「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

「絶望先生」「ネギま!」に続いてマガジンの長期連載が終了。
ですが、引っ張るだけ引っ張った末のラストシーンは多くの謎を放置したまま
「後は読者のご想像にお任せします」だって。舐めてますね。読者を。

あれだけ古代生物やらなんやらを登場させ、しかも一学年丸ごとの漂流教室で
「社会的にも大騒ぎになってしまった」以上は「元の世界の元の生活に戻る」ラストは有り得ないと思ってました。

では、他にどんなラストなんだろう?と多くの方が思っていたら「丸投げ」。
つまり「ネギま!」の赤松先生とさして変わらない内容でしかなかったということです。

最近のマガジンの終了作品で、締め方を評価すると
「絶望先生」★★★★★
「ネギま!」★
「エデンの檻」★
になりそうです。

作者の多くが、大風呂敷だけ広げて「畳み方考えていない」んですもん!最悪だ!

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[投稿:2012-03-18 16:56:56] [修正:2013-08-18 20:16:19] [このレビューのURL]

水沢めぐみの初連載作品だが、同時期に同じ雑誌で連載していた柊あおいの「星の瞳のシルエット」と設定自体は似たもので、幼い頃に出会った初恋の男の子と再会して・・・というもの。

ただこちらは作者の次作「空色のメロディ」でも続けて使用された「主人公の出生に謎がある」の分だけ「星の瞳のシルエット」よりも印象を残す。山場は終盤ではなく、結が養女だったと判る2巻辺りだった。
しかし、全体的にさわやかな印象の作風が後年幼稚化するとは想像もできなかった。

庫版を買いなおしてみました。やはり水沢作品で一番の作品ですね。

「家族愛」と「少女の成長」が大きなテーマだったと思うのです。
その片方「家族愛」が結が自分が両親の実子でないと知り、自分が存在するための基盤(所謂、アイデンティティ)を失ってしまった時に前面に押し出されて彼女の心に「血縁」以上の基盤を再認識もしくは再構築させた。
亡くなった実父の描いた絵本が結の精神状態と重ね合わされていることも効果的な演出と思います。
自分の居場所を失くして街を彷徨う結が育ての両親との十数年に亘る思い出を回想して、義父と義母が実親以上の愛情を注いでくれていたことを改めて認識し、自分はやはり育ての両親(正しくは叔父夫婦)と兄弟(正しくは従兄弟になる)が好きなのだと再認識して自分の意思で家に帰ることを選んだ場面が作品中で1・2を争う名シーン。片想いの相手「郡司」が何も言わずに寄り添い、親友のくうこは「もう家に帰れない・・・」と泣く結を抱いて「元気を出して」と励ました。
自分の意思で家に戻った結を待っていたのは家族からの温かい抱擁。実父の描いた絵本の中で失くしたお気に入りのビー玉は家の机の下から見つかる。「探していた大切なもの」はすぐ近くにあったのだと、ここでも結の精神状態と重ね合わせる演出が効果的に結んでいます。

まさに前半の山場でした。こういう感動的なシーンはなぜか(作者の)後の作品になるほどなくなっていくのです。大ヒットした「姫ちゃんのリボン」にしてもぬいぐるみが話したり、魔法が出てきたりとコメディ色が強くなり「姫ちゃんのリボン」以降はもうメチャクチャ・・・。絵も話も幼稚化しています。
家族崩壊の大きな危機を乗り越えた後半も悪くはありません。後半は郡司への片想いが成就していく過程が彼女の前向きな姿勢(生き方)に反映されてもうひとつのテーマ「少女の成長」がラストまで上手く話を牽引しました。結の恋に対する前向きな姿勢にテーマソングを選ぶとすればリンドバーグの「Over the top」(ベストアルバム・フライトレコーダー収録の別バージョンの方)が似合うと思います。

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[投稿:2010-11-23 20:31:29] [修正:2013-08-18 20:06:42] [このレビューのURL]

