、一方本作はというと…。戦場で四肢と言葉を失い物言わぬ肉塊となった軍人とそれを看護する妻。あてがわれた屋敷の離れを舞台に、世間的には「名誉の軍人」と「夫に尽くす良妻」である二人の、その実いびつで倒錯した愛憎模様が描かれる。もうこの舞台設定からして丸尾末広のためにあるような作品といえる。モダンと華やかさの影に咲く、腐臭を放つ奇形花の妖気。

 まさに水を得た魚、羽を得た芋虫のように丸尾末広はこちらの期待に応えるべく素晴らしい仕事振りを発揮している。短編である原作を肉付けするために様々な小話も盛り込まれ、浅草十二階や仁丹の絵看板などの小道具にも気が配られている。
 何より圧巻なのはやはり悪夢のように淫靡な”夫婦生活”のシーンで、奇形の芋虫とそれを弄びまた弄ばれる中年女の濃厚な絡みから、丸尾末広言うところの「前近代的湿潤」、日本的なじめっと湿度のある狂気がページを通り越して読者の顔面にこびりついてくるような錯覚すら覚えさせる。体液や汚物のすえた匂いまで立ち上って来そうなその描写力は凄まじく、特に第2話後半で憔悴しきった妻がさいなまれる悪夢のシーン(奇形、死体、毒虫、男性器などのおぞましいイメージの集積)を見た日には…。これぞ江戸川乱歩、これぞ丸尾末広であろう。

 が、本作を丸尾末広や江戸川乱歩ファン以外の読者に広く勧められるかというと、なかなかそうも言い切れないのが歯がゆい。前作「パノラマ島」と比べてもエログロ描写が上記のとおり段違いに上がっているため、耐性のない人に見せたら人間性を疑われることになるだろう。
 江戸川x丸尾のコラボをもっと読みたい自分としては本作も商業的に成功して欲しいと思っているが、文庫版で30ページに満たぬ原作を4話構成にまでカルピスのように水増し・過剰装飾した印象はぬぐえず、それがハードカバー1200円(税抜)というのもやや疑問が残るところである。これであれば、例えば芋虫以外にも手ごろな江戸川乱歩の短編を漫画化して単行本に収めてくれた方が良かったと思う。

 何より残念だったのは、これは別に誰が悪いのでも無いが、既に「パノラマ島綺譚」で江戸川乱歩x丸尾末広という究極のタッグの完成を目撃してしまっていた為、本作を読んだ時も信頼感に似た安心を覚えこそすれ、前作を書店で偶然発見した時ほどの衝撃を受けることは無かった。今後もこのコラボは続けて欲しいと心から願うが(個人的には「蟲」とかを是非)、初見の悪夢を上回る悪夢を生み出すハードルはどんどん高くなっていくのだろう。夜の夢のごと、まことに歯がゆい。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-22 14:43:51] [修正:2010-03-23 23:14:53] [このレビューのURL]

 少年マンガ史上の唯一無二の天才、荒木飛呂彦先生の代表作と言えばやはりみんな大好き「ジョジョの奇妙な冒険」だが、その個性的すぎる作風が仇となって一見さんにはやや敷居の高い作品となってしまっている部分があるのは否めないだろう。むろん第一部から順を追って読んでいけばいいだけの話だが、20年来に及ぶ長大なボリュームを前に尻込みする人も多いのではないか。

 そんな場合に荒木入門として真っ先におすすめしたいのが本作「バオー来訪者」である。すでにさんざん言われてきた事だが、

・正統派で感情移入のしやすい主人公と物語展開。

・一方で特異なキャラクターデザインやセリフ回しなどの、作者ならではの無二の個性も味わえる。

・何より幸か不幸か単行本2巻足らずのボリュームの為に読みやすく、かつ物語的にもきれいにまとまっている。

 などの理由のおかげで、荒木初心者にもある程度安心してお勧めしやすい作品には仕上がっている。

 しかしッ、短かろうと読みやすかろうと荒木は荒木、上記のような理由だけで本作の魅力を語りきれるとは無論思っていないッ!個人的に本作に強く惹かれたのは、本作が「仮面ライダー」に代表される”異形者”としてのヒーローの格好良さと悲しみを、実にスマートに継承していたからである。

