「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

直球ラブストーリーで「ラブコメ」ではない。
それはまず絵柄を見ても分る。この絵では「ラブコメ」をやるのは無理。「絵が泥臭過ぎる」ってこと。
ラブコメの絵はもっと華やかさとか軽さが重視されるだろう。
なので「全然、笑えるとかパニックで事件が起きる」などということはなく、部活動を主体とした青春ラブストーリーが描かれる模様。逆に最近ではそれが珍しい。

こう書くと、何かジャンプでは過去にいくつもあった打ち切り作品のひとつみたいな雰囲気はする。
20年以上前の黄金期に掲載されていたら継続するのは難しかっただろう。
唯、今は令和の時代で昭和でも平成でもないので、ジャンプ連載作品のレベルもその当時よりは明らかに下がっているし、勢いはないので他の連載作品との相対的比較で生き残れるかもしれない。
主人公とヒロインのやっている部活の種目が違うというのも異色。
まあ男女混合の競技は少ないから問題ないのか。

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[投稿:2022-05-08 07:06:57] [修正:2022-05-08 07:06:57] [このレビューのURL]

5点 風光る

同タイトルの野球漫画ではなく「新撰組漫画」のほうですね。

男装した少女が新撰組の一員となって沖田総司と恋仲に・・・・なんていかにも女の子が妄想しそうな展開で、ちょうど大河ドラマも「新撰組」をやっていた関係で相乗効果で一時は話題にもなっていた。
ただ、「壬生の狼」が迫力のないコミカルな集団に成り下がっている感は否めないな。

それに史実で「新撰組」はいずれ時代の動乱の中に徳川幕府と共に滅びていくものだと判っているだけに、どんなに和やかな展開になろうと、沖田との恋が進もうと「嵐の前の静けさ」に過ぎないのだ。
ラストが悲劇的なものと判っているだけに作中で「知らないことになっている」新撰組の面々が憐れでならない。新撰組も維新直前の数年は裏切りと「厳しい掟」による内部粛清の繰り返しだったという。元々、武士ではなく農民崩れの集団が「より武士らしくあろう」とした結果の悲劇だったのだろう。
その悲劇をコメディタッチの作者が描けるとは思えないのだが・・・・。
沖田もいずれは病死・・・・。新撰組も瓦解する。それを知らぬセイは「自分の存在の基盤」を失っても生き抜くことの出来る強さを持っているだろうか?
(完結したので追記)
何と足掛け23年にも渡る「少女漫画版・新撰組顛末記」が完結した最終の45巻。

私はこの漫画を連載開始時から知っているのですが、始まったとき
「男装した女の子が沖田総司と恋仲に」なんていかにも少女漫画的な発想で、こりゃ適当に十数巻で終了だなと思ってました。
事実として、同じことを考えた方は多かったのじゃないかな。
この作品、当初は「沖田とセイの恋」が主題で、「新撰組」自体はメインではなかったはず。
が、連載が進むに連れてこの基本が変わってしまう。
メインのはずの沖田とセイの恋よりも「新撰組自体の栄枯盛衰」がいつの間にかメインとして話が進むようになり、当初の沖田とセイの少女漫画的なやり取りは端へと追いやられることになってしまった。
所謂「主客転倒」が起きた珍しい事例である。

背景には前述の連載開始時に一部の読者が抱いた「少女漫画家に新撰組の栄枯盛衰の悲哀」を描けるわけが無いというある意味「挑発にも似た渡辺先生への侮り」に対し、先生が「本気でそれを覆してやろうとした」ことだと思う。
何とこの45巻の巻末でご本人が述べているように「1,000を軽く超える文献に実際に当たって読み込み」、「下手な歴史家以上の知識をインプット」することが出来た模様だ!
これは一少女漫画家として「驚異的なレベル」と言ってよく、何せ本人がこの45巻の冒頭のカバーコメントで「自分で自分を(よくやった!と)褒めてやりたい」と手放しで言っているほど。

つまり片手間などではなく本気で取り組み、完全に「少女漫画レベルを軽く超越する題材の研究をした」ところまで到達してしまったようだ。
その結果、当初は十数巻でお茶を濁すことも出来たはずの作品を全45巻・23年の年月を掛けて描き、一応(最後の沖田の死亡後がやや駆け足でダイジェスト的にはなったものの)新撰組の栄枯盛衰を描き切ることが出来たのだ!

但し、問題として前述の「主客転倒」が起きた為、当初から「沖田とセイの少女漫画的なラブロマンス」として作品を見ていた多くの女性読者が期待していた方向とは作品として全く異なる着地をしてしまったのだ。

以下「何でこうなった?」の疑問点が挙がっている。
1.沖田との間に子供が生まれず、何で土方との間に子供が出来るの?
→沖田はそもそも重病で子作りは出来ない。結婚した時点で沖田もセイも子供を望むことは無理だとお互いに理解していたはず。よって、沖田の子供をセイが産むことは出来ない。その時点で沖田死後のセイが後を追うことは予想できる。それを回避するのが「代理父」ということでの土方になるわけだが、もう新撰組の面々も多数が戦死しており、主要な生存者は土方しかいなかったので消去法になった面は否めない。子供作ってやるから生きろ!で強姦するのは現代的な価値観で見ると不自然だが、江戸時代の価値観は現代とは違うはずで、女性蔑視が感じられたとしても時代からすればむしろ普通という面はあるはずだ。沖田の死後、1年以上経過してからの妊娠の発覚であるので、沖田との子供でないことは間違いない。

2.散々、男になろうとしていたセイが結局は「女」に戻ってしまうのでは意味が無い。
→これについては「時代が明治と言う新しい世の中に変わった」ことが答えだと考える。江戸時代は「男尊女卑」で女性の地位が低かった。だが、江戸時代が終わり明治の代になって、これからは「女性であっても身を立てていける時代」となった。だから、新しい時代に生きるセイはもう「男に拘る必要性もなくなった」ということだろう。

3.何で土方が父親なのにセイの産んだ男の子が沖田に似ているの。
→これはもう、死んだ沖田の執念か、嫌がらせ(土方に対する)としか・・・(笑)。自分の最愛の女性と子作りさせてあげたのだから「土方さんはそれで十分でしょ。だから子供は私に似るようにしますね(笑)。」ということとしか考えられん。沖田の魂が生まれた男の子に乗り移ったのだろう。

こうしてセイは明治の世を無理矢理生き抜かされることになるが、私はセイはその後も明治・大正と行き続け、最終的には「昭和天皇の即位」を目撃して昭和の初期に孫を抱くまで生存できたと見る。
それはつまり「新撰組最後の一人(生き残り)になった」という意味であり、土方がセイに与えた「罰」にもなるということだろう。
即ち「新撰組最後の一人となって、世の移り変わりを見届けよ。」という、ある意味「最も重い罰」を最後の最後に土方はセイに与えたとも解釈できる。
なので、作品として「少女漫画版・新撰組顛末記」と見るなら「星5つ」で十分だと思う。
但し、前述のように本来の「沖田とセイのラブロマンス」を期待していた多くの読者を省みなくなったので、そちらを期待していた読者の評価が低くなるのもまた当然だと思います。
上手くバランスを取れなかったのか?いや、バランス取ろうとすると結局「どっち付かず」になるのが常。
ある意味「私は少女漫画版・新撰組顛末記を描きたかったのよ」が先生の回答だろう。

この45巻でむしろ不満に感じるとしたら前述の内容ではなく
・「沖田の死後がダイジェスト版のように省略されている感がする」点。
・「巻末に変などうでもいい番外編」が入っている点。
の2つだと思います。
番外編なんて入れるくらいなら、もっと沖田の死後の新撰組を丁寧に描いたほうが良かったでしょう。
或いは番外編を入れるなら「その後のセイの人生」を描き、私が予想したように孫を抱いて「昭和の到来を目撃する」ような話にしたほうが良かったと思います。

とにもかくにも、連載開始時に私が抱いた「新撰組の栄枯盛衰を描けるわけない。」という予想は覆された。
その点だけは全45巻の大長編の完結を以って「間違いない」と保証したい。

セイ視点で見るとこの「風光る」とはどんな物語なのか?
様々な解釈があるだろうが、私は「セイの男運の悪さの遍歴」に尽きると思う。
セイが頼りに思ったり、信頼を寄せたり、恋愛感情を抱いた男は悉くセイを置いて遠くにいってしまう(大抵の場合は死亡する)のだ。これはセイの父親と兄も含めての話である。そしてセイは一人ぼっちになってしまうのだ。
セイ自身も45巻で遂にそんな自らの境遇と運命に耐えられなくなって、自殺を考えるようなところまで追い詰められてしまう。
が、この土壇場、最後の最後で「遂にセイを置いていかず、終生セイに寄り添ってくれる男性」が一人だけセイの傍に残ってくれることになったのだ!それがセイの胎内から生まれ出た一人息子の「誠」だったという皮肉な話。
この「男」だけは、セイの傍から離れず臨終の時までセイを大切にしてくれることになる。
セイにとって「自分の傍に寄り添ってくれる唯一の男性」が、「血を分けた実子の息子」は全くの想定外で、そもそも沖田と子供が作れず沖田と死別してから「子供を産む」など考えもしていなかっただろう。
こうしてセイを付きまとった「男運の悪さ」を最後の最後で振り払い、セイは寄り添ってくれた息子の為だけに自死を思い止まって生き続ける道を選んだのだ。
それを理解して本編のラストシーンのセイの笑顔を見れば、この物語が「紛れも無いハッピーエンド」であると判るはずだ。

真に「人生とはままならず(思い通りにはいかず)、望んだものは追い求めても手に入らず、絶望して自暴自棄となり、死を選ぼうとしたその時、あれほど手に入れたいと思って手に入れられなかったものがアッサリと手に入れることができた。」
人生のままならさを味わいつつ、それでも「幸運は確かにあった」と感じるセイ。
一応、誠は「富永家の跡取り」になるので、セイとしては亡き父・母・兄に対しても「申し訳が立つようになった」ことも忘れてはならない。時代劇の「水戸黄門風」に言うと「亡くなったお父上、お母上、兄上もきっと草場の陰で喜んでいることでしょうな。(BY黄門様)」という状況ね。(あれ?「土方姓」は名乗らせないの?と思うでしょうが、「土方家の跡取りではない」、という点がセイなりの土方への「仕返し」でしょう。これは「強姦されて妊娠させられたことへの仕返し」ではなく、「最後の最後に仲間だと信じていた新撰組から、お前は女だから俺達の仲間じゃない!と放逐されたことへの怒りと恨みつらみ(笑)による仕返し」でしょう。セイとしては「それくらいの仕返し」は当然しないとという話だ。)

最後にラストに不満のある方に言うとしたら
「この作品は、セイが沖田の後を追って死ななかったことのみを以って良しとすればよい。」ということかな。
自殺するセイも戦場で男として討ち死にするセイも見なくて済んだだけで十分でしょう。

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[投稿:2010-09-12 20:00:56] [修正:2022-05-06 14:00:34] [このレビューのURL]

浦沢先生の「MOSTER」に次ぐ作品。近年に実写映画化もされた。
60年代を過ごした子供たちが大人になり現実の壁にぶつかり苦しんでいた90年代。
幼い頃の空想の世界の滅亡と立ち向かう仲間たち。

が、その空想の世界を滅ぼそうとする悪の首謀者は「自分たちの仲間の中から出てきた」
集団となり組織化された宗教集団は政界・財界をも巻き込み日本政府の中枢にまで食い込む。

主人公を中心としたかつての秘密基地の仲間たちは冴えない大人の日常を捨てて結集する。
だが、敵の策略によりメンバーは極悪人のレッテルを張られて四散。
近未来は世界を滅亡させようとした男が「人類の救世主」として祭り上げられる偽りの世界が構築される。

子供の頃は様々な夢を描きながらも、大人になったとき現実の壁の前に飲み込まれ、どうしようもなく日々を重ねていたかつての少年・少女たちが
「自分たちの播いた種」を刈り取らねばならなくなる。

そのとき彼等は多くの犠牲を払いながらも人類の滅亡を救う真の救世主として生まれ変わることになるのだ・・・・・・。

だが・・・・そうなった後に彼等は本当にこの結末を望んだだろうかと考える。
「否」。
自分たちが歴史の教科書に勇者として記されるよりも、たとえ冴えないサラリーマン生活であったとしても、平和で穏やかな日常を選んでいたことだろう。

夢を描いていた少年時代から大人になったとき、後悔の連なりかもしれない。
だが、それでも彼等の戦いの軌跡を目にすることで人類は再出発のラインに着いた。

終盤のグダグダと「後付けしたかのような」ともだちの正体が残念なのだが、引き込む力は流石だ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-25 08:18:48] [修正:2021-07-18 22:58:07] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

80年代にグルメバトル漫画として少年誌で人気を得た「ミスター味っ子」を現代風に描き直したような作品。

とにかく画力が高いのが特徴。それ故、作中の料理がそれなりに美味しそうに見えるのは良い。
さらに女の子が可愛い。この絵が描けるなら普通は「ラブコメ」のジャンルが漫画を描くに最も適していると誰でも思うだろう。
だが、そこへ「料理」という題材を持ってくる。少年誌なので「対決・バトル路線」になるのは当然としても、
味っ子のアニメ版での美味しさを現す「オーバーアクション」が、この作品では登場キャラの「全裸」に置き換えられて表現されるというのが特徴。
しかもキャラは男女問わず(笑)

女性キャラの絵柄が「パジャマな彼女」をジャンプで連載していた濱田先生に酷似していると思うのですよね。
つまり、あの絵で女の子はいやらしいままに料理漫画にシフトしたというと分かりやすいか。
とすれば「ヒットする条件」満たしているということ(笑)
まだ3巻までなので序盤の助走という段階だが、これからドンドンキャラが脱がされると見て間違いない!

(完結したので追記)
かつての人気作品が見る影もないほどに劣化した悲しいラストです。
作画・監修共に「最早やる気なし」と見て取れて痛々しいです。
人気作品だった「食戟のソーマ」が何故これ程までに落ちぶれたのか?

「BLUE編」がそもそも大失敗で、学園の外に強敵が・・・なんて設定出した為、料理人の憧れの的であるはずの「遠月学園」の価値が下落し、それまで出ていた多くのキャラたちの出番が無くなった。
その「BLUE編」で登場する敵の料理人たちがどいつもこいつも小物感・イロモノ感満載。
チェーンソー使用した料理なんて監修が付く必要性が最早なく、あまりの超展開に作画担当と監修者のやる気を無くしたことが紙面から伝わってしまった。
そして最大の失敗は創真の父親が倒されて、ラスボスのはずだった地位を転げ落ちたこと。
これにより、「食戟のソーマ」という作品自体もゴールを見失って迷走する結果になり、今巻での打ち切りとなった。
何とか読めるのは「創真が第一席になったところ」まで。その場面以降の巻は捨てていいです。
事実上、30巻を以って終焉した作品。31?36巻は星1つです。
最後だけ「大団円」みたいな形にしてもダメです。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2013-08-14 21:50:04] [修正:2019-11-07 20:46:41] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

捨て犬が女の子に拾われて家族の一員になる。幸せな暮らしだった。
だが・・・時間の移ろいでその幸せがゆっくりと壊れていく。
自分を助けてくれた一人娘は不良少女と化して家に帰らなくなり、お父さんは病気がちで仕事も辞め、お母さんは娘の問題に無関心なご主人に離婚を突き付けた。
「ハッピー」と名付けられた飼い犬は家族がゆっくりと崩壊していく様を見届けさせられるがどうすることも出来ない。病気がちなお父さんに引取られたが、お父さんに行く当てはなく最後の旅路に出発した。

やがて身体の衰えから人知れぬまま車の中で死を迎えたお父さんの側に愛犬は最後まで寄り添い続けた。
何の救いもない、唯々只管に悲しい話である。お父さんが行政などで生活保護等の申請をしなかったとか、何で娘が不良化するまで放置し続けたのかとか疑問は多々ある。
ハッピーが生まれてから捨てられて箱の中で鳴いていたコマ。ハッピーの後ろに「もう1匹子犬が居る」ことに注目!
このハッピーの兄弟犬がハッピーと異なる運命を歩んだことが続編で語られます。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2019-06-26 15:45:53] [修正:2019-06-26 15:45:53] [このレビューのURL]

高校生たちが学園自体がギャンブルで階級が決まるという制度の中で戦う。

「カイジ」の女子高生版という表現で合っていると思います。
最近、TVアニメ化・劇場映画化もされました。映像版は未視聴。
舞台は共学の高校なのですが女性がほぼ登場人物の大半を占めます。
絵はそれなりに綺麗で福本先生のような泥臭い絵柄ではなく、洗練されています。
そうなると後は物語とキャラで魅力の大半が決まるのですが、イカサマが前提で主人公側はそれを見破るも最後は運任せとか滅茶苦茶な場面も多い。
今ならコミックス1.2巻くらいは半額で購入できるので試し読みしてみるのも有りかと思います。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2019-06-05 10:08:56] [修正:2019-06-05 10:08:56] [このレビューのURL]

マイナーな掲載雑誌「ビーム」から飛び出た大ヒットがようやく完結の最終巻。
だが、もう完全にお風呂文化はどうでもよくなっており、当初と話の主旨が違っております。

「お風呂のみのタイムスリップ」であったはずのルールがいつの間にやら書き換えられ、
お風呂以外の日本人とも触れ合ったり、遂には現代日本人女性と恋愛して結婚とか
「大団円」なんて表面だけのような気がします。

元々、このヒット自体が想定外で著者自身も「長期連載は予定していなかった」んでしょうね。
だから、最初の勢いが最後まで持っていないのは明らかだし、展開が無理矢理なのも致し方なしなのかな。

2・3巻で終わらせられなかったのはヒットした故の悲劇だったかもしれないけど、
同じ「ビーム」連載の「放浪息子」も終了して、もうビーム作品は読むに値する作品がなくなってしまったよ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-27 11:14:58] [修正:2013-10-13 12:59:06] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

全国大会で咲とは別ブロックの阿知賀女子学院の面々(和の幼馴染たち)の戦いの軌跡を描いた「阿知賀編」です。

準決勝前半の咲の姉・宮永照による圧倒的なリードは最早なくなり、各チームとも9万から10万点前後に点数がなれてきて混戦になります。
阿知賀の面々は準々決勝で千里山の面々に苦戦して何とか2位通過でした。
それが混戦にもつれ込んだとはいえ、白糸台を上回ってトップ通過とはやり過ぎでは?
これでは決勝が「阿知賀VS清澄」の構図になってしまうぞ。
本来は咲と姉の照の因縁から考えて「清澄VS白糸台」の対決でしょうよ。

巻数としても全6巻って中途半端な終わり方。全国大会に来るのが早過ぎで、本編と無理矢理連動させる必要があるという裏事情はさておいても、
阿知賀の面々がいきなり強くなり過ぎで面白みを欠いたことも事実。
本編と連動させるのでしたら連載時期をもっと早くする必要があったんではないかな。

後、作画の五十嵐先生は正直「絵が下手」。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2013-09-08 16:49:26] [修正:2013-09-08 16:49:56] [このレビューのURL]

昨今は大御所のヒット作を別の漫画家がリメイクしたり、続編を描いたりするのが流行らしい。

にしても、これの「漫画化」はむしろ遅すぎるような気がするのだ。
本来なら原画を描いていた藤島先生がとっくの昔に描いていてしかるべきだと思うのだが、なぜか今まではされなかった。
これはゲームを出しているセガの意向もあったのかもしれないが、この漫画家は原作者の広井さんもオッケーを出しただけあって、非常に絵柄が藤島先生に近い。
ただまだゲームでいうところの1が始まったばかりなのでレニや織姫、まして巴里の面々の出番などいつのことになるやら・・・・である。

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[投稿:2013-08-17 09:13:34] [修正:2013-08-17 09:13:34] [このレビューのURL]

「デビルサバイバー2」の漫画版です。「1」も同じく漫画版が連載中ですが、「1」とは別雑誌で別の作者ですのでご注意下さい。

物語的には「1」との繋がりはなく、全く別の物語として開始されます。
漫画版の「1」との比較で言うと、こちらのほうが絵が雑というか汚いですね。
元々のゲーム版でもキャライラスト自体は「ラノベの挿絵風」であったのですが、「1」のほうはそれでも比較的ハッキリした輪郭でした。
でも、こちらは逆にキャラの輪郭がハッキリしていません。

物語としては模擬試験の帰り道の男子高校生が「死に顔サイト」という自分の死ぬ瞬間の画像が作れるというおかしなサイトに登録した結果、
携帯電話に自分自身の死の様子が通知され、その通りの事が自分に降りかかってくるところから物語が始まります。

・・・そんな不気味なサイトに喜んで登録する感覚が良く分からん・・・・誰も「おかしい」という感覚がないんですか?
死ぬ寸前に「悪魔召喚プログラム」を自らの意思で受け入れることで復活を果たした。
災害を避けて外部に出てみれば外は滅茶苦茶。家族とも連絡が取れず政府関係者によって非常事態宣言が発令される。

主人公は特別な力で普通の人間には召喚できない悪魔を召喚したことで政府に拘束され協力を依頼される。
巻き込まれ型で、訳も分からないまま事態に対処しなければならなくなるという点は「1」と同じです。

「1」との違いは序盤から政府関係者と協力関係になるかどうか。バックに支援組織が付いたのが「2」ですね。
「1」は基本的に友人たちで立ち向かい謎を解いていくという展開でした。
背後に支援組織が付いたため、移動等に便宜が図られるようになって舞台背景が「日本全国に拡大」しました。
物語的なスケールでは「2」のほうが上でしょうが、漫画としての出来では「1」のほうが上です。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2013-08-15 23:52:39] [修正:2013-08-15 23:52:39] [このレビューのURL]

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