「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

6点 犬夜叉

漫画史にその名を残すであろう天才の高橋留美子が挑んだ初の本格長編バトルファンタジー漫画は、商業的にはともかく作品的にはお世辞にも成功したとは言いがたかった。

既に多く語られているように、とにかく無駄に展開が長く、描写の淡泊さも相まって冗長なイメージの作品になってしまい、「うる星やつら」や「らんま1/2」以来の古参のファンからは駄作であると見なされる事も多い。実際自分も読んでる途中で飽きが来て作品からしばらく離れることも多かったし、全体を通してこれはという印象的なシーンを思い出せないことも多い。
しかし、それでもこの作品は高橋留美子の長いキャリアの中でも重要な位置を最終的には占める事になったと思う。そう感じたのは、最終回があまりにも従来の高橋作品の雰囲気からは異質であり、同時に一つの到達点をも感じさせるものだったからだ。

これまでの高橋作品は「終わらない青春という名のワンダーランド」を描いてきた。登場キャラ達は年を取らずに何度もループする永遠の少年少女達であり、作品内でキャラ同士が思いを育みあっていっても「結婚」や「卒業」といった断絶は描かれない。ラブコメの金字塔「めぞん一刻」ではキャラはリアルに年を取って主人公とヒロインはラストで結ばれるが、それでも最終回に互いの青春ドラマの舞台であったアパートの一刻館に戻っており、やはり明確な断絶とはなっていない。
ところがシリアス路線で描かれた本作「犬夜叉」は違った。現代生まれのヒロインのかごめは現代日本(日常)と物語の舞台となる魑魅魍魎のはびこる戦国時代を自在に行き来するが、彼女の持つ二つの世界は本質的に相容れはしない。家族のいるこの世と愛する男(犬夜叉)のいるあちら、二つの世界のどちらかをいずれは選択を迫られることは物語当初から予感させられていたが、最終回で彼女がとった行動とは…。

最終回。現代日本に帰還し、家族や友人達と平穏な日々をしばし送った後、かごめは愛する家族に別れを告げて犬夜叉のいる戦国の世へ自らの意志で”嫁いで”いったのである。
作中明言こそされていないが、残された家族の表情から察するに、二度と戻れないことはおそらく承知の上で。

かつて嫁入りとは女が自分を育ててくれた家族に別れを告げて夫の家の一員となることを意味していた。下手すれば二度と実家の敷居をまたがない覚悟が問われたのである。勿論こんな結婚観はフェミニズムの見地からも現代は崩れつつあるが、かつてあれほど軽妙なラブコメを描いてきた高橋留美子が少年詞向け作品でこのような「嫁入り」を描いたことは特筆に値する。(「炎トリッパー」というささやかな前例もあるけどね。)
そしてこの嫁入りが昔のそれと違っていたのは、決して家同士の決めごとによるものではなく、ヒロインであるかごめの強い想いと決意に基づいて行われたという事実。

高橋作品で昔から描かれてきたテーマに「戦って勝ち取る恋」「受け身じゃない強い女性」というものがあった。特に彼女の描くアグレッシブで強い女性キャラが漫画界に与えた影響は良くも悪くも計り知れないだろう。
かごめもそんな系譜に属するヒロインだったが、二度と住み慣れた日常に戻れぬことを覚悟して貧しく危険な戦国の世で愛する男と沿い遂げることを最終的に選択して恋を成就させた彼女の精神的な強さは、これまでの高橋作品の女性のみならずその他の寸止めラブコメ諸作品のそれと比較しても、際だって強い。
正直に言って、この最終回だけでこれまでのグダグダが全てどうでもよくなるほどの何にも言いがたい感慨に包まれた。

全体的に見ても傑作とは言いがたい部分が多いが、これまでの、そしてこれからの高橋留美子を考える上で重要な作品となったには違いないのだ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-11-28 23:47:29] [修正:2009-11-29 01:41:08] [このレビューのURL]

6点 日常

簡素な萌え系の絵柄で女子高生の何気ないが不条理な日常を描いたギャグ漫画…という、最近よくあるタイプの作品である。実際1巻を読んでみた際の第一印象はその程度のもので、あまり面白いとも斬新だとも思わなかった。背中にゼンマイ付けたロボ女子高生とかすぐ銃器を持ち出すツンデレ女とか鹿と格闘する校長先生とか、そういうちょっと妙なキャラ達を配置して