「悪の秘密組織の人体実験により誕生した悲劇の改造人間が悪と戦う」という仮面ライダー以来の伝統を色濃く受け継ぐ本作だが、荒木飛呂彦はそこに様々なSF的意匠をふんだんに盛り込むことでそんなヒーロー像を見事に描き直してみせた。(本作が連載されていた80年代中期、仮面ライダーシリーズは休止状態だった。)

 生物兵器を体内に寄生させ、それの放つ分泌液によって促される”変身”の原理。そして変身を「武装化現象(アームド・フェノメノン)」と呼称するこのセンス。これらに端的に表れているSFマインドが本作を単なる「北斗の拳もどき」以上の作品に仕上げており、変身ヒーローに付いて回るある種の野暮ったさを見事に解消している。一方で、不気味な寄生生物「バオー虫」にも見られるように、バオーは格好良さと不気味さの同居したキャラでもあり、安らぎの中にもどこか悲しみの残る最終回の余韻と併せて、石ノ森章太郎以来の「悲しき異形者としてのヒーロー」の魅力を再確認する事もできる。

 また注目すべきはバオーのキャラクターデザインである。バオーはしつこく語ってきたように”変身”するヒーローだが、顔や皮膚が分泌液の作用で異形と化す一方、服装は変身前の少年、橋沢育朗の普段着のままなのである。優れたデザインのおかげで違和感なく仕上がっているが、仮面ライダーなどとの一番の違いはそこだろう。昔のヒーローとは特殊なコスチュームを身にまとったり巨大化したりするものだったが、近年はどこにでもいそうな普通の少年少女が、普段着のまま超能力を駆使したりして戦う作品の方が少年誌には多い。「ジョジョ」の波紋やスタンドもそんな系譜に属するが、バオーのデザインにはそんな新旧のヒーロー像の混交が見て取れる。そういう面からも興味深い作品ではある。

 前述のSF的意匠や作者特有のセンスが当時の大多数の読者には受け入れられにくかったのか、本作は短期間で連載を終えた。しかしその個性ゆえに少なからぬ熱狂的なファンも獲得し、それが後のジョジョ人気や現在の「能力系バトル漫画」の人気にも連なっていく事となった。
 わずか2巻たらずのボリュームの中に、実に様々な魅力の凝集した豊穣で味わい深い一作である。魔人ウォーケンのように明らかにどこかの漫画キャラのそっくりさんも出てくるが、現在「唯一無二の孤高の天才」の地位を確立し、他の漫画でもさんざんネタにされたりパロディされたりする荒木先生も、若い頃は他作品のマネをしていたというのも微笑ましい話であるw

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-04 00:59:53] [修正:2010-03-04 23:14:03] [このレビューのURL]

※レビューは「シグルイ」に対する言及多数

 久しぶりに漫画をジャケ買いした。全身を甲冑で覆い表情を一切感じさせない不気味な騎士が読者に向けて槍を突き立てるという不吉なカバーイラストにまずやられた。西洋中世を舞台にした活劇というのも好みだったのでジャケ買いに及んでみた次第だ。

 どうやら中世”風”のファンタジーではなく、14世紀初頭のアルプス地方の争乱を描いた歴史ロマンらしかった。第一話を読み始めると、気高く美しくツンデレな亡国のお姫様と彼女を護る寡黙で屈強な騎士の逃避行が描かれていた。ああなるほど、そういう騎士道ロマンなんだな。うん、それなりに面白そうだ…。 

 ところが第一話を読み終わるや、そんな第一印象は見事にたたき壊されていた。な、な、な、なんという展開!この作品の意図する所とは?これはもしかして、あの残酷無惨時代劇漫画「シグルイ」の西洋版か?いずれにしても、とてつもない作品に巡り会ってしまった! 

