「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

10点 っポイ!

「LaLa」の看板作品のひとつ・・・だったのだが、なんか作者が編集部と喧嘩して雑誌を飛び出してしまい、同じ白泉社発行の姉妹雑誌「メロディ」に移った。メロディのほうは棚から牡丹餅(笑)

それにしても息の長い作品。作中では中学3年生の後半部分しか描かれていないのに、巻数では軽く20巻を超えるほどの長期連載に。初期の頃は男の子2人の青春漫画といった感じだったのだが、「神様ヘルプ」辺りから現代社会に生きる子供たちの抱える(大人たちもか)様々な問題をもテーマに盛り込むようになった。
巻を重ねるごとに登場人物も増え、ちょっと描き分けができなくなっているような感じもしないでもない。人気も初期の頃はドラマ化なんかもされていたはずだが、最近は連載も中断していたりで停滞ぎみ。
ただ最終到達地点は「中学卒業」と判っているので、ようやくゴールが見えてきた。

コミックスの巻末オマケ漫画「主役っポイ!」も毎回面白いのだが、ひとつだけ疑問。
9巻に登場して平に告白した下級生・来須だけ「主役っポイ!」に全く出てきてない。
作者も存在を忘れているのでは?

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[投稿:2010-06-19 00:12:45] [修正:2010-06-19 00:12:45] [このレビューのURL]

7点 ラフ

綺麗にまとまっている、あだち先生のスポーツ&恋愛の青春漫画。

題材に「水泳」を選んでいる点が珍しいと思います。他作品では滅多に見ない。
理由は競技のシーンが見せにくいからだと思います。実際に競技シーンだけだったら同級生の緒方がやっている野球のほうが成り立っていると思うし。(←流石、あだち作品。主人公が野球をやっていなくても「試合のシーン」が出てくるのですね・・・・)
ヒロインも飛び込みをやってて、水着シーンを問題なく描けるからかも・・・なんてことも思いましたけれどね(笑)

自分が読んだあだち作品中では緒方を筆頭として最も「脇キャラ」に魅力があった。
本来なら二ノ宮を巡る恋のライヴァル・・・ということで「足の引っ張り合い」をしたっておかしくはないのに、そんなギスギスした雰囲気とは無縁。
作中において時間が経過していく中で、二ノ宮の気持ちが大和にあることをそれぞれが薄々感じ取ってからは、影ながら2人の仲を応援し祝福するような「仲間」となるのはとても良かった。

大和の真のライヴァルは二ノ宮の幼馴染であり、水泳でも大和の「憧れの人」。
だからこそ「溺れた二ノ宮を助けられたとき」大和は二重の意味で愕然としたのだった。
そんなライヴァルが事故にあって選手生命の危機が叫ばれる中、大和は虚脱感に襲われ、二ノ宮は事故を自身の責任と感じて2人の間で板挟みとなって苦しむ。

水泳でも恋でも「不戦勝」では納得のいかない大和。
だが、事故から脅威の復活を遂げたライヴァルもその気持ちは同じだった。
いざ対決の日を迎えて・・・・試合の結末を読者に委ねたような形で物語の幕は降りる。

「大和」の勝ちと思うのは早計。私は「お兄ちゃんの執念」に大和が破れる展開もありだと思う。

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[投稿:2010-06-19 00:10:43] [修正:2010-06-19 00:10:43] [このレビューのURL]

乙女座のα星、通称「スピカ」は高速で回転し合う2つの星「連星」の総称。
地球から350光年は離れているという、その美しい輝きは対となる存在があってこそ生み出すことのできたものだった。

人類が本格的に宇宙へと進出しようとしていた二十一世紀初頭。
日本初の有人宇宙探査ロケット「獅子号」が打ち上げに失敗して墜落、炎上して多数の犠牲者を出すという痛ましい事故が起こる。

事故で母親を失った少女・アスミはなぜかその事故で亡くなったロケットのパイロットの1人が幽霊となって現場近辺を彷徨っているのを診付ける事ができた。

元・獅子号建設の技師だった父を持つアスミは成長するにしたがって「宇宙飛行士になりたい」という夢をより強い想いで抱く。

宇宙という未知の空間にあっては体力勝負・・・になることは素人考えでも想像が付く。それなのにアスミの身体は同級生の他の誰よりも小さいときていた。
どうみてもハンデを背負っている彼女が、宇宙学校に入学し多くの困難を持ち前の根性と努力で乗り越え、仲間たちと宇宙を目指していく。

多くの登場人物たちの心を囚われの身としているのは、やはり「獅子号墜落事故」。
このお話の数々の問題の源流を辿って行くと必ずぶつかる「物語の原点」。
だが、今も現世を彷徨う当事者であるはずの「ライオンさん」はその事について「黙して語ろうとはしなかった」・・・・・。

地球から見える星の明るさは均等ではない。
最も明るく見える星が「一等星」。二等星・三等星と明るさが落ちて、最も暗く見える星が「六等星」と振り分けられている。
本当は他のどの星よりも強い輝きを放っているかもしれないのに距離が遠いゆえに「暗い星」と思われているものが無数にある。

「六等星の少女」が「一等星の輝きを放つまでの物語」ですよ。これは。
「真の一等星」を見分ける目が切望される。

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[投稿:2010-06-19 00:07:25] [修正:2010-06-19 00:07:25] [このレビューのURL]

高橋先生の作品の中で唯一の傑作。「うる星やつら」や「らんま」のようにコメディが話の主題では無く、あくまでラブストーリーという点でまず評価出来ます。

絵柄が最初のほうは下手なのが難点です。後半と見比べるとギャップが気になります。
ヒロインが若き未亡人というのも珍しい。やはり名シーンは五代君のプロポーズと響子さんの返答。後は、惣一郎さんの墓前で響子さんを守っていくことを誓う五代君ですかね。
惣一郎さんは最後まで顔が判りませんでしたが、五代君の感想や響子さんの回想などから人物像は自然と浮かび上がります。惣一郎さんもきっと五代君に負けないくらい響子さんのことを大事にしていたことは確実です。五代君と結婚したとしても響子さんはきっと折に触れて思い出していたことでしょう。たとえ2人の間に子供が生まれたとしても、忘れてしまっては可哀相でしょう。

三鷹さんの勘違いによる「響子さん争奪戦」からの脱落は・・・ラストで子宝にも恵まれての結果オーライ!・・・じゃないと思うんですけど・・・いいのか?。

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[投稿:2010-06-19 00:05:17] [修正:2010-06-19 00:05:17] [このレビューのURL]

10点 BASARA

「悪いことを悪くとるのは当たり前です。良い方にとってこそ勝負師ではないですか」(第8巻)
「あなたは賢く時代を見つめなければ。なぜならあなたは母親だから。わかりますか。国の未来を築くのは救世主でも王でも英雄でもない。母親という人たちです」(第9巻)
「憎しみはね続かないんですよ。生きて歩いて人に会い、誰かを愛せば消えてしまうんですよ」(同上)
「こんなことは大した事じゃないんだよ。OK?」(第11巻)
「たとえそれぞれ違う場所で朽ちて死んでも、あなたや彼らが必ず全力で道を行く時、心と心は同じ場所にいます。同じ時代に同じ夢を追ったそれはまた運命です」(第20巻)
「支配されるな!簡単に乗せられるな!だまされるな!己の望むことを!己の望むように!己で考え!己で選び!己で決めろ!己を信じ、己を頼め!己の意思で、判断で、誇りを持って己の為に生きよ!」(第23巻)
「“心を受け取る"と書いて“愛"と読むのだす」(同上)
「オレは多分、今ここでこうする為に生きてきたんだよ」(第24巻)
「オレもお前もタタラに会えて良かったな。同じ時代に生きて良かった」(同上)
「あなたも女ならわかって下さい。女の幸せは愛する人と一緒になって子供を産むことでしょう。あなたもその様に生きて」「わからない。それは動物にでも出来るよ。あたしはあたしにしか出来ないことをやる」(第26巻)
「オラは魚を釣って食べるだす。それはフツーだべ。魚もオラを食べていいのだす。それもフツーだべ。けんど戦とかそういうのは、フツーじゃなくて気持ち悪いのだす。しなかったらしなくていいのだす。宝とは命だべ。魚を釣って食べることのできる命だべ」(第27巻)

私はこんなに次々と名セリフが挙がる漫画を他に「うしおととら」くらいしか知らない。
文明が滅びた未来の(驚き)日本を舞台によくもまあここまで胸踊り、感動の嵐を巻き起こす物語を紡ぐことができたなと感心することしきりである。登場人物はちゃんと名前が付いていて、セリフのある人だけでも100人以上(!)。主役は一応タタラであるところの更紗なのだが、私はこの漫画の主人公は他に朱里・揚羽・浅葱の3人がいて合計4人が「主人公」だと思っている。
中でも個人的に注目は「揚羽」の生き方。昔予言された「命を賭けられる運命の女」を捜し求め、それを更紗だと信じて守り続け、土壇場の王城地下では城の崩壊を遅らせるために誰にも知られることなくたった一人で戦い続けた姿は強烈な印象を残す。城が崩壊した後、揚羽を捜して泣きじゃくりながら必死に瓦礫を掘り起こそうとする更紗の姿が痛々しい。番外編を読んで最後まで迷い無く生きられたのだと知って少しだけ救われた。
その番外編も珠玉の名作ばかり。特に「KATANA」のラスト、100年以上前の戦いを「銀杏の木が実をつけるのには時間がかかること」とに喩えて
「いつか熱い想いを胸に 4本の宝刀を持って 弱き者たちが立ち上がるだろう」と結んだシーンで・・・・・・泣いた。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-18 23:59:34] [修正:2010-06-18 23:59:34] [このレビューのURL]

「寄生獣」の作者による古代ギリシャを舞台にした物語。
日本人にとってはホントに馴染みのないお話で、資料収集にしても世界観の構築にしても難しかったろうなあ・・と作者の苦労が偲ばれてしまう。

冒頭、1人の青年が生まれ故郷の町に帰ってくるところから話がスタートする。
主人公にとってはどうやら久しぶりに見る故郷らしい。さぞ懐かしさがこみ上げてくるかと思いきや・・・町はいきなり軍隊に取り囲まれていた(笑)。
このままでは町にも入れない。困り果てる主人公と同じく街に入りたい老女。
そこで、主人公は一計を案じてまんまと町の城門を開かせることに成功する。

久しぶりの我が家・・・は建物からしてなくなっていた(笑)。
主人公はかつての自身の部屋のあった場所で「物思い」に耽る。そして、ここから主人公の幼年編がスタートするのである。

かつては裕福な家のおぼっちゃまであった自分。使用人や奴隷を多く召抱え、父は町の有力者で、母は美人だがどうにも出来のいい自分よりも不出来な兄のほうを可愛がっているような素振りが時折見える。
好きな書物は読み放題。成績も抜群で、兄弟仲はいいとは言えないものの、何不自由もない生活。
いずれは学者にでもなって・・・・などと呑気に構えていた主人公の人生が父の死によって一変する。
父は父を快く思わない連中の謀略で暗殺されていたのだ。そして主人公は自身が両親の実子ではないことを知る。しかも奴隷の息子であることを!
母や兄からも見放され、商人に身を売られて故郷を離れなければならなくなる。

ここから始まる主人公の運命の流転。折しも出航した船は嵐に遭い、木の葉のように浪間を揺れ惑う。
「主人公の嵐の人生の大海原」はここに開幕のベルが鳴ったのであります。
果たして沈没するか、堪えるのか?

「さては、皆様お立ち合い」でございまする?(了)。

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[投稿:2010-06-18 23:56:47] [修正:2010-06-18 23:56:47] [このレビューのURL]

「老醜」・・・・という言葉がありますが、老いて醜さを曝け出しているのが正に水島新司先生に他ならないでしょう。

これは商業雑誌に掲載されるべき漫画ではなく、単に作者が1人で楽しむために描いている「都合のいい同人漫画」でしかありません。

「ドカベン」「あぶさん」等の野球漫画を描いたおかげで、現実の野球界にですらおそらくは漫画界では1番影響を与える発言が出来るようになったと思われる水島先生ですが・・・、もはや「現実」と自身の描いている「虚構」の世界がゴッチャになっていますね。
このシリーズはそもそも現実世界で起こったプロ野球界の「球団削減」「一リーグ制の実施」といった問題に端を発し、それに対する「先生流のひとつの回答」であり、また先生流に球界やファンに対して投げ掛けた「警鐘」・・・・のつもりだったのでしょうね。少なくとも御本人だけは。

でも読者の側から見てると、作者自身が現実には叶えることの出来ない「野球界の発展(それも先生的に謂わせれば、おそらくは「大」が10個くらいは付いてくる位の、である。)」や「野球界の隆盛(これも前述に同じ。)」を「自分の漫画で描いて憂さ晴らしをしている」ようにしか見えません。自分1人だけで「溜飲を下げている」んですね。先生がそんなことをしているうちにも現実では「プロ野球離れ」はまるで「病魔が身体を蝕んでいくように」刻一刻と進展していっているのにです。

一体、このシリーズはどうやって「終了の花道」を飾るのでしょうか?先生の野球界に対する情熱は最早、完全に「上滑り」しているというのに。先生自身ですらもこの「無限地獄」から逃れるには自らの執筆中における「戦死」以外にはないような状況になってきていることを感じていらっしゃるはずだ。

先生の他にも漫画界に数人いらっしゃいますよね・・・。自ら同じ境遇に嵌り込んでしまっている方が。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-18 23:51:55] [修正:2010-06-18 23:51:55] [このレビューのURL]

高校時代のものはともかくとしてプロ野球編以降は作者の自己満足にすぎない気がします。

架空選手と実在の選手をリンクさせるというのは面白い試みだけれど、無理がある。
架空選手がどんなに個人的に凄い成績を残したとしても、その年のチームの成績を現実通りにするため、結局のところ「架空選手はいてもいなくても同じ」ことになりますよね。これは作者の他作品である「あぶさん」にも共通して言えることかもしれない。
その年のドラフトを勝手に改ざんするのも悪い。指名選手を勝手に順位を変えたり全く別の架空選手と入れ替えたりするのは、私が選手だったら怒りますよ。後々、選手が活躍しだしたらどうやってつじつまを合わせるのでしょうか?矛盾だらけになるのでは?そして、やたら下位指名の架空選手がなぜか活躍・・・って、「それは上位指名では登場させられないからでは?」とお聞きしたいのだが。
山田の妹も結局、実在選手とは結婚させられず・・・・・そりゃそうだ(笑)
なにか「他人の褌で相撲をとっています」感が拭えない。

これだけ凄い架空選手が揃っているのだから、当然メジャーへ次々と移籍していき、「ドカベン?メジャー・リーグ編?」がスタートするのが自然な流れ。ボンズやソーサも出てくるぞ!・・・・にはならなかった。やはり日本人読者にはメジャーで活躍する松井・イチローらの日本人選手はともかくとして他の選手は馴染みが薄いので区別できないから無理ということになったのだろうな。架空選手も「英語を話したり」「アメリカ生活に馴染んだり」することができるとも思えないし。
しかし逆に考えれば、「メジャーリーグ編」は作者が世界に大きく打って出るチャンスだったとも思う。
「日本の水島」から「世界の水島」へ。四国に閉じ篭るのとどちらが良かったのかは謎だが。

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[投稿:2010-06-18 23:50:12] [修正:2010-06-18 23:50:12] [このレビューのURL]

入学した高校で生まれて初めて「見知らぬ男から告白された」根岸さん。
最初は「変な奴・・・」と思いつつも、自分の気持ちに正直な星野君に徐々に影響されていき(ペースに巻き込まれていき?)、気が付けば「全校公認」の名物カップルに(笑)。

画はまるで「版画作品」のようなぎこちなさで、ラブストーリーだというのに「いやらしさ」は皆無。
少年漫画版「ハツカレ」ともいうべき、ぎこちない2人を包む空気と星野の「ボケ」に対する根岸の「ツッコミ」が個性になっています。最終的には身も心もひとつになった2人。全5巻は短すぎるとも思うのですが、愛が成就した2人の未来に幸あれと思えるラストに感動もひとしお。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-18 23:47:02] [修正:2010-06-18 23:47:02] [このレビューのURL]

世にも珍しい「服の仕立て屋」を主人公とした、おそらくは唯一の漫画。

よく人間にとって最低限生活を営んでいく上で重要なものとして「衣・住・食」という言葉が使用される。
・・・・・が、こと「漫画」に限るとなぜか三つの中で「食」ばかりが持て囃されて、「衣」と「住」はほとんど手を付けられていないと言っていい状態にあることは、多くの皆さんも何となく感覚では理解できることだろう。

これはどうしてなのだろうか?
・・・・理由はいくつかは想像ができる。「食は、食欲という言葉に例えられるように人間が生存する上での本能のひとつだから衣住よりも興味が強い」とか「日常生活の中で衣住よりも意識する頻度が高い」とか「ヴァリエーションが広いので、ドラマを構成することが衣住よりも容易」だとか。

この漫画はその「漫画における圧倒的な食礼賛の風潮の中に切り込んできた作品」でもある。

タイプとしては細野先生の「ギャラリーフェイク」に近い作品と書くと分かり易いか。
所謂、「その道のプロフェッショナルによって語られる業界の薀蓄(うんちく)」と、それに絡む「毎回の人間ドラマ」である。
「ギャラリーフェイク」は美術界が舞台であったが、それがこちらでは「服飾の世界」になるのだ。

これは偏見かもしれないが、このサイトにいらっしゃる方の中でファッションや衣服に対して詳しいとか、一言を持っている方は少ないのではないだろうか?
自分も決して普段から常に衣服のバランスだとか、コーディネートに気を使っているとは言い難い状態。
だからこの漫画を読んで正に「目から鱗」。

よく「人間は見かけじゃない。中身が重要」なんてことが言われるが、そうは言ってもやはり「見かけで判断されてしまう世の中」なのだ。
それを踏まえた上で、見かけを良くすることで場の雰囲気を良くしたり、相手に対する自分の印象を好意的なものに変えたりする技術は実は私達が思っている以上に重要だったということ。

その努力の必要性を多くの人に喚起するという意味においても極めて存在価値のある作品と言っていい。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-18 23:45:52] [修正:2010-06-18 23:45:52] [このレビューのURL]