昨今は大御所のヒット作を別の漫画家がリメイクしたり、続編を描いたりするのが流行らしい。

にしても、これの「漫画化」はむしろ遅すぎるような気がするのだ。
本来なら原画を描いていた藤島先生がとっくの昔に描いていてしかるべきだと思うのだが、なぜか今まではされなかった。
これはゲームを出しているセガの意向もあったのかもしれないが、この漫画家は原作者の広井さんもオッケーを出しただけあって、非常に絵柄が藤島先生に近い。
ただまだゲームでいうところの1が始まったばかりなのでレニや織姫、まして巴里の面々の出番などいつのことになるやら・・・・である。

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[投稿:2013-08-17 09:13:34] [修正:2013-08-17 09:13:34] [このレビューのURL]

著者の代表作の続編だが、全盛時の勢いはもう過去のもので、ギャグが滑りまくる。
そういった凋落は既に前作の後半には顕著だったのだが、年月経過しても勢いが回復するものではないらしい。

全4巻で打ち切られたのも当然である。
が、時々思うのだ。「絶望先生」で知られる久米田先生よりも先にこの作品が所謂「あるあるネタ」を取り入れていたら
全く違う展開になっていただろうなと。
下ネタに頼ってばかりで「三流漫画」を脱出できなかった。

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[投稿:2013-08-15 23:57:05] [修正:2013-08-15 23:57:05] [このレビューのURL]

「デビルサバイバー2」の漫画版です。「1」も同じく漫画版が連載中ですが、「1」とは別雑誌で別の作者ですのでご注意下さい。

物語的には「1」との繋がりはなく、全く別の物語として開始されます。
漫画版の「1」との比較で言うと、こちらのほうが絵が雑というか汚いですね。
元々のゲーム版でもキャライラスト自体は「ラノベの挿絵風」であったのですが、「1」のほうはそれでも比較的ハッキリした輪郭でした。
でも、こちらは逆にキャラの輪郭がハッキリしていません。

物語としては模擬試験の帰り道の男子高校生が「死に顔サイト」という自分の死ぬ瞬間の画像が作れるというおかしなサイトに登録した結果、
携帯電話に自分自身の死の様子が通知され、その通りの事が自分に降りかかってくるところから物語が始まります。

・・・そんな不気味なサイトに喜んで登録する感覚が良く分からん・・・・誰も「おかしい」という感覚がないんですか?
死ぬ寸前に「悪魔召喚プログラム」を自らの意思で受け入れることで復活を果たした。
災害を避けて外部に出てみれば外は滅茶苦茶。家族とも連絡が取れず政府関係者によって非常事態宣言が発令される。

主人公は特別な力で普通の人間には召喚できない悪魔を召喚したことで政府に拘束され協力を依頼される。
巻き込まれ型で、訳も分からないまま事態に対処しなければならなくなるという点は「1」と同じです。

「1」との違いは序盤から政府関係者と協力関係になるかどうか。バックに支援組織が付いたのが「2」ですね。
「1」は基本的に友人たちで立ち向かい謎を解いていくという展開でした。
背後に支援組織が付いたため、移動等に便宜が図られるようになって舞台背景が「日本全国に拡大」しました。
物語的なスケールでは「2」のほうが上でしょうが、漫画としての出来では「1」のほうが上です。

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[投稿:2013-08-15 23:52:39] [修正:2013-08-15 23:52:39] [このレビューのURL]

設定が無茶苦茶過ぎる。
初期は怪獣と戦うようなヒーロー漫画だったはずが、いつの間にやら
「超人プロレス漫画」にシフト。なので初期編とのギャップが大きく、夏子とかマリさんとか中盤以降は全く話に登場しない。
完結後に観れば初期編は全くの不要。

さらに次々と強敵が登場するジャンプ的展開で、いきなり死んだはずの「ザ・忍者」が生き返って再登場していたりとかして、後付で「超人墓場」で仕事をして認められれば生き返れるなんていう設定出したりで「行き当たりばったり」。
穴がボコボコなので、キャラに思い入れが持てないとツライ。

悪魔超人編で「ジェロニモ」を置いて脱出しようとしたシーンはそれでも感動したんだが・・・・。

「王位継承編」でソルジャーが強盗から子供を救うために、いきなり服脱いで黒のペンキに浸したら「牧師の服になりました」って、どんな理屈だ!

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[投稿:2012-01-07 08:14:44] [修正:2013-08-15 20:29:39] [このレビューのURL]

辻褄が合わない点が多い。
死人がすぐに復活するので結局、「どうせ生き返るんだろ」で