 物語はオーストリア公国ハプスブルク家の圧政に対するアルプス地方の抵抗運動を下敷きに描かれる。タイトルにもある「狼の口」とは、アルプス地方からイタリアへと通じる関所の事で、物語はこの難攻不落の関所を突破しようと試みる反ハプスブルク勢力のドラマとなっている。
 しかし、狼の口に自ら飛び込む獲物の運命は決まっている。狼の口は一切の例外を認めず下される無慈悲な死の運命の象徴であり、かの関所をあずかる一見柔和な優男の代官ヴォルフォラム(一応主人公か?)は、冷徹非情な死神そのものとして異様な存在感を放っている。
「笑いは本来攻撃的なもの」とかのシグルイにはあったが、このヴォルフォラムが”獲物”を前にして口元をニヤリと歪ませる際の不穏さは筆舌に屈しがたい。物語全体の通奏底音として、終始こんな異様な迫力が作品を支えている。

 では残酷で重苦しくて読みにくいかと言われれば、必ずしもそうではない。キャラデザインなんかはかなり今風で女性キャラも美しいし、過剰にスプラッタ趣味の残虐表現は抑えられているので内蔵とか目鼻とかが飛び散るような表現が苦手な人も読めるだろう。一方で絵柄はかなり特徴的で個性がある。黒と白のコントラストが鮮やかで輪郭は力強く、中世の木版画を思わせる絵柄であり、作品の雰囲気にもよく合っている。
  表現に関してもう一つ注目したいのは「血」や「涙」といった感情表現と結びつく体液が、非情に”重み”を持って描かれている点だろう。これはこの作品のテーマにも結びつくものが感じられる。中世人にとって血と涙は、我々現代人が考える以上に重要な意味を持つイコンであった。

 上の方で自分はこの漫画を「西洋版シグルイ」と言った。確かに一話を読み終えた時はそう感じたが、第一巻を読み終えた頃にはそんな第一印象は次第に変化しつつある。 「残酷な死の宿命にはかなく翻弄される人々」というモチーフは共通しているが、シグルイが空しさや諦観を感じさせるのに対してこちらの狼の口は、たとえ幾重の屍を積み重ねようともどれだけ血や涙を流そうとも、それでもなおあがき続ける強烈な前進への意志が感じられる。シグルイが様々な登場人物やプロットを用いつつも最終的には一対の剣士達の宿命・因果に収斂していくのに対し、本作の物語はいずれ大きな歴史的なうねりにまで拡大していく事が予感される。
 第一巻収録の最終話である第三話では、狼の口の象徴する死の運命に、ほんのわずかだが綻びが穿たれた。いずれこの綻びは次第に大きなものとなり、物語を前へ前へと押し進めていく事となるだろう。そこに神の意志のようなものまで表現させる事ができたなら、本作は真の傑作となる、かも知れない。

 前門の虎後門の狼、今後が楽しみな残酷無惨活劇である。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-02-22 00:17:05] [修正:2010-02-22 23:12:40] [このレビューのURL]

漫画の世界では、古くから(美)少年同士の同性愛的関係を描いた作品が、主として女性ファンによる二次創作作品などで多く発表され、それらは隠語的に「やおい」と呼ばれてきた。(近年ではボーイズラブということも多いけど)

腐女子の皆様方の活躍もあって現在ではかなり一般への認知度も高まってきたやおい文化だが、この言葉の語源は、一説では

ヤマ無し(山場無し)
オチ無し
意味無し

というニュアンスから来ているのだという。美少年同士の絡みを描くことを最優先し、物語的な必然性とか意味とか、そういう要素は二の次である事への自嘲であろう。


さて、この「ペンギン娘」だが、本作はそういう言葉の真の意味において紛れもないやおい作品である。
なんか「ペンギン」とか「択捉」とか「イルカ」とか言う名前の美少女達がセクハラしあう”だけ”の内容であり、山場は少なく、落ちにも欠け、無論のこと意味など求めようとすること自体無意味である。
それでもギャグが面白かったりすればまだいいが、本作に関しては、それすら。清々しいほどに何も残らなかった。

ついに我々は、美少年同士でなく美少女同士でもやおいを成立させられる領域に来てしまったのだ……!

いや、それで充分だろ、他に何かいるの?という境地で読めば、まぁ楽しめなくもないかも知れない。無意味であっても無価値ではなかろうが、今の自分にはまだ無理な話だである。色々な意味で修行が足らないというかまだ青いというか。

同じチャンピオンの海洋生物娘漫画である「侵略!イカ娘」はあれほど気に入ったのに、この違いは一体?

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-01-11 23:19:39] [修正:2010-01-12 00:43:20] [このレビューのURL]

なるほど、これは万人にお勧めしたくなる良作スポーツ漫画だ。

チャンピオンのお家芸である自転車競技をテーマに据えつつ、オタク趣味の草食系メガネ男子を主役に据えることで本誌特有のアクの強さをゆるめることに成功しており、間口の広い作品となっている。
根性だ熱血だといった価値観から遠く離れた位置にいたはずの少年、小野田坂道は、しかし「アキバにタダで行けるから」というそれだけの理由から千葉県-秋葉原間往復90kmの道のりを幼少期からママチャリ転がし続けてきた。
運動音痴で人付き合いも苦手だったそんな少年がしかし知らずに蓄積し続けた才能の片鱗が、高校入学の新たな出会いを経て一気に爆発する展開はベタだが熱いものがあり、また三つ子の魂も何とやらでそのように才能を開花させた後も萌えオタクとしての本分を忘れず鼻歌(アニソン)を口ずさみながら箱根の山を駆け登る主人公の姿は別の意味で頼もしく、またある種の不気味な怪物性(凄み)を見せつけている。主人公の常人離れした天才性の発露を、まさかアニソン鼻歌で表現してしまうとは!
そしてそんな不気味さもしかしナチュラルに受け流せてしまいたくなるような爽やかさも活写されており、作者の優れたバランス感覚が冴え渡っている。バランス感覚と言えば、体育会系的ノリから距離をとる一方で努力や根性を否定しないあたりも巧い。

そんなわけで連載開始当初から面白がって読んできた一方で、チャンピオンらしいアクの強さももうちょっと欲しいなぁと贅沢な不満を抱いていた。いささか優等生的すぎてチャンピオンらしさが足りないというか何というか…。

ところが、そんなある日のこと、いよいよインターハイ編がスタートした丁度その頃…!!

「弱泉くんや。 キモッ!キモキモキモキモッ!」

「アブ(腹筋)!アブ(腹筋)!アブアブアブアブアヴィィィィィ!」

三つ子の魂何とやら。やはりチャンピオン漫画はチャンピオン漫画なのであった。今後も楽しんで読もうと思います。




ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-01-06 23:54:20] [修正:2010-01-07 00:03:01] [このレビューのURL]

6点 犬夜叉

漫画史にその名を残すであろう天才の高橋留美子が挑んだ初の本格長編バトルファンタジー漫画は、商業的にはともかく作品的にはお世辞にも成功したとは言いがたかった。

既に多く語られているように、とにかく無駄に展開が長く、描写の淡泊さも相まって冗長なイメージの作品になってしまい、「うる星やつら」や「らんま1/2」以来の古参のファンからは駄作であると見なされる事も多い。実際自分も読んでる途中で飽きが来て作品からしばらく離れることも多かったし、全体を通してこれはという印象的なシーンを思い出せないことも多い。
しかし、それでもこの作品は高橋留美子の長いキャリアの中でも重要な位置を最終的には占める事になったと思う。そう感じたのは、最終回があまりにも従来の高橋作品の雰囲気からは異質であり、同時に一つの到達点をも感じさせるものだったからだ。

これまでの高橋作品は「終わらない青春という名のワンダーランド」を描いてきた。登場キャラ達は年を取らずに何度もループする永遠の少年少女達であり、作品内でキャラ同士が思いを育みあっていっても「結婚」や「卒業」といった断絶は描かれない。ラブコメの金字塔「めぞん一刻」ではキャラはリアルに年を取って主人公とヒロインはラストで結ばれるが、それでも最終回に互いの青春ドラマの舞台であったアパートの一刻館に戻っており、やはり明確な断絶とはなっていない。
ところがシリアス路線で描かれた本作「犬夜叉」は違った。現代生まれのヒロインのかごめは現代日本(日常)と物語の舞台となる魑魅魍魎のはびこる戦国時代を自在に行き来するが、彼女の持つ二つの世界は本質的に相容れはしない。家族のいるこの世と愛する男(犬夜叉)のいるあちら、二つの世界のどちらかをいずれは選択を迫られることは物語当初から予感させられていたが、最終回で彼女がとった行動とは…。

最終回。現代日本に帰還し、家族や友人達と平穏な日々をしばし送った後、かごめは愛する家族に別れを告げて犬夜叉のいる戦国の世へ自らの意志で”嫁いで”いったのである。
作中明言こそされていないが、残された家族の表情から察するに、二度と戻れないことはおそらく承知の上で。

かつて嫁入りとは女が自分を育ててくれた家族に別れを告げて夫の家の一員となることを意味していた。下手すれば二度と実家の敷居をまたがない覚悟が問われたのである。勿論こんな結婚観はフェミニズムの見地からも現代は崩れつつあるが、かつてあれほど軽妙なラブコメを描いてきた高橋留美子が少年詞向け作品でこのような「嫁入り」を描いたことは特筆に値する。(「炎トリッパー」というささやかな前例もあるけどね。)
そしてこの嫁入りが昔のそれと違っていたのは、決して家同士の決めごとによるものではなく、ヒロインであるかごめの強い想いと決意に基づいて行われたという事実。

高橋作品で昔から描かれてきたテーマに「戦って勝ち取る恋」「受け身じゃない強い女性」というものがあった。特に彼女の描くアグレッシブで強い女性キャラが漫画界に与えた影響は良くも悪くも計り知れないだろう。
かごめもそんな系譜に属するヒロインだったが、二度と住み慣れた日常に戻れぬことを覚悟して貧しく危険な戦国の世で愛する男と沿い遂げることを最終的に選択して恋を成就させた彼女の精神的な強さは、これまでの高橋作品の女性のみならずその他の寸止めラブコメ諸作品のそれと比較しても、際だって強い。
正直に言って、この最終回だけでこれまでのグダグダが全てどうでもよくなるほどの何にも言いがたい感慨に包まれた。

全体的に見ても傑作とは言いがたい部分が多いが、これまでの、そしてこれからの高橋留美子を考える上で重要な作品となったには違いないのだ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-11-28 23:47:29] [修正:2009-11-29 01:41:08] [このレビューのURL]

かつて週刊少年マガジンの創刊号の表紙を飾ったのが名横綱の大鵬であったように、力士は強さの象徴、男の子のあこがれだった時代が確かにあった。しかし、少年マンガの世界においては相撲をテーマにした漫画の成功例は少ない気がする。これは決して相撲人気そのものの低迷だけが原因ではないだろう。

まず第一に大相撲の世界はスポーツ・格闘技であると同時に神事でもあるので、そのあたりの伝統や習慣も描かなければならないところが面倒である。第二に世俗を超越した厳しい世界なので、その辺をリアルに描こうとするとどうしても陰惨になってしまうせいもあるだろう。(傑作「うっちゃれ五所瓦」は高校相撲を舞台にすることでその辺の問題を解決していた。)
なにより、ビジュアルの問題がある。いかに美化しようとも、ちょんまげ結ってふんどし締めたデブ同士が熱い抱擁を交わすという画の暑苦しさはいかんともしがたい。華麗な打撃技や蹴り技の応酬もないし「気」とかの使用などもってのほかである。

このように正攻法で描くことが非常に難しい題材のため、近年の少年向け相撲漫画というと、たとえば主人公の見た目をおもいっきりコミカルにしたりホモっ気のある変態にしたり、現役大関と弱小高校生の心と体が入れ替わっちゃったり等等、どちらかとうと正攻法とは違う絡め手なアプローチから相撲を描く作品が多かった印象がある。

ところが今年になってチャンピオンで始まった本作「バチバチ」は、「こざいくむよう タフすぎてそんはない」といわんばかりのど直球ストレートな相撲漫画である。そしてそれがかえって新鮮にすら感じた。

この漫画、本当に新奇なことはなにもしていない。物語はかつて不遇の死を遂げた大関を父に持つ息子が因縁渦巻く大相撲の世界へ殴り込みをかけるという王道なもので、相撲部屋での厳しい体育会系的シゴキもむろん手心加えず描かれる。登場する力士の多くはまだ幕下ということもあって細身のアスリート体型が多いが、じきに見た目暑苦しい巨漢がおおくうごめく世界となるだろう。主人公の性格もよく言えば愚直な不器用で、コミカルさなどみじんもない。

だが、ここが重要なのだが、それほどオースドックスな作りに関わらず、作者の力量によるものだろうがとにかく手に汗を握るほどに面白い。大ゴマの使い方も良い意味で堂に入っており、登場人物の表情の描き分けも実にうまい。テレビでは一瞬に見える相撲の取り組みの一挙一投足も豪快かつ緻密に描かれており、見ていて格好いいのだ。決して勢いに任せて描かれただけの作品ではないのである。「死んで生きれるか!」に象徴される不器用だがアツい台詞の数々もいい。

このように連載開始早々から非常に勢いのよい作品だが、それゆえに不安もある。まだ物語は始まったばかりで主人公はまげすら結っていない状態なので、そんな序盤からこんなにテンションMAXで先がもつのかというやや贅沢な不安を拭いきれないが、今後も安定した取り組みを続けていってくれることを願ってやまない。

それと、数は少ないが女の子キャラがとてもカワイイのも忘れてはいけないポイントである。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-11-10 23:07:45] [修正:2009-11-10 23:27:37] [このレビューのURL]

6点 日常

簡素な萌え系の絵柄で女子高生の何気ないが不条理な日常を描いたギャグ漫画…という、最近よくあるタイプの作品である。実際1巻を読んでみた際の第一印象はその程度のもので、あまり面白いとも斬新だとも思わなかった。背中にゼンマイ付けたロボ女子高生とかすぐ銃器を持ち出すツンデレ女とか鹿と格闘する校長先生とか、そういうちょっと妙なキャラ達を配置して

「どうです?日常に潜む不条理がよく描けているでしょ?」

とか言われてもなー、とちょっと困惑したりしてしまったものである。


しかし、それでもその作風とそのものズバリな「日常」というタイトルに何か引っかかる物を感じてその後も読んで見た所、”日常”という言葉をキーワードとしてみた場合本作はかなり面白いギャグ漫画ではないかと思うようになってきた。

本作のギャグは構図やコマ割・セリフの反復を多用したものが多い。中には時々別の話で使用したネタや構図をシチュエーションを変えてまた再利用、なんていう荒技もあるくらいだ。方向性はまるで違うが漫☆画太郎のセンスに近いものまで感じてしまったりもする。

反復・繰り返し、そう、つまりは”日常”である。日常と平凡は同義語ではない。どんなにシュールな状況でも、それが何度も繰り返されれば立派な日常の出来上がりである。そしてこの漫画はそういう作業を延々スタコラと積み重ねている。うまいな〜と思うのは、前の話で使用した小ネタや小道具が思わぬ形で別の話に尾を引いたり、背景の何気ないヒトコマが別の話とリンクしていたり、と奇妙な事柄を積み上げ、つなぎ合わせていくことによって次第にその”日常ワールド”のパズルのピースが埋まっていくかのような妙な快感を感じてしまう点である。これはなかなか簡素に見えて手の込んだ作りに思える。

またうまいな〜と思うのは絵柄である。一見すると中学生でも描けそうなくらい単調な感じの萌え絵だが、時々演出として使用される連続写真のようにキャラの動きを分解してみせる表現や、単行本の表紙に見られるような斜め構図で大量の小物を書き込む描写など、地味に非凡な才能を感じてしまった。
これもやはり方向性は全く違うが、大友克洋に近いセンスまで感じてしまったりする。

それと、景清だけに「ムカデがムカッデくる」には激しくわらってよりとも。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-05-10 19:35:48] [修正:2009-05-10 19:35:48] [このレビューのURL]