「どうです?日常に潜む不条理がよく描けているでしょ?」

とか言われてもなー、とちょっと困惑したりしてしまったものである。


しかし、それでもその作風とそのものズバリな「日常」というタイトルに何か引っかかる物を感じてその後も読んで見た所、”日常”という言葉をキーワードとしてみた場合本作はかなり面白いギャグ漫画ではないかと思うようになってきた。

本作のギャグは構図やコマ割・セリフの反復を多用したものが多い。中には時々別の話で使用したネタや構図をシチュエーションを変えてまた再利用、なんていう荒技もあるくらいだ。方向性はまるで違うが漫☆画太郎のセンスに近いものまで感じてしまったりもする。

反復・繰り返し、そう、つまりは”日常”である。日常と平凡は同義語ではない。どんなにシュールな状況でも、それが何度も繰り返されれば立派な日常の出来上がりである。そしてこの漫画はそういう作業を延々スタコラと積み重ねている。うまいな〜と思うのは、前の話で使用した小ネタや小道具が思わぬ形で別の話に尾を引いたり、背景の何気ないヒトコマが別の話とリンクしていたり、と奇妙な事柄を積み上げ、つなぎ合わせていくことによって次第にその”日常ワールド”のパズルのピースが埋まっていくかのような妙な快感を感じてしまう点である。これはなかなか簡素に見えて手の込んだ作りに思える。

またうまいな〜と思うのは絵柄である。一見すると中学生でも描けそうなくらい単調な感じの萌え絵だが、時々演出として使用される連続写真のようにキャラの動きを分解してみせる表現や、単行本の表紙に見られるような斜め構図で大量の小物を書き込む描写など、地味に非凡な才能を感じてしまった。
これもやはり方向性は全く違うが、大友克洋に近いセンスまで感じてしまったりする。

それと、景清だけに「ムカデがムカッデくる」には激しくわらってよりとも。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-05-10 19:35:48] [修正:2009-05-10 19:35:48] [このレビューのURL]

 この漫画はそれなりに萌えもしたが、そんなに好きという訳でもない。この何ともまったりとした中庸な雰囲気の作風がどうにも最後まで合わなかったからなのだが、それでもこの漫画のキャラ造形の上手さには素直に凄いと思える部分が多々あった。
 語られつくした感のある美少女達のことではなく、変態国語教師にして我等の憧れ、古典の木村先生(愛称キムリン)の事である。
 この漫画の舞台は共学高だが、男子生徒の存在が物語のメインに絡む事は基本的に無く、まさしく作中において男子は空気であった。これは、下手に男子を物語に絡ませると予期せぬラブコメ展開など下世話な方向に話の流れが歪曲し、この理想郷のようなまったり女の子空間の心地よさが壊れてしまう事を防ぐための配慮であり、それゆえにこの漫画が後に花咲く百合ブームの萌芽であったと言われる所以でもある。(この漫画自体は百合成分は一部のキャラを除き希薄) 長身痩躯、怪しく光る白眼鏡、男性古典教師の木村先生はそんな空間にぽっつりと出現する特異点であり、この漫画の文字通りキーマンであった。彼抜きのあずまんがなど自分には考えられないくらいに。
 木村先生はまず自分の欲望を隠す事無く「女子高生とか好きだからー」と絶叫し、主役陣の女の子グループに堂々とストーキングを仕掛ける変態だが、作品を破綻させるような暴挙をお犯さぬ程度に分はわきまえており、基本的にはメインのおんなのこたちの楽しそうな毎日を横から眺めるスタンスに留まる。一見行き当たりばったりで変態的な行為にも(実際変態だが)きちんと筋は通しておりある意味漢らしい。何より古典教師としてある程度の学識、地位を備え、自分を慕ってくれる天使のような美しい嫁さんと利発そうな娘さんまでいる始末。女の子達への愛情溢れるストーキングぶりもそんな余裕の現れなのだろう。
 このキャラ造形、何かを彷彿とさせはしまいか。この漫画を微笑ましそうに眺める文系男性オタク諸氏の(やや自虐もこめた)理想像の一つではないか?そういう観点から木村先生を眺めていると、この漫画への感情移入が(木村アイを通じて)何倍にも高まって行ったのだ…。まさしくあずマジックと言った所である。
 
 とにもかくにも木村先生がいない事にはこの漫画、読む気もしなかった。これは紛れも無い事実である。
 

ナイスレビュー: 3

[投稿:2006-11-13 23:04:26] [修正:2006-11-13 23:04:26] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

 元々相原コージは「勝手にシロクマ」などの優れた動物ギャグ漫画を世に出しており、本作もその系譜に属する最新作であると思う。
 しかしその内容たるや凄絶の一言。「史上最強の動物は誰だ?」の副題の示すように、描線はストレートかつギャグテイストで話のコンセプト自体は非常に馬鹿馬鹿しいものの、繰り広げられる物言う異”種”動物達のバーリトゥードゥは文字通り血で血を洗う凄まじさ。当然リアリティはないが。
 第一回戦で人間界最強の格闘王(一応主人公…なのか?)をカバが一瞬で喰い殺したのを皮切りに、アナコンダ対ヒクイドリ、ライオン対サイ、シマウマ対ワニ……と、滅多にお目にかかれぬありえない展開の連続砲火。人語を操る動物たちがコミカルに描かれている分、そのバトルの凄惨さとのギャップが物凄く、ある意味ギャグ的でさえもある。

 とりあえず2巻に収録された、絶対無敵の捕食者であるワニに対して「食物連鎖に階級闘争を挑んだ」革命家シマウマ(命名:チェ・ゼブラ!)の狂気と妄執に彩られた死闘の迫力はそのショッキングな結末も含めて凡百のバトル漫画(格闘マンガではないよ?)を上回っていると思うので、気になる方はそこだけでも読んでみては?

 作品ペースが遅いので、バキの最大トーナメントみたいにきちんと描ききられるかどうか非常に不安な今日この頃です。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2006-04-08 13:39:19] [修正:2006-04-08 13:39:19] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

80年代と共に在った漫画。
主人公はアンドロイドで脇役も変人ばかり、世界征服を企むマッドサイエンティストやら美少女幽霊やらも巻き込んで平穏な学園生活は上を下への大騒動……という体裁の、いかにも80年代的な学園ギャグ漫画だが、そういう奇妙な設定のワリには全体を通じて事件らしい事件がほとんど起こっていない事に驚かされる。
まず主人公のアンドロイド「R・田中一郎」が最後までとぼけた役どころに終始してさしたる成長を見せなかったのをはじめ(ロボットだしね)、美少女キャラが多数登場するにも関わらずラブコメ的雰囲気は薄く、キャラはリアルに歳をとり(留年したRを除いてメインのサブキャラ達が連載中になんと卒業!)、その後も何事も無かったかのようにOBとしてひょっこり学園に顔を出したりする。
そもそも主人公一行の所属していた部活が「光画部」、つまり写真サークルなどという影薄い文系サークルであった事が象徴的で、一所懸命な体育会系とは違ったゆる〜いアプローチで様々な行事ごとに介入しては場をかき乱す姿が何とも馬鹿馬鹿しく、かつリアルだった。
作者は70〜80年代のアニメブームの渦中からこの業界に入ったオタク世代の長兄のような人なので、東宝特撮などのマニアックなギャグを(ゆるくさりげなくしかし濃く)封入しており、それがまたこの作品に奇妙な陰影を結果的に与えているように思う。
最終回付近では、Rを作ったご町内の天才科学者成原博士が世界征服の手始めに学校を占拠し、まるで大阪万博のパビリオンのような秘密基地を建造する。博士の危険な野望を阻止すべく春風高校光画部のOB・現役、その他彼らに関わった様々な奴らが力を合わせて戦う最終章は、あくまでギャグであり、かつ緊張感のかけらも無いゆるい雰囲気の中行われたが、それが却って何事も無かったけれども何故か無性に楽しかった狂騒の学生時代の終わりを痛切に感じさせて見事だった。秘密基地の中枢である太陽の塔もどきが崩壊していく様を見るにつけ、高校最後の学園祭が今終わろうとしている時にも似た無常観を感じたものである。
しかしエピローグで、OBとなってしまったメインキャラ達がそんな儚さを吹き飛ばすように現役のハイキングだか撮影旅行だかに同行し、変わらぬ間抜けっぷりを見せ付けて物語は終わる。最後までゆるくドラマティックさに欠けた、しかし確実な時の流れを掬い取って見せたこの漫画らしい最終回だった。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2006-01-14 00:29:17] [修正:2006-01-14 00:29:17] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

 以前、数年間だけではあった群馬県にほど近い北埼玉の某所に住んでいたことがある。当時はたいして意識することもなかったが、夏はうだるように暑く一転冬は吹雪に沈み、自転車に乗れば常に強烈な向かい風、食卓につけば味噌汁の代わりにすいとんが供され、そして、謎の「焼きまんじゅう」の看板…。今思えば、自分たちは知らず知らずのうちにグンマの洗礼にさらされていたのだ。

 近年、アニメや漫画とのコラボレーションによる町おこしの試みが地方自治体の間で盛んになっている。埼玉県鷲宮町の『らき☆すた』や茨城大洗町の『ガールズアンドパンツァー』のような華々しい成功例もあれば、千葉県鴨川市の『輪廻のラグランジュ』や岡山県倉敷市の『めくりめくる』のように大して話題にもならずに忘れ去られる事例も多い。(群馬県も地味に『日常』や『魔法少女まどか・マギカ』の舞台になっていたりもした。)
 勿論、作品を通じて特色ある地方文化の魅力が発信され、地域活性化につながるならばそれに越したことはない。
 が、以前『めくりめくる』をやや批判的にレビューした時から気になっていたのだが、これらの地方自治体と漫画・アニメ作品が公式のコラボを行う際に感じるあの歯が浮くような違和感。地域の文化的厚みや歴史性を軽視し、垢抜けた美少女やイケメンを絵になるような風景にねじ込み、機械的に土地の名物をささっと紹介すればそれでよしとするあの安易さ。生活と切り離された絵面。観光誘致が目的の一つである以上致し方ない部分はあるにせよ、これら地域コラボ作品がその地域にほんとうの意味で根ざした作品となる事は稀である。

 そういう経緯もあり、この『お前はまだグンマを知らない』にはかなり期待していた。
 まず表紙がいい。通常この類の作品のキービジュアルは地方の絵になる風景(いわゆる聖地)を背景に美少女などを配置するパターンが多いのだが、本作の場合は、恐怖と驚愕に顔を引きつらせる男子高校生…!
 本編の方も表紙のイメージを裏切ることはなく、チバ県からグンマ県に引っ越してきた平凡な男子高校生が、面白おかしく(過激でバイオレンスに)誇張されたグンマ文化の洗礼にさらされ始終顔をひきつらせまくる内容となっている。

曰くグンマ県民以外が焼きまんじゅうを食うとなんやかんやで死に至る。
曰くグンマ県民は戦車砲がぶっ放される自衛隊演習地で花見をする。
曰くグンマ県民とトチギ県民は戦争状態にある。
曰くグンマ県民は赤城おろしへの抵抗を通し大腿部が異形へと膨れ上がる etc

 いずれも、実在の群馬県の地域的な特色を問答無用に拡大解釈しネタ化させたものばかりで、そこには一般的な町おこしコラボ作品に目立つ、土地の生活から切り離された”風景”への執着は微塵もなく、かわりにバカさの中にも一端の地域の真実がかいま見える。
(作中のキャラがゃたらヤンキーじみた連中ばかりなのもそういう不都合(?)な真実の一端だったりする。)

 普通だったら、地元がこんな具合にネタ化されたら地元の人達はバカにしやがってと怒ったりもするかもしれないが、どうも群馬県民はそうでもないようだ。
 群馬県はご存知のようにネット上では「秘境グンマー」などとさんざんネタ県としていじられており、それが本作のような作品の成立背景ともなっているワケだが、群馬県民は怒るどころか県公認で藤岡弘を隊長に迎えた「群馬探検隊」を企画するなど、このグンマームーブメントを地域振興に活かそうとしているようである。そもそも作者の井田ヒロトも高崎在住のれっきとした群馬県民で、本作からも一周回った郷土愛が感じられるところもよい。
(同じネット上の県ネタでも「修羅の国 福岡」は色々シャレになっておらず地元も困惑しているようである。)

 地域ネタ作品のコンセプトとしては共感できる所も多い本作だったが、では漫画作品単体としての評価となると、残念ながら個人的には苦しい部分が多かった。
 グンマネタをハイテンションに演出することを心がけるあまり全体的にコマ割や作画が過剰演出に走りがちな反面、セリフ回しが説明口調でテンポは悪く総じて読みやすいとは言い難い。
 誇張されたグンマネタも、水沢うどんを立体機動よろしくぶん回す安直な『進撃の巨人』パロディなど滑っているとしか思えない寒い奴も多く、全体的に勢い任せ、ネタの洗練が足りていない印象を受けることが悔やまれる。

 それでも色々と変な可能性を感じる作品ではあるので、今後の作者の成長次第によっては繭を破っておカイコ様が飛び立つような奇跡が拝める日もくるかもしれない。心にググッと、グンマ県…!

ナイスレビュー: 1

[投稿:2014-09-04 23:49:35] [修正:2014-09-11 22:00:11] [このレビューのURL]

 TV版の放映開始から15年以上を経てもなお新作劇場版が作り続けられるなど、すっかり息の長い作品として定着した『新世紀エヴァンゲリオン』。本作『トニーたけざきのエヴァンゲリオン』は、このアニメ史に残る大人気&問題作を、『岸和田博士の科学的愛情』など高い画力で徹底的にくだらないネタを描き尽くす作風で知られるトニーたけざきによっていじり倒したエヴァンゲリオンのパロディギャグ漫画である。

 作者は以前もガンダムのパロデディギャグ漫画『トニーたけざきのガンダム漫画』において、原作のキャラクターデザインを務めた安彦良和の画風を忠実に再現しつつギャグ化するという離れ業を成立させた実績(前科)があった。
 表紙にはVHSビデオ版10巻のジャケット絵を彷彿とさせる構図でエヴァ初号機がラーメンを貪り喰うという実に素敵なデザイン。巻頭のカラーページの下らなさも文句なし。安彦良和ほどでは無いにせよ作者はオリジナルの貞本義行の画風をかなり忠実に再現できており、そこらへんのアンソロジーパロディ漫画とは格の違う作画力も堪能できるようにはなってはいる。下ネタやキャラ崩壊、実写特撮版ジャイアント・ロボなどのコアなパロディなど期待通り(?)の下らなさもそれなりに堪能できたのだが、全編に漂う何とも言えない”今更”感は残念ながら払拭されなかった。

 アニメ界においてエヴァが人気を極めた90年代後半、物語の結末・謎を一切放棄したあの衝撃的なTV版の最終回以降、ファンの狂熱は収拾不能な域に達しつつあった。物語の謎解きからキャラククターの精神分析、映像学的観点、オタク論やポストモダンなどなど様々なジャンルの関連本が鬼のように出版され、アンソロジーコミックもパロディギャグからラブコメにシリアス、「ボクの考えた真の最終回」、果ては18禁にやおいと公認から非公認までやはり収拾がつかなくなっていた。ゴッズインヒズヘブン、エンジェリックインパクト、失楽園、サマーチルドレン……。
 これらのアンソロ漫画の多くに共通していたのは悲劇的展開と投げっぱなしの結末に翻弄されたファン達の「真の結末は?」という飢餓感による異様なハイテンションのもたらず”祭り”感だった。そんな状態が1年余り続き、物語の真の決着を切望するファン達の飢えた口中に全力で泥団子を突っ込んだ旧劇場版の阿鼻叫喚を経てエヴァブームも次第に収束、アニメ業界も平穏を取り戻していった。

 本作には残念ながら当時ほどの狂熱を感じることは出来なかった。やはり第1次エヴァブームから時間が経ち既にエヴァが一つのネタとして定着し、パチンコになったり他作品などでもさんざんパロディされ消費しつくされてきたというのもあるし、近年公開されている新劇場版で、往時のファンが夢見たようなそれこそ同人誌的な超展開が原作者自らの手により実現されつつある事もその理由だろう。自分が年をとったからというのもあるのかも知れない。
 本作が90年代後半当時、『岸和田博士』の合間に発表されていたら伝説的パロディ漫画になったかも知れないのだが。

「エヴァの半分は「エロと裸体」でできているんだぁー!!」←これは至言だった。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-11-27 22:40:02] [修正:2011-12-10 17:07:37] [このレビューのURL]

(※現在発売中の単行本1巻のみの内容に基づいたレビューです。)
一人暮らしの独身男性の頭上に謎の少女が降ってくるという導入からなる落ちモノ系コメディ漫画だが、この手の漫画は主としてラブコメ作品などで古くから量産されまくってきた為、変化球と言うか作者の照れ隠しと言おうか、他のそっち系漫画とは一線を画した奇妙な設定がまず印象的だ。

 主人公の男性は気弱で普通の男子学生などではなく羽振りのいいヤクザの若い衆で、一方空から降ってきた謎の少女は念動力を駆使しイクラ丼に異常な執着を燃やす綾波系無表情超能力少女、ヤクザxサイキック少女というヘンな組み合わせに勝るとも劣らず作品の雰囲気もアウトロー物らしいブラックさと相反するようなアホな脱力具合とズレたアットホームさがうまい塩梅で融合しておりなかなか面白い。
 主人公のヤクザを下手に「実はいい人」に貶める事無く、かつひょんなことからハタ迷惑な能力使いと同居することになった苦労人としての側面を強調する事で一癖ある存在感を発揮させており、一方で物語のキーパーソンである謎のサイキック少女”ヒナ”もズレた言動と破壊的なマイペースさで物語の台風の目として周囲を思う存分引っ掻き回す様が見ていて爽快、ただ、しかし…。


 世間から後ろ指さされる身の上の男性の元に突然ハタ迷惑な能力使いの無表情少女が降ってくるという設定といい、ブラックさと脱力さを融合させた展開を売りとする点といい、なんとなく似ている気がするのだ、沙村広明による落ちモノコメディ史上の大怪作『ハルシオン・ランチ』に、色々と…。しかも残念ながら1巻を読んだ時点ではネタのシュールさ、奇想天外さ、インパクト等様々な点でまだまだ『ハルシオン・ランチ』には遠く及んでいない印象を受けた。作品の方向性の違いといえばそれまでなのだが。

 それでもら2巻以降は何やらライバルの超能力少女も登場して派手な能力系バトルが展開されたりするらしく、まだまだ物語の核心部分も見えないままなので、今後の展開如何によってはこの手の作品としても独自の境地に達する可能性はある。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-09-30 00:20:04] [修正:2011-10-01 00:28:23] [このレビューのURL]

 数年前、本作『重機人間ユンボル』の第1話を週刊少年ジャンプ誌上で読んだ時のあの高揚感は今でも鮮烈に憶えている。元々作者である武井宏之のファンという訳ではなく、『仏ゾーン』も『シャーマンキング』も真面目に読んだことはあまり無かったが、『ユンボル』には新鮮さと懐かしさが入り交じり、なおかつ現代的な洒落っ気を加えてさらに一捻りさせたような独特な面白さがあったのだ。
 昔は少年誌で多く見られたが現在はあまりお目にかかれないジャンルに、ロボットやサイボーグなどメカの魅力を前面に出すSFアクションがある。テレビアニメの世界にしても昔は多かった子供向けのロボットアニメも現在はめっきり減ってしまった。そういうご時世だからこそ、メカの魅力を再発掘しようとした本作の登場は非常に新鮮だったし、ショベルカーやクレーン車などの「はたらくじどうしゃ」が大好きだった幼少期の懐かしさも相まって、それこそ子供のように胸が高鳴った。

 『重機人間ユンボル』というタイトルにもある通り、本作の世界観やデザインのコンセプトは「土木工事」と「重機」のイメージで統一されている。一般的なメカアクション漫画との最大の違いはそこだろう。大災害により崩壊しつくされた世界で、それでも再建を願う人々により“世界の工事”(再建)が進められる大工事時代を舞台に、ショベルカーやドリルなど重機の力を身にまとった改造人間ユンボル(語源は無論ユンボ)達の戦いを描いたSFファンタジーアクション超大作!
 …なんか「微妙にカッコ悪い」と思う人もいるだろう。ごく自然な反応である。土木工事というと“臭い”“汚い”“きつい”のいわゆる3K職業の象徴だし、近年のエコ熱の高まりから、山を崩したり森を切り開いたりといった土木工事は環境破壊の象徴のように捉えられることが(漫画世界においても)多かった。
 では本作においてはというと、土木工事とは世界の再建を担う聖戦であり、人と自然を結びつける象徴として再定義される。まさに災厄に立ち向かう人の意思の強さの表れそのものとなったのだ。今にも中島みゆきの「地上の星」が聴こえてきそうな超解釈である。
 土木工事に付いて回る泥臭くて野暮ったいイメージも一種のギャグとしてネーミングに活用され、上述の「ユンボル」をはじめ、「ドヴォーク(土木)国」「首都ツメシオ(詰所)」、「ゲンバー(現場)大王」、人類復興の鍵を握る無限エネルギーを秘めた「ユデン(油田)の薗」などなど、ギャグっぽいが逆に感心するようなネーミング・設定が続出して土木工事というモチーフをネタ的にもストーリー的にもうまく処理することに成功したのだ。ああ、格好悪いことはなんと格好いいのだろう。
 極めつけはユンボル達の操る戦闘術「工法(クンポー)」だ。まるで動物の動きを模した中国拳法の形意拳のように、「ショベルのかまえ」「ブレードのかまえ」「シールドのかまえ」と現実の重機をイメージした戦闘術。ここにきてメカと土木工事は、格闘技やファンタジーとさえ融合を見せた。子供の頃、工事現場で働く重機達を飽きずに眺め続けた時に感じたあのプリミティブなかっこよさが、あまりにも意外な形で復活したため、もう本作には本当にメロメロになった。メカデザインの充実っぷりや戦闘シーンの派手な演出からも作者の気合は存分に感じられ、応援せずにはいられなかったのである。

 だ、が、結果的には無念の10週打ち切りでOWATTE SHIMATTA……

 いや、思い当たるフシは色々とあるのだ。戦闘シーンの演出が大振りすぎて何が起こってるのかよく伝わらないとか、いくらショタキャラが人気だからって、主人公を大人の心を持った5歳児にしたのはやり過ぎだろうとか、ネーミングをはじめセンスがぶっ飛びすぎて大方の読者を置いてけぼりにしたのではとか、近頃の少年少女には「はたらくじどうしゃ」の魅力が昔ほどは感じられなくなってるのかも知れんとか。徐々に掲載位置が後退していく様をハラハラ見守りながら、色々と不穏な思いが交錯したりしたのだ。なんかすごい勢いで設定解説が始まった連載後半に悪い予感は更に高まり、そして遂に現場主義のラスボスのゲンバー大王が主人公一行の前に登場→粉砕!俺達の戦いはここからだぁ、蜜柑!もうペンペン草も生えないほどの見事な打ち切りっぷり。

 決して悪い作品ではなかった。ジャンプ編集部にもう少し長期的な展望があればあるいは、という気持ちは今もある。だが、紙面に貢献した人気作家といえども人気投票結果が芳しくなければ即打ち切りというスタンスを徹底したまでの事だろう。それについてはもう何も言うまい。
 その後、10週打ち切りにしては妙に分厚い単行本が出版された。巻頭の作者コメント、空きページで語られるコラム、そして巻末に半ばヤケクソのように掲載された異様に気合の入った設定資料集、涙なくして読めぬあとがき、単行本全体から立ち上る力走感とも怨念ともつかない妙な迫力に気圧され、気がついたら2冊買ってしまった。

 設計計画は堅牢でも、クライアントの圧力から予期せぬ工期短縮を強いられた未完成施工品ゆえに高い点数とはならないが、決して結果的な完成度のみからは推し量れない週刊連載漫画というリアルテイム性の強いジャンルゆえの様々な重みが、今でも忘れがたく残っている。最近ウルトラジャンプ誌上において続編が始まったと聞いた。ぜひ今度こそは長期的な工事計画に基づいてやり遂げて欲しい。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-11-29 00:23:59] [修正:2010-11-29 00:30:34] [このレビューのURL]

 2010/5/2 更に追記

 思い出とは甘美なものである。例えば、学生時代に部活の帰りなどによく立ち寄った地元のラーメン屋の味が楽しかった日々の思い出と共に過剰に美化されて心に残る、なんて事は多かれ少なかれある程度の年齢に達する人なら覚えがあるはずだ。ところが大人になって経済力が増し、それなりにうまいものも食べて舌が肥えた後にそういう思い出のラーメン屋に行ったりすると、懐かしさに感動する一方で「あれ?俺はこの程度のラーメンに昔は感動してたのか?」と気づきたくもない事実に気づいてしまう。

 ラーメンも現代漫画文化も、共に現在進行形で進化中であり文化としては比較的日が浅い。時代を超えて普遍的な価値のある品もある一方で、一時期は人気を博したが現在の感覚で味わおうとすると安っぽさや古臭さが鼻についてどうにも味わいにくい品も存在する。

 前置きは長くなったが、この「暁!!男塾」は、かつて大人気だったラーメン屋が21世紀のご時世に昔と変わらぬ味を狙って再起を図るも鳴かず飛ばずとなってしまったような作品である。一応「思い出補正」に支えられた昔からのファン層によって商売は成り立ってはいるが、新たな客層の開拓には結びついてはいない。そして主な客層である昔からのファンにしてみたところで、本作の味わいは決していいとは言いがたいのが現状である。

 理由は主に二つある。第1にお客の側の舌が昔より肥えてしまったことと、第2に商品の質そのものが全盛期と比べて劣化したことにより、ノリ的にはかつての名作「魁!!男塾」に似せてはいるがその味わい深さには雲泥の差がついてしまった。

 これは何も昔のファン層が成長して大人になったからとか作者の筆力が衰えたからというだけではなく、作品を取り巻く環境の劇的な変化…ネット社会の発達という要因も深く絡んでいる。

 現在は例えばラーメン屋にしたってネットでちょちょいと検索すればすぐにおいしい人気店を調べられるが、そういう世の中では男塾的なノリを素直に味わう事はかなり難しい。本作は20年来変わることの無いジャンプ黄金パターンという名の化調(化学調味料)に頼っているが、「友情努力勝利」「仲間が死んでお涙頂戴→人気キャラはすぐ復活」「倒した敵は仲間になる」、こういうパターン化された味わいの安っぽさそのものが時を経て露呈してしまったのだ。現在ではこういう化調だのみのラーメンはネット上での評価は総じて低いのである。

 かつての「魁!!男塾」ではそういう化調の安っぽさを補って余りある魔法の秘伝ソース「民明書房」があった。作中登場する様々な武術や奥義や武具、無論すべて実在しない大嘘だが、もっともらしくい引用されるこの民明書房刊の架空書籍群の放つ怪しげな香りは当時の子供たちを大いに魅了し、その語り口の本物っぽさもあって信じる者も少なくなかった。それはかつての少年向雑誌の持っていた怪しい大らかさであった。
 現在は、もう図書館を調べまわったりせずとも一発ググりさえすれば、民明書房が大嘘であることなど小学生でも気が付くことができる。昔のようにもっともらしい嘘をついても無駄だと割り切ってしまったからだろうか、本作「暁!!男塾」においてはこれらのネタの劣化は著しい。安易な駄洒落に頼った必殺技のネーミングも不愉快なら、何かにつけてすぐに「気」とか「念」とかそういう超能力に頼ってばかりなバトル描写も安っぽさに拍車をかけている。前作の末期にも見られた事だが、今ほど酷くは無かった。
 こうして秘伝のソースは秘伝では無くなり、魔法は解け、後には化調の配分を誤った安い味わいのスープが残ってしまった。恒常的に塩分や油分に囲まれるラーメン屋の店主の中には味覚が早々に衰える人も少なくないというが、作者の宮下あきらもそれと似たような状態に陥りつつあるのではと勘ぐってしまう。

 ただ、上述のように作品を取り巻く雰囲気は思い出だけではカバーしきれないほど劣化しているものの、商品として、漫画としては破綻してはいない。スープがまずくなった一方で麺は濃い見た目と裏腹に相変わらずの喉ごしの良さで、スルスルとストレスを感じることなく実にスムーズに味わうことができる。繰り返されるお約束も慣れてくると次第に快感に変わり、「来週どんな展開が待っているんだろう?」と余計な気をもむことも無く時間つぶしにはもってこい。漫喫で一気読みするにはうってつけの作品とも言える。

 聞くところによると宮下あきらはネームを描いたりせずに一気に原稿用紙に直筆で昔から漫画を描いてきたらしい。以前も民明書房の社長(え?)との対談の中で、小利口な作品の多くなった少年漫画界の現状に疑問をさし挟んだりもしていた。いずれにせよ「HUNTERxHUNTER」的なノリとは対極に位置するような作家姿勢だが、決して思い出のみに拠るわけではなく、真面目にそういう漫画のあり方も必要なのではないかと最近は思いつつある。
 原材料や製法に拘り、一杯千数百円、場合によっては数千円するようなラーメンが世間をにぎわすのを尻目に、全盛期と比べて味は落ちつつもそれでも早くて安くてそこそこうまいラーメンを作り続ける地元の店にも似た愛着を感じつつ、なんやかんやで今でもずっと読み続けている。


2010/04/09 以下追記

 色々とイヤミったらしい事を書いてしまったけれど、こういう作品に無邪気に酔いしれる事ができず、ネタとしてしか消化できなくなってしまった現状に寂しさを感じてもいる。誰かに頼まれたわけでも無くこういう事を書いている素人レビュアーが言える事でも無いかもしれないが。

2010/05/02 更に追記

 上記のような感想を書いた直後、本当に最終回を迎えてしまった。バトルに次ぐバトル、昨日の敵は今日の強敵(とも)、明らかに死んだ奴も設定リセットで何食わぬ顔して参観席に駆けつける男塾の卒業式。最後の最後まで男塾イズムを貫き通した潔い結末だった。今作が前作より優れていた部分は結末が打ち切りっぽくなく比較的きっちり描かれた事だろう。宮下先生、本当にお疲れ様でした。押忍、Gods and death!!

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-04-06 21:49:15] [修正:2010-06-10 23:26:09] [このレビューのURL]