「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

7点 芋虫

 原作:江戸川乱歩、作画&脚色:丸尾末広。前作「パノラマ島綺譚」に続く至高にして(悪)夢のコラポレーション第2弾である。前作が手塚治虫文化省を受賞するなど反響も大きく完成度も高かったので、大きな期待と安心感を持って本作には接することができた。

 まず一つ言えるのは、本作「芋虫」は前作「パノラマ島」よりもはるかに丸尾末広の持ち味…大正昭和風味の残虐猟奇趣味が発揮できているという点だ。おそらく昔からの熱心な丸尾ファンには「芋虫」の方が肌に合うと思われる。
 物語の舞台は大正期の軍国時代の日本。大正というと「サクラ大戦」や「大正野球娘」のような華やかなイメージの作品が多いが、一方本作はというと…。戦場で四肢と言葉を失い物言わぬ肉塊となった軍人とそれを看護する妻。あてがわれた屋敷の離れを舞台に、世間的には「名誉の軍人」と「夫に尽くす良妻」である二人の、その実いびつで倒錯した愛憎模様が描かれる。もうこの舞台設定からして丸尾末広のためにあるような作品といえる。モダンと華やかさの影に咲く、腐臭を放つ奇形花の妖気。

 まさに水を得た魚、羽を得た芋虫のように丸尾末広はこちらの期待に応えるべく素晴らしい仕事振りを発揮している。短編である原作を肉付けするために様々な小話も盛り込まれ、浅草十二階や仁丹の絵看板などの小道具にも気が配られている。
 何より圧巻なのはやはり悪夢のように淫靡な”夫婦生活”のシーンで、奇形の芋虫とそれを弄びまた弄ばれる中年女の濃厚な絡みから、丸尾末広言うところの「前近代的湿潤」、日本的なじめっと湿度のある狂気がページを通り越して読者の顔面にこびりついてくるような錯覚すら覚えさせる。体液や汚物のすえた匂いまで立ち上って来そうなその描写力は凄まじく、特に第2話後半で憔悴しきった妻がさいなまれる悪夢のシーン(奇形、死体、毒虫、男性器などのおぞましいイメージの集積)を見た日には…。これぞ江戸川乱歩、これぞ丸尾末広であろう。

 が、本作を丸尾末広や江戸川乱歩ファン以外の読者に広く勧められるかというと、なかなかそうも言い切れないのが歯がゆい。前作「パノラマ島」と比べてもエログロ描写が上記のとおり段違いに上がっているため、耐性のない人に見せたら人間性を疑われることになるだろう。
 江戸川x丸尾のコラボをもっと読みたい自分としては本作も商業的に成功して欲しいと思っているが、文庫版で30ページに満たぬ原作を4話構成にまでカルピスのように水増し・過剰装飾した印象はぬぐえず、それがハードカバー1200円(税抜)というのもやや疑問が残るところである。これであれば、例えば芋虫以外にも手ごろな江戸川乱歩の短編を漫画化して単行本に収めてくれた方が良かったと思う。

 何より残念だったのは、これは別に誰が悪いのでも無いが、既に「パノラマ島綺譚」で江戸川乱歩x丸尾末広という究極のタッグの完成を目撃してしまっていた為、本作を読んだ時も信頼感に似た安心を覚えこそすれ、前作を書店で偶然発見した時ほどの衝撃を受けることは無かった。今後もこのコラボは続けて欲しいと心から願うが(個人的には「蟲」とかを是非)、初見の悪夢を上回る悪夢を生み出すハードルはどんどん高くなっていくのだろう。夜の夢のごと、まことに歯がゆい。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-22 14:43:51] [修正:2010-03-23 23:14:53] [このレビューのURL]

 少年マンガ史上の唯一無二の天才、荒木飛呂彦先生の代表作と言えばやはりみんな大好き「ジョジョの奇妙な冒険」だが、その個性的すぎる作風が仇となって一見さんにはやや敷居の高い作品となってしまっている部分があるのは否めないだろう。むろん第一部から順を追って読んでいけばいいだけの話だが、20年来に及ぶ長大なボリュームを前に尻込みする人も多いのではないか。

 そんな場合に荒木入門として真っ先におすすめしたいのが本作「バオー来訪者」である。すでにさんざん言われてきた事だが、

・正統派で感情移入のしやすい主人公と物語展開。

・一方で特異なキャラクターデザインやセリフ回しなどの、作者ならではの無二の個性も味わえる。

・何より幸か不幸か単行本2巻足らずのボリュームの為に読みやすく、かつ物語的にもきれいにまとまっている。

 などの理由のおかげで、荒木初心者にもある程度安心してお勧めしやすい作品には仕上がっている。

 しかしッ、短かろうと読みやすかろうと荒木は荒木、上記のような理由だけで本作の魅力を語りきれるとは無論思っていないッ!個人的に本作に強く惹かれたのは、本作が「仮面ライダー」に代表される”異形者”としてのヒーローの格好良さと悲しみを、実にスマートに継承していたからである。

「悪の秘密組織の人体実験により誕生した悲劇の改造人間が悪と戦う」という仮面ライダー以来の伝統を色濃く受け継ぐ本作だが、荒木飛呂彦はそこに様々なSF的意匠をふんだんに盛り込むことでそんなヒーロー像を見事に描き直してみせた。(本作が連載されていた80年代中期、仮面ライダーシリーズは休止状態だった。)

 生物兵器を体内に寄生させ、それの放つ分泌液によって促される”変身”の原理。そして変身を「武装化現象(アームド・フェノメノン)」と呼称するこのセンス。これらに端的に表れているSFマインドが本作を単なる「北斗の拳もどき」以上の作品に仕上げており、変身ヒーローに付いて回るある種の野暮ったさを見事に解消している。一方で、不気味な寄生生物「バオー虫」にも見られるように、バオーは格好良さと不気味さの同居したキャラでもあり、安らぎの中にもどこか悲しみの残る最終回の余韻と併せて、石ノ森章太郎以来の「悲しき異形者としてのヒーロー」の魅力を再確認する事もできる。

 また注目すべきはバオーのキャラクターデザインである。バオーはしつこく語ってきたように”変身”するヒーローだが、顔や皮膚が分泌液の作用で異形と化す一方、服装は変身前の少年、橋沢育朗の普段着のままなのである。優れたデザインのおかげで違和感なく仕上がっているが、仮面ライダーなどとの一番の違いはそこだろう。昔のヒーローとは特殊なコスチュームを身にまとったり巨大化したりするものだったが、近年はどこにでもいそうな普通の少年少女が、普段着のまま超能力を駆使したりして戦う作品の方が少年誌には多い。「ジョジョ」の波紋やスタンドもそんな系譜に属するが、バオーのデザインにはそんな新旧のヒーロー像の混交が見て取れる。そういう面からも興味深い作品ではある。

 前述のSF的意匠や作者特有のセンスが当時の大多数の読者には受け入れられにくかったのか、本作は短期間で連載を終えた。しかしその個性ゆえに少なからぬ熱狂的なファンも獲得し、それが後のジョジョ人気や現在の「能力系バトル漫画」の人気にも連なっていく事となった。
 わずか2巻たらずのボリュームの中に、実に様々な魅力の凝集した豊穣で味わい深い一作である。魔人ウォーケンのように明らかにどこかの漫画キャラのそっくりさんも出てくるが、現在「唯一無二の孤高の天才」の地位を確立し、他の漫画でもさんざんネタにされたりパロディされたりする荒木先生も、若い頃は他作品のマネをしていたというのも微笑ましい話であるw

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-04 00:59:53] [修正:2010-03-04 23:14:03] [このレビューのURL]

※レビューは「シグルイ」に対する言及多数

 久しぶりに漫画をジャケ買いした。全身を甲冑で覆い表情を一切感じさせない不気味な騎士が読者に向けて槍を突き立てるという不吉なカバーイラストにまずやられた。西洋中世を舞台にした活劇というのも好みだったのでジャケ買いに及んでみた次第だ。

 どうやら中世”風”のファンタジーではなく、14世紀初頭のアルプス地方の争乱を描いた歴史ロマンらしかった。第一話を読み始めると、気高く美しくツンデレな亡国のお姫様と彼女を護る寡黙で屈強な騎士の逃避行が描かれていた。ああなるほど、そういう騎士道ロマンなんだな。うん、それなりに面白そうだ…。 

 ところが第一話を読み終わるや、そんな第一印象は見事にたたき壊されていた。な、な、な、なんという展開!この作品の意図する所とは?これはもしかして、あの残酷無惨時代劇漫画「シグルイ」の西洋版か?いずれにしても、とてつもない作品に巡り会ってしまった! 

 物語はオーストリア公国ハプスブルク家の圧政に対するアルプス地方の抵抗運動を下敷きに描かれる。タイトルにもある「狼の口」とは、アルプス地方からイタリアへと通じる関所の事で、物語はこの難攻不落の関所を突破しようと試みる反ハプスブルク勢力のドラマとなっている。
 しかし、狼の口に自ら飛び込む獲物の運命は決まっている。狼の口は一切の例外を認めず下される無慈悲な死の運命の象徴であり、かの関所をあずかる一見柔和な優男の代官ヴォルフォラム(一応主人公か?)は、冷徹非情な死神そのものとして異様な存在感を放っている。
「笑いは本来攻撃的なもの」とかのシグルイにはあったが、このヴォルフォラムが”獲物”を前にして口元をニヤリと歪ませる際の不穏さは筆舌に屈しがたい。物語全体の通奏底音として、終始こんな異様な迫力が作品を支えている。

 では残酷で重苦しくて読みにくいかと言われれば、必ずしもそうではない。キャラデザインなんかはかなり今風で女性キャラも美しいし、過剰にスプラッタ趣味の残虐表現は抑えられているので内蔵とか目鼻とかが飛び散るような表現が苦手な人も読めるだろう。一方で絵柄はかなり特徴的で個性がある。黒と白のコントラストが鮮やかで輪郭は力強く、中世の木版画を思わせる絵柄であり、作品の雰囲気にもよく合っている。
  表現に関してもう一つ注目したいのは「血」や「涙」といった感情表現と結びつく体液が、非情に”重み”を持って描かれている点だろう。これはこの作品のテーマにも結びつくものが感じられる。中世人にとって血と涙は、我々現代人が考える以上に重要な意味を持つイコンであった。

 上の方で自分はこの漫画を「西洋版シグルイ」と言った。確かに一話を読み終えた時はそう感じたが、第一巻を読み終えた頃にはそんな第一印象は次第に変化しつつある。 「残酷な死の宿命にはかなく翻弄される人々」というモチーフは共通しているが、シグルイが空しさや諦観を感じさせるのに対してこちらの狼の口は、たとえ幾重の屍を積み重ねようともどれだけ血や涙を流そうとも、それでもなおあがき続ける強烈な前進への意志が感じられる。シグルイが様々な登場人物やプロットを用いつつも最終的には一対の剣士達の宿命・因果に収斂していくのに対し、本作の物語はいずれ大きな歴史的なうねりにまで拡大していく事が予感される。
 第一巻収録の最終話である第三話では、狼の口の象徴する死の運命に、ほんのわずかだが綻びが穿たれた。いずれこの綻びは次第に大きなものとなり、物語を前へ前へと押し進めていく事となるだろう。そこに神の意志のようなものまで表現させる事ができたなら、本作は真の傑作となる、かも知れない。

 前門の虎後門の狼、今後が楽しみな残酷無惨活劇である。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-02-22 00:17:05] [修正:2010-02-22 23:12:40] [このレビューのURL]

2度もテレビアニメ化されるなどかなりヒットした学園ラブコメ漫画だが、完成度的にはお世辞にも洗練されているとは言いがたい。作画のクオリティは安定せずギャグは滑ることが多く、重要な話とそうでない話に温度差がありすぎ、物語に大量のフラグをばらまく一方で未回収に終わることもままあり、最終回に至っても人間関係の大半は未整理なままで、おまけにその最終回もマガジン本誌と増刊号とで2種類あるとう始末であった。

作者の小林尽は本作がメジャーデビュー作だったが、同誌の赤松健(ネギま)や久米田康二(絶望先生)らの先輩陣と比べるとどうしてもこなれていない感が漂っており、足かけ6年にわたる長期連載の中でいろいろボロがでてきた部分も多かった。キャラクター人気に頼った駄作とう評価も、あながち間違いではないとは思う。しかし。

それでも自分は本作を推したいのだ。上述のように未成熟な部分も多かったけれど、作画とギャグとドラマ、それらに時折かいま見られたポテンシャルの高さに、普段はどーでもいい日常を送りつつも時々ハッとさせられるような体験もしてきた自分たちの学生時代の記憶を呼び覚ます何かが感じられたからである。
そもそも絵に描いたようにスマートで非の打ち所のないような青春時代を送った奴などそうはいない。たいていの場合、青春とは愚かでこっぱずかしく、それゆえに愛すべき物である。この作品の持つ未成熟さは、換言すればかつては誰もが持ち、そして子供たちがいずれ経験するであろう”青春時代”のあのままならなさ、こっぱずかしさ、それらを包括したある種の美しさや楽しさの追体験だったのではないか。

男女様々な人物が入り乱れ、勘違いや衝突、惚れた腫れたの騒動を繰り返す物語構造は一見古典的だが、そのキャラ配置は主人公を太陽系の中心に据えたようないわゆるハーレム型ではなく、複数のメインキャラが互いに一方通行の分子運動的乱反射を繰り広げるというかなり複雑な物語構造となっており、それら登場人物達もそれぞれ個性的なキャラを持つ一方で安易な属性化には収まりきらない適度なキナ臭さも持っており、そういう部分から湧き出る叙情性が本作の大きな魅力だった。バカバカしい話が多い一方でそういうビルドゥンクロマンス的魅力もたたえていたのである。

特に自分が本作で気に入っていたのは、登場人物の多くが所属する2ーCのクラスが、それこそ連載開始当初は誰も見知った者がいないような状態で始まった(当然だが)のが、連載を経て以前は背景の一モブキャラに過ぎなかったような奴らに次第に人格的肉付けが成されていき、最終的に男女問わずみんな愛すべき見知った友人達のようになっていった点である。それこそクラス替えで初顔あわせた生徒達が一年後にはクラスメイト同士の連帯感で結ばれるかのようなこの作劇には、作者の優れた才能をかいま見ることができたし、こういう部分こそ近年の他のラブコメ作品にはあまり見られなかった本作の大きな魅力がったのだ。
塚本姉妹や播磨や沢近といったメインキャラだけでなく、こういうクラスの雰囲気そのものを好きになれるかどうかが本作を気に入るかどうかの分岐点ともなるだろう。

何度も言うように洗練された作品ではないけれど、それでも学園ラブコメ漫画というジャンルにおいて特異な地位を占める作品となっかことは間違いない。そんな本作を自分は密かに「ラブコメ大菩薩峠」とあだ名して呼んでいる。
ああ、ただ、作中不自然なほど触れられなかった、主人公の塚本姉妹の家庭事情(広い家に高校生の姉妹二人だけで住んでいる)をもうちょっと詳しく描いてくれれば、というのが最後の心残りである。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-01-27 00:03:01] [修正:2010-01-27 00:19:52] [このレビューのURL]

漫画の世界では、古くから(美)少年同士の同性愛的関係を描いた作品が、主として女性ファンによる二次創作作品などで多く発表され、それらは隠語的に「やおい」と呼ばれてきた。(近年ではボーイズラブということも多いけど)

腐女子の皆様方の活躍もあって現在ではかなり一般への認知度も高まってきたやおい文化だが、この言葉の語源は、一説では

ヤマ無し(山場無し)
オチ無し
意味無し

というニュアンスから来ているのだという。美少年同士の絡みを描くことを最優先し、物語的な必然性とか意味とか、そういう要素は二の次である事への自嘲であろう。


さて、この「ペンギン娘」だが、本作はそういう言葉の真の意味において紛れもないやおい作品である。
なんか「ペンギン」とか「択捉」とか「イルカ」とか言う名前の美少女達がセクハラしあう”だけ”の内容であり、山場は少なく、落ちにも欠け、無論のこと意味など求めようとすること自体無意味である。
それでもギャグが面白かったりすればまだいいが、本作に関しては、それすら。清々しいほどに何も残らなかった。

ついに我々は、美少年同士でなく美少女同士でもやおいを成立させられる領域に来てしまったのだ……!

いや、それで充分だろ、他に何かいるの?という境地で読めば、まぁ楽しめなくもないかも知れない。無意味であっても無価値ではなかろうが、今の自分にはまだ無理な話だである。色々な意味で修行が足らないというかまだ青いというか。

同じチャンピオンの海洋生物娘漫画である「侵略!イカ娘」はあれほど気に入ったのに、この違いは一体?

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-01-11 23:19:39] [修正:2010-01-12 00:43:20] [このレビューのURL]

なるほど、これは万人にお勧めしたくなる良作スポーツ漫画だ。

チャンピオンのお家芸である自転車競技をテーマに据えつつ、オタク趣味の草食系メガネ男子を主役に据えることで本誌特有のアクの強さをゆるめることに成功しており、間口の広い作品となっている。
根性だ熱血だといった価値観から遠く離れた位置にいたはずの少年、小野田坂道は、しかし「アキバにタダで行けるから」というそれだけの理由から千葉県-秋葉原間往復90kmの道のりを幼少期からママチャリ転がし続けてきた。
運動音痴で人付き合いも苦手だったそんな少年がしかし知らずに蓄積し続けた才能の片鱗が、高校入学の新たな出会いを経て一気に爆発する展開はベタだが熱いものがあり、また三つ子の魂も何とやらでそのように才能を開花させた後も萌えオタクとしての本分を忘れず鼻歌(アニソン)を口ずさみながら箱根の山を駆け登る主人公の姿は別の意味で頼もしく、またある種の不気味な怪物性(凄み)を見せつけている。主人公の常人離れした天才性の発露を、まさかアニソン鼻歌で表現してしまうとは!
そしてそんな不気味さもしかしナチュラルに受け流せてしまいたくなるような爽やかさも活写されており、作者の優れたバランス感覚が冴え渡っている。バランス感覚と言えば、体育会系的ノリから距離をとる一方で努力や根性を否定しないあたりも巧い。

そんなわけで連載開始当初から面白がって読んできた一方で、チャンピオンらしいアクの強さももうちょっと欲しいなぁと贅沢な不満を抱いていた。いささか優等生的すぎてチャンピオンらしさが足りないというか何というか…。

ところが、そんなある日のこと、いよいよインターハイ編がスタートした丁度その頃…!!

「弱泉くんや。 キモッ!キモキモキモキモッ!」

「アブ(腹筋)!アブ(腹筋)!アブアブアブアブアヴィィィィィ!」

三つ子の魂何とやら。やはりチャンピオン漫画はチャンピオン漫画なのであった。今後も楽しんで読もうと思います。




ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-01-06 23:54:20] [修正:2010-01-07 00:03:01] [このレビューのURL]

ゲームの世界には、人気のある漫画やアニメのキャラを使った「キャラゲー」という分野がある。このジャンルは往々にして「出来は二の次、とりあえず人気のキャラを出せば原作ファンは買うだろう」という志の低い作品が多いが、中にはキャラの魅力を生かしきると同時にゲームとしても優れた骨格を有する良作も存在する。しかしいずれにせよそれらを楽しむには、原作となった作品への愛着や造詣が深ければ深いほどいい事に変わりはない。

本作「「坊っちゃん」の時代」を無理矢理乱暴にキャラゲー的に例えてみると、「スーパー歴史人物大戦M(meiji)」である。明治時代を舞台として夏目漱石ら文学者を筆頭に思想家、財界人、果ては博徒にテロリストまで様々な有名無名の歴史人物の往来を虚実ないまぜのエピソードを交えて描く本作は、当然楽しむ為にはそれなりの前提知識を要求される。
そういう意味で決して無条件に万人にお勧めできる作品ではないし、こんな事を書いてる評者自身不勉強ゆえに本作を味わい尽くしたとは言いがたく、読んでてよく分からなかった部分もあった。

が、それでも本作を推したいのは本作が単なる歴史漫画や教養を売りにした漫画を超えた普遍的な物語性を強く有しているからである。「青春の光と影」という普遍的なテーマを。
明治時代は偉大さと愚かさの同居したまさしく日本の青春時代であった。そんな世の中とオーバーラップするように、個人主義や自由恋愛などの新しい価値観を持て余しながら時に痛ましく、時に滑稽に描かれる本作の登場人物達の姿は紛れもない明治人の栄光と暗黒の両面であり、同時に100年経っても変わらない青春物語の原風景でもある。特に生粋のダメ人間である石川啄木を主人公にした第3部など、むしろ現代だからこそ受け入れられやすいだろう。(個人的な話だが学生時代と社会に出た後でこれほど読後感が変わったエピソードはそうは無い。)

「よしよしお前の言いたい事はよく分かった。でも、何でわざわざそれを漫画で発表する必要があったの?別に小説とか評論でいいじゃん、ブンガクが元ネタなんだし。」
こういう意見もあるだろうが、本作の完成度を1段も2段も底上げしたのは、関川夏央の原作は勿論、結果的には作画を担った谷口ジローの筆力によるところが大きい。
近年「孤独のグルメ」などで注目の高まった谷口ジローだが、本作でもその高い画力を遺憾なく発揮、個人の肖像から時代の遠景まで縦横無尽のカメラワークを駆使して明治を描ききっている。群衆の暴動や博徒同士の決闘などの動きのある画もいいが、人物の微妙な表情や心象風景を表現した一枚絵もクオリティが極めて高い。(第3部に登場する斜めにそびえる浅草十二階など白眉である。)
死の淵をさまよう夏目漱石のめくるめく脳内妄想を描いた第5部に至っては、もう作画への信頼無しには成立し得なかっただろう。
漫画には不向きと思われる題材を臆することなく描きいったことで、結果的には「漫画」というジャンルの表現力の可能性を示せただけでも、本作の意義は大きいのだ。

先ほども言ったように無条件に万人受けする漫画ではないけれど、しかしゲームの「スーパーロボット大戦」シリーズが純粋にゲームとしてもよく出来ているのと同じように本作も優れた漫画作品であるから、興味を持たれた方は是非一度読んでみて欲しい。


ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-01-02 17:53:38] [修正:2010-01-03 21:46:32] [このレビューのURL]

※2009/12/27 得点修正(6→7) 加筆有り

この漫画、作品単体で見た場合はそこまでムチャクチャ面白いというわけではない。本作もあずまんが以降の流れを引き継いだほのぼの系萌えショートギャグであり、まぁ似たような作品は大小さまざまに存在するはずだ。
ストーリーも極めて単純なもので、海を汚す人類にイカって地上を征服すべく上陸してきた海の使者「イカ娘」(イカの擬人化とアイデアはなかなか斬新だった)が、逆に浜茶屋一家にとっつかまってコキ使われるというもので、地上の常識に疎いイカ娘の見せる天然ボケっぷりを愛でて萌えて楽しむ内容である。ギャグの基本が非常識から来る天然ボケである以上あまり腹を抱えて大笑いするような性質のものでもないし、そう過剰なお色気サービスシーンなんかも無い。近頃話題になったので興味本位で買ってみたところ、「そこまで面白くなかったな」という感想をもった人も少なくなかったかもしれない。

しかし、このような事を書いておいてアレだが、筆者のように本作が連載されている週刊少年チャンピオンを毎週購入している人間からすると、本作は大変に愛着の湧く貴重な存在なのだ。週刊少年チャンピオンはジャンプなどの主要少年向け4誌の中では最も異端じみた”濃さ”を誇る雑誌である。掲載作品を見てもメインが「バキ」に「浦安鉄筋家族」、最近人気の「ギャンブルフィッシュ」、変態的萌え漫画の「みつどもえ」、そのほかヤンキー漫画に変態漫画…と、息つく暇も無い特濃っぷり。そんなギラギラまぶしい真夏の浜辺のようなチャンピオン誌上においては、本作のようなほのぼのとした笑いとそこはかとない萌えを供してくれる作品の存在は、ひと時の涼味を供する浜茶屋のような安心感と得がたさがあるのだ。もともとは短期連載の予定で始まった本作もそういう地味な人気と読者の潜在的欲求に応える形で気がつけば一年を越える人気作品となったのもうなづける話だ。

また、イカ娘の非常識っぷりは純粋な子供の知的好奇心・直観力に通じる所があり、時々ギャグに天然ボケを超えた意外な味わいがでている所も無視できない。例えば夏祭りの金魚すくいを見て
「つまりいたいけな小魚の命をもてあそんで楽しむわけでゲソね」
なんて痛いところを突いてきたり、自身のあんまりな扱いに抗議して浜茶屋言一家に
「私に人権は無いのでゲソか!」
と怒ったりするのも良かった。あるわけないだろ。だってイカだし…。
一番傑作だったのが「学校」という場所に興味を持ったイカ娘が浜茶屋の次女の通う高校に侵入した時の話で、その設備の巨大さ、収容人数の大きさに驚愕したイカ娘が、学校を何らかの軍事施設と誤解し、理科室を人体実験室、コンピューター室をハッキングルーム、大講堂を作戦指令所なんかに勘違いしていくものだった。これ、作者が意識してかせずしてかは知らないけど、近代社会における「学校制度」と「国民皆兵制度」の成り立ちについて考えるとイカ娘のボケっぷりも当たらずとも遠からずな感じがしてくるのである。
そして、イカ娘のメンタリティが天然ボケでドジだが意地っ張りで寂しがりやな子供的なものに設定されている為、物語の経過を通じて多くの人々にかわいがられたり弄ばれたりこき使われたりして成長していく姿も活写されており、その辺のドラマは今後も発展の余地があるだろう。

作者は以前チャンピオンを支えるベテランの米原秀行から投稿作品を酷評されたりもしたらしいが、安定感のある作画と合わせてドラマ面の描写力も相応の成長を遂げつつあり、これからもチャンピオンを下支えしてくれる存在として今後に期待しようじゃなイカ。

※イカ加筆

作者は見事に期待に応えてくれた。キャラの増加、イカ娘の行動半径の拡大、これら全てが作品のおもしろさを底上げする方向に作用しており、もはやチャンピオン誌上における箸休め以上の存在価値を獲得しつつある。
今後にますます期待をしようじゃなイカ。

ナイスレビュー: 6

[投稿:2008-08-14 17:23:43] [修正:2009-12-27 16:44:53] [このレビューのURL]

10点 シグルイ

「残酷無惨時代劇」と自ら称するだけあり、比類のない残虐描写で魅せる時代劇漫画である。まるで豆腐や野菜でも切るかのように目が、鼻が、耳が、四肢がちぎれ飛び、血しぶきは言うに及ばず腸管や汚物までもがぶちまけられるその画の迫力は読者を選ぶ。

しかし、この漫画が真に”残酷”である理由は、何も上述のような分かりやすい残酷描写の為だけではない。登場人物達がみな哀切なる情念に突き動かされるように封建制度下の武家社会という無明の長夜をさまよい、しかし等しく思い遂げられる事なく「死」という運命に狂気に身をやつしながらなだれ込んでいく様が、何よりも残酷なのだ。

この漫画の主なキャラクター達はみなどこか常軌を逸した狂気を抱えているが、彼ら彼女らの抱く思いそのものは比較的現代人にも理解しやすいものばかりである。立身出世をしたい。愛する人と沿い遂げたい。主に忠義を尽くしたい。自分の後継者を育てたい。侍として、強くなりたい…。この異様な物語は、そんな普遍的な思いによって紡がれているのだ。
しかし、彼らがそんな願いを叶えるために、情念に身をやつし、自らを鍛え上げれば上げるほど、人間として大切な何かを欠損していく。岩本虎眼を筆頭に、本作で活躍する剣士の多くはみな心か体かのどちらか(もしくは両方)を欠損して人ではない何かに成り果てる。そうまでして得た強さでさえも、一太刀のもとに斬り伏せられれば後には醜い肉塊が残るのみ。思いは遂げられず、死に行くのみ。

これを残酷と言わずして何を残酷と言おう。この漫画が恐ろしい激情をはらみつつも、全体的に洗練されて静謐な印象すら受けるのは、どんな剣豪も死ねばただの肉塊という冷徹な事実を提示し、仏教的な無常感に貫かれているからでもあろう。まるで西洋の解剖図譜のような写実的な残虐描写、過激な作画と相反するような淡々と冷徹なナレーションの挿入も、そんな無常感の醸成を助けている。作画と言葉がタッグを組んで、物語のテーマを見事に浮かび上がらせているのだ。本作がただの残虐描写のみを売りとした怪作に陥ることなく奥行きのある作品となっているのはそのためである。
また、その極端で過激な描写(主に顔)から、本作は一種のギャグ漫画としても楽しめるのも懐が広くてよい。まさに笑いと狂気は紙一重の好例である。

武士という階級が社会から消滅した後も、我々日本人は時代に応じて様々な形で武士道を解釈し続けてきた。ある時は時代錯誤で野蛮な因習として、またある時は世界に誇るべき美しい伝統として。
だが、本作に接し、そこで描かれる苛烈で異形で、しかしどこか美しい武士道の世界に触れたとき、そんな後世の解釈はどれも現代人の価値観に基づく都合の良い解釈に過ぎないのではという気すらしてきた。「シグルイ」の侍達は、みな我々とは近いようでどこか違う無明の世界に生きている。だが、それは確かに我々のご先祖が歩んできた世界でもあったのだ。
そう思わせてくれただけでも、この作品は俄然10点である。ぬふぅ。

ナイスレビュー: 3

[投稿:2009-12-16 00:28:30] [修正:2009-12-16 01:47:31] [このレビューのURL]

6点 犬夜叉

漫画史にその名を残すであろう天才の高橋留美子が挑んだ初の本格長編バトルファンタジー漫画は、商業的にはともかく作品的にはお世辞にも成功したとは言いがたかった。

既に多く語られているように、とにかく無駄に展開が長く、描写の淡泊さも相まって冗長なイメージの作品になってしまい、「うる星やつら」や「らんま1/2」以来の古参のファンからは駄作であると見なされる事も多い。実際自分も読んでる途中で飽きが来て作品からしばらく離れることも多かったし、全体を通してこれはという印象的なシーンを思い出せないことも多い。
しかし、それでもこの作品は高橋留美子の長いキャリアの中でも重要な位置を最終的には占める事になったと思う。そう感じたのは、最終回があまりにも従来の高橋作品の雰囲気からは異質であり、同時に一つの到達点をも感じさせるものだったからだ。

これまでの高橋作品は「終わらない青春という名のワンダーランド」を描いてきた。登場キャラ達は年を取らずに何度もループする永遠の少年少女達であり、作品内でキャラ同士が思いを育みあっていっても「結婚」や「卒業」といった断絶は描かれない。ラブコメの金字塔「めぞん一刻」ではキャラはリアルに年を取って主人公とヒロインはラストで結ばれるが、それでも最終回に互いの青春ドラマの舞台であったアパートの一刻館に戻っており、やはり明確な断絶とはなっていない。
ところがシリアス路線で描かれた本作「犬夜叉」は違った。現代生まれのヒロインのかごめは現代日本(日常)と物語の舞台となる魑魅魍魎のはびこる戦国時代を自在に行き来するが、彼女の持つ二つの世界は本質的に相容れはしない。家族のいるこの世と愛する男(犬夜叉)のいるあちら、二つの世界のどちらかをいずれは選択を迫られることは物語当初から予感させられていたが、最終回で彼女がとった行動とは…。

最終回。現代日本に帰還し、家族や友人達と平穏な日々をしばし送った後、かごめは愛する家族に別れを告げて犬夜叉のいる戦国の世へ自らの意志で”嫁いで”いったのである。
作中明言こそされていないが、残された家族の表情から察するに、二度と戻れないことはおそらく承知の上で。

かつて嫁入りとは女が自分を育ててくれた家族に別れを告げて夫の家の一員となることを意味していた。下手すれば二度と実家の敷居をまたがない覚悟が問われたのである。勿論こんな結婚観はフェミニズムの見地からも現代は崩れつつあるが、かつてあれほど軽妙なラブコメを描いてきた高橋留美子が少年詞向け作品でこのような「嫁入り」を描いたことは特筆に値する。(「炎トリッパー」というささやかな前例もあるけどね。)
そしてこの嫁入りが昔のそれと違っていたのは、決して家同士の決めごとによるものではなく、ヒロインであるかごめの強い想いと決意に基づいて行われたという事実。

高橋作品で昔から描かれてきたテーマに「戦って勝ち取る恋」「受け身じゃない強い女性」というものがあった。特に彼女の描くアグレッシブで強い女性キャラが漫画界に与えた影響は良くも悪くも計り知れないだろう。
かごめもそんな系譜に属するヒロインだったが、二度と住み慣れた日常に戻れぬことを覚悟して貧しく危険な戦国の世で愛する男と沿い遂げることを最終的に選択して恋を成就させた彼女の精神的な強さは、これまでの高橋作品の女性のみならずその他の寸止めラブコメ諸作品のそれと比較しても、際だって強い。
正直に言って、この最終回だけでこれまでのグダグダが全てどうでもよくなるほどの何にも言いがたい感慨に包まれた。

全体的に見ても傑作とは言いがたい部分が多いが、これまでの、そしてこれからの高橋留美子を考える上で重要な作品となったには違いないのだ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-11-28 23:47:29] [修正:2009-11-29 01:41:08] [このレビューのURL]