「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

医療漫画最近の御三家は「ブラックジャックによろしく」「ドクターコトー」と「医龍」だ。

タイトル並べてみて判るのだが、この中で「医龍」が一番地味っぽい印象。
ところが実際に読んでみると、意外にも一番面白かったのは医龍だった。
「医療」+「政治の世界」という切り口は「ブラックジャックによろしく」でもやろうと試みていることだけれど、研修医が主役の「ブラックジャックによろしく」では結局のところ問題提起はしたものの何の解決にもなりませんでした・・・・で終わってしまっている。(それもある意味、当然ではあるのだが・・・)
こちらではどうかというと、主人公はブラックジャック並の天才医師。しかし、本来は組織に属さない「一匹狼」。その一匹狼を「新しい術式の論文」を確立させるためのチームの一員に引っ張り込んで他の医師たちと共にひとつの「運命共同体」となって立ち向かっていく。
医学界の体質にイヤ気を感じつつも「どうにもならい」と投げやりになっていた脇役の研修医がチームに引き込まれ、最高峰の医療の現場に立ち会うことで医者としての腕・そして「精神」も身に付けていく展開は、「経験」こそが何よりの「成長への糧」になるのだということを示唆していて興味深い。
やっぱり経験を積まなきゃ使い物にならないよね。

小学館漫画賞「青年部門」の受賞はさらなる賞賛を呼ぶと確信しています。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-27 11:18:21] [修正:2010-06-27 11:18:21] [このレビューのURL]

9点 寄生獣

突如、地球外(?)から飛来した謎の生命体。彼らは人間に寄生し、宿主の身体を乗っ取って同族のみ、つまり人間を喰らった。寄生生物に右手を喰われた新一は「ミギー」と名付けた寄生生物と共に他の寄生生物との戦いを余儀なくされる。

人間と人間以外の生命の共存、種の存続などをテーマにし、後発の漫画にも絶大な影響を与えたと思われる問題作だ。
自分の身体の一部と会話して、1人なのに「2人で1人」のコンビが成り立っているという設定がユニーク。
描写は「容赦ない残虐な場面」が日常生活中にありながら、いきなり場面転換して挿入されてくる。
ついさっきまで何事も無かったように普通に生活を営んでいた、ごく普通の人たちが突如として「有り得ないような」死に方をする・・・・・。
この漫画内においては、「日常の中にこそ恐怖が潜んでいる」のだ。

でも・・・・待てよ・・・これって「表面的には平和な日本」に生活する我々にも言えることではないか?
そして我々の平和な日常も突如として破られる。多発する地震などの災害・見知らぬ人間から言われも無い理由で受ける暴力・気付かないうちに身体を蝕む数々の病・・・・。
寄生獣に喰われることほど非日常的ではないにしろ、多かれ少なかれ我々の日常の中にも「生命を脅かす恐怖」は潜んでいるのだ。
そしてそれらの恐怖は、知能を持ち学習することで理性すら身に付けていく・・・・・可能性のある寄生生物よりも「話し合いの余地が無い」という点では遙かに恐ろしい存在かもしれない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-27 11:09:56] [修正:2010-06-27 11:09:56] [このレビューのURL]

9点 リアル

「バスケ漫画」というよりも、「バスケを題材にしたヒューマンストーリー」というほうが適当と思う。
物語は3人の主人公を軸に展開されていく。

・自らの起こした事故で同乗の少女の身体に障害を負わせてしまい、車椅子生活を余儀なくさせてしまった罪の意識に苦しむ男。
・中学時代に陸上に才能を開花させ、誰よりも早く走れる・・・と思った矢先に「その黄金の足を病魔に奪われた」男。
・何でもソツなくこなし、集団の中でもリーダー的存在がいつしか調子に乗っての猿山のボス猿。そして事故でそのボスの座からどん底まで転げ落ちた男。

3者3様の困難の中で、ある者は自分の不甲斐無さを呪い、またある者は自身の情けなさを認めることが出来ず周囲に当たり散らす日々。
だが、運命はそんな3人をバスケットボールという競技のコート内に導いた。

「当たり前」であることすらままならない立場に陥って初めて気付くことがある。
「周囲の優しさ」
「過去の自身の傲慢と無智」
「努力すること自体の困難さ」・・・・・・・。

3人はそれでも日々の生活の中で絶望の底から立ち直り「それぞれの1歩」を踏み出そうとし、もがき苦しむ「現実(リアル)」。

井上先生はやはり「そんじょそこいらの凡百の作家」とは違うということが分かる。
画力は超一流。ストーリーは続きが気になり、キャラ立てが上手い。
他の漫画家なら「過去の自身のヒット作の人気にすがった安易な続編開始」で「スラムダンク2」でも描いて食い繋いでいるところだろう。

ホントに才能ある者は「常に過去の自身の栄光を乗り越える努力を欠かさない。そして恐れない。」のだと知った。
スポーツ界においてはイチローしかり、松井秀喜しかり・・・・・・。
そして「漫画界」においては井上雄彦しかり。であろう。

たとえ完結までに何年かかろうと、
「ファンなら四の五の言わずについてこい!」と言う作品。
そのことに「後悔」はいらぬ心配と付け加えておこう

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-27 11:08:13] [修正:2010-06-27 11:08:13] [このレビューのURL]

下手したら「お涙頂戴的なお話」になりがちな動物ものをコメディ風に味付けした点を評価。

個性的な登場人物に加え、少女漫画扱いにもかかわらず「恋愛要素なし」という徹底さ(笑)。
主人公が一番「普通の人」でやや目立たない。
設定を考えたらエンドレスで(登場人物が年をとらない)永遠にも続けられそうな感じもしたが、意外なほどアッサリ終了させた潔さ。

この漫画でハスキー犬がブームになったそうだが、無責任な人間が犬を飼い始めて途中で捨てる・・・・という事件もおそらくはあったのだと思う。「熱しやすく、冷め易い」ブームの際の日本人の特徴は絶対に出てはいけないパターンと認識しておかなければいけないと思います。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-27 11:01:52] [修正:2010-06-27 11:01:52] [このレビューのURL]

5点 獣王星

樹先生の作品はどれも少女漫画とは言えないようなスケールの大きな作品が多くて、男性でも読みやすいことは確かなんですが・・・
どうもこの作品はスッキリしない。

人類が宇宙へと進出して幾星霜の月日が流れた時代。
政争に巻き込まれたことで両親を殺された双子の兄弟が流刑として未開の惑星に落とされるところから物語は始まる。

怪物が蔓延り、食料すらまともに無いような環境で幼い子供が生き延びることは難しく、主人公の双子の弟はすぐに死んでしまう。
家族の復讐を誓って成長する主人公だが、過酷な環境の中でやがて支持者を集めていきボスとして君臨していく。

星の最高権力者「獣王」となることが、母星の最高権力者と出会う唯一の道・・・と知っての行動だったが、隠された真実はそんな期待を裏切って・・・・・

双子の弟の死・ティズの死はやっぱり失敗だったのではないだろうか?
連載期間が中断をたびたび挟んだせいもあって、作品自体がブツ切りの印象が拭えず、滅亡は回避したものの幸せなラストとは言い難い。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-27 10:57:17] [修正:2010-06-27 10:57:17] [このレビューのURL]

9点 ARIA

水の惑星となった未来の火星を舞台に、
地球からゴンドラ漕ぎとなるべく1人やって来た少女の日常を描く
「AQUA(水)」の続編とも言うべき新シリーズ。

まず驚くべくは「恐ろしいまでの絵の美麗さ」。建物・空・水にそれが顕著!
イタリアのベネチアというモデルはあるものの、これほどまでに繊細な筆で、
かつてベネチアの水上都市と、そこに暮らす人々の日常を紙面上に再現することが出来た作家はいなかった!

前作「AQUA」でもその絵の美麗さは際立っていたが、新シリーズに移行して
それにさらに磨きが掛かったのがスゴイ。

まるで異国の地に足を踏み入れ、自身がそこに滞在して共に日常生活を営んだかのような
錯覚に読者を陥らせるのはあたかも「作者の振る杖で魔法に掛けられるが如し」。

ストーリーは少女の日常と時に起こる火星のイベント・不思議な生き物たちとの交流と、
争いなどとは無縁な(主に)3人の少女たちの成長物語である。

永遠に続くと思われた楽しい日々・・・・。
が、それも終わる日が必ず来る・・・・・・・。
灯里がそのことを自身の成長と共に意識したそのとき!
読者も彼女と同じ目線で「人生における出会いと別れの意味」を
読前よりも成長した心を以って受け止められることだろう。

「アリア(詠唱)流れるとき、水(アクア)満ちて、全ての人の心、優しさに包まれる」

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-27 10:52:50] [修正:2010-06-27 10:52:50] [このレビューのURL]

現時点では浦沢作品で最高傑作だと思います。唯一無二の考古学アクションとしても最高の評価を付けたい。

どんな時にも諦めず、勇気を持って行動するキートンの姿から、人を守るのに必要なのは決して「お金」や「権力」ではないのだと知る。原作者が別にいらっしゃるようだが、浦沢先生の画があってこそだろう。読んで、歴史・地理・政治・文化・経済に至るまで学べてしまう、こんな贅沢な漫画を私は他に知らない。
「MASTER」とは「達人」という意味と捉えているが、キートンこそ人の世の楽しみ方を知っている「人生の達人」ではないだろうか。
ひとつ疑問。チャーリーだが・・・初登場の時と再登場の時とキートンに対する態度が違いすぎないか?
何かあったのだろうか?

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-20 11:08:09] [修正:2010-06-20 11:08:09] [このレビューのURL]

「映画版」が触り程度でしかなかったということを教えてくれる、映画よりも遥かに重いテーマを孕んだ「ナウシカの漫画版」。
恐るべきまでの「世界観」の構築に驚嘆の声が止まる事を知らぬだろう。
「ユーラシア大陸」で全ての事件が展開されていたことを初めて知った!

「ナウシカ」を知る人間は大きく分けて3タイプに分かれると思う。

すなわち、
・「映画版」しか観ていない。
・「漫画」しか観ていない。
・「映画」も「漫画」も観ている。

最も多いのが「映画のみ」で、最も少ないのが「漫画のみ」であろうことは容易に想像が付く。
アニメ映画の世界観が「やや分かりにくい」なとど思っていたが、漫画の複雑さと比較すれば映画は「全くもって一般向き」「間口の広い」作品であることが理解できた。

アニメと漫画の大きな違いは、
ナウシカとクシャナ・クロトアとの関係だろう。

アニメではトルメキア軍がナウシカの父を殺害してしまったことになっている(漫画では「病死」)ので、ナウシカが彼らに憎しみにも似た感情を抱いてしまい、本心からの相互理解が不可能な状況に追い込まれてしまったが、漫画では物語の大半で行動を共にするため特にクシャナ・クロトア側からの「ナウシカへの歩み寄り」が顕著。
両者共にナウシカから受ける影響で当初の「侵略者的な行動」は薄まり、苦難を共に乗り切る過程で「戦友」にも似た感情が生まれていくこととなる。

「腐海」「瘴気」「蟲」「王蟲(オーム)」「巨神兵」はナウシカの世界観を象徴する5大キーワードだと思う。

「滅亡」と「再生」。
「生」と「死」。
「光」と「闇」。
「進化」と「退廃」。

繰り返して示される背反する「2つの言葉の数々」が、浮かび挙げる「人間の業」。
そしてそれら全てを飲み込む形で存在する世界「地球」が、下す「審判の行方」。
「神によって与えられる未来」ではなく、「自らの手によって選び取る未来」を選んだナウシカたちの行く手に広がるのは「殺戮の荒野」か?それとも「豊穣なる恵の大地」か?
「審判」は未だ下されぬのだ。

とにかく1巻・1巻のボリュームが有り過ぎ。
並みの単行本の倍の時間が読み終えるのに掛かる。
不満は「恋愛的な要素」は全くというほど無かったことか。
アスベルともほとんど「別行動」となるのと、事態が急展開するため「それどころではなく」、ロミオとジュリエットにすらならない。
ま、作品の「本来のテーマ」とは外れた部分なので、枝葉のことではあるが。
最強剣士「ユパ」の死も意外だった。しかも部族同士の諍いの巻き沿いだしなあ・・・惜しい人物を失ってしまった・・・。

「漫画版」を読んだ後では「アニメ版」は「ナウシカアイドル化」のための「プロモーション作品」か?という邪推さえ浮かんでしまう問題作。

衝撃に全身を貫かれた証拠として「10点」評を献上させていただきます。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-06-20 11:05:16] [修正:2010-06-20 11:05:16] [このレビューのURL]

近年の少女漫画部門の話題作。読んでみて分かる主人公カップルの純愛ストーリー。
同じマーガレット連載されていた桃森ミヨシ先生の「ハツカレ」に似た雰囲気で、もっと嫌がらせとか恋敵とか不良ッポイ友人とか、
現実にありそうなエッセンスを注入した「綺麗ごとだけ」ではないラブ・ストーリー。

黒沼爽子は高校1年生の女子。地味で大人しいのだが、市松人形のような外観が小学校・中学校を経ていくうちに
「霊感がある」「幽霊が見える」「目を合わせると災いが振りかかる」等のあらぬ噂を呼び、クラス内でも孤立気味。浮いた存在だった。
仇名は「貞子」。ホラー映画の登場人物から取られていた。

そんな彼女が憧れているのがクラスメイトの男子・風早君。爽やかで嫌味がなくて面倒見がよくてクラスメイトから信頼されていて・・・・。
自分には眩しい存在。他のクラスメイトとは違って自分に対しても普通に接してくれる。
クラスメイトともっと仲良くしたい、普通に接して欲しいと願う爽子は風早の助言から
普通なら絶対に友達にならないだあろう「吉田」「矢野」の女子2名と親しくなることができた。

自分に対する周囲の誤解の視線を打ち破るには、たとえ弱くとも自ら最初の1歩を踏み込むことが必要。
自分から働きかけねば状況は変わらないのだ。
内気な爽子にとってはそれは「他人が想像する以上に困難な行動」であったはずだ。
失敗したら・・・今よりももっと誤解されたら・・・嫌われたら・・・・・迷いが交錯して止まなかったはず。
だが、その恐怖心以上に爽子の「誤解を解きたい」「みんなと仲良くしたい」気持ちは強かった!

背中を押したのは確かに風早だったかもしれない。
だけど、最終的に勇気を出して1歩踏み出したのは爽子自身。
爽子が自ら「変わろう!自分の殻を破ろう!」とした気持ちが周囲の人間に伝わったからこその
変化であったことを忘れてはならない。
爽子が1歩譲ったことを認めたからこそ、クラスメイトや周囲の人たちも爽子に対して誤解の視線があったことを認めた。

人は時に何の自らの変化も為さずして、周囲が自分に都合のいいように変わってくれないことを嘆いたり恨んだりする。
けれど、それでは「真の相互理解」は有り得ない。所詮は赤の他人同士。真の理解など最初からないのだと突っぱねるのは容易い。
人は他人の非を責めるのは簡単でも、他人の罪を許すことには不器用な生き物だと思うから。
まず自らが変わること。次は変わった(自らの過ちを認めて、良くなった)者を評価してあげること。
他者の罪だけを責めて、それを償う機会を与えてあげないのは「片手落ち」である。
最初から「無条件で評価してもらえる」という甘えを捨てること。

風早を好きな女子、胡桃沢梅は爽子に言う。
「何の苦労もなく風早の周りにいるあんたなんて嫌い」と。
梅も孤独だった。自分の周囲に群がる女子は自分を利用しようとする子ばかり。
中学時代はひとり教室で涙を流す日もあった・・・・・・。
だから打算なく自分を見てくれる風早を好きになった。
けれど彼女は知らなかった。
「(周囲の勝手な誤解や思い込みの視線に)歯を食いしばっていたのは自分だけではなかったこと」を。
爽子は泣きこそしなかったかもしれないが、心は誤解に傷付いて血を流し続けていた・・・・。
それを彼女が知ったとき、2人の間に「同じ男を好きになった」縁が
「親友への道」を一直線に切り拓かせるような気がするのが「最新第10巻の引き」です。
梅の目の前に打算なく自分を見てくれる女の子が初めて現れた。

梅の中学時代の笑顔はいつの間にか「作り笑い」に変わっていた。
信じていた女子たちに裏切られて一度は失ってしまった「心からの笑顔」。
それを取り戻させてくれる予感がする。鍵を握っているのは「恋敵」。
自分が憧れて止まなかった「風早の隣」を自分の場所とした女・・・・。
「恋敵の変化」を認めること。それが最後の一山のような気がする。
爽子は梅を受け入れる準備は出来ている。
梅が1歩譲ったとき、最大の恋敵は最高の味方に変化する。そんな予感がする。
続きは本編で。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-19 18:42:56] [修正:2010-06-19 18:42:56] [このレビューのURL]

白泉社の漫画雑誌で連載されている作品は、少女マンガに位置しながら「男子が主人公」のものも多い。
少女マンガで男子が主役って、「りぼん」とか「ちゃお」とかではかなり異端というか、
有り得ないくらいの設定になってしまうのだけれど、「花とゆめ」や「LaLa」では普通。

つまりその分、男性が読んでも読みやすい作品というか、共感しやすい作品が多いのだとも言える。
そんな中、昨今増えている漫画のジャンルに
・「女の子っポイ男の子・女装する男の子」をテーマにした作品というのがある。
このジャンルはここ数年で急速に広まったジャンルで、「オトメン」もこのジャンルの作品に位置していると
考えていいだろう。

それで、このジャンルの作品を描く上で予想できるのは、「主人公が周囲の人たちに比して異端」と扱われ、
軋轢や対立、さらには精神の「女性」と肉体の「男性」という相反する性に葛藤したり苦しんだりするという展開。
普通に真っ当に描けば、この問題を避けて通ることは出来ないはずだ。

しかし、多くの作品群は上記をしっかりと描いてはいない。
なぜか皆「女装や精神的な女性部分が周囲の人たちに違和感なく受け入れられてしまうというコメディ調の展開」に終始してしまう。
出る作品、出る作品なぜか皆同じである。
それは、真剣に上記の課題を描こうとすると、どうしても展開が重苦しくなり、とても読み続けられないことが予想されるからであろう。
だから、皆それを避けようとする。そうすると必然的に雰囲気・展開がコメディ調になり、軽く読み流せる半面底が浅く、物語に深みがなくなる。
よって長期連載できるほどお話が続けられず、短命に終わるという結末。

この漫画の主人公男子「正宗飛鳥」も料理や家事が得意という女性のような面と、外面の男らしさとのギャップに苦しむ姿は一応は描かれている。
だが・・・・描き方がどうにも軽いというか、やはり「コメディ寄りの苦しみ方」(表現の底が浅い)のような気がしてならない。
しかも年齢が高校生に達しているので、思春期は既に過ぎて精神的には既に一山も二山も越えてしまっているような印象を受けるのが難点。
このテーマで描くならば年齢設定は「中学生」が妥当だと思う。高校生だと歳をとり過ぎ。

後、絵柄もやはり「コメディ系の絵柄」だと思いますね。シリアス展開させようとしても絵とミスマッチのように感じました。
ドラマ化されたのに全然当たらなかったという訳が分かるような気がします。

主人公は「精神的に女性な男子」ではなく「少女趣味の男子」です。
男らしく!などと思う必要もなく、精神的には8割以上男子。女性部分は2割くらいでしょう。
これがもし逆なら全然違う雰囲気の作品になっていたはず。読みたいのはむしろそちらのほうです。残念でした。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-19 18:41:12] [修正:2010-06-19 18:41:12] [このレビューのURL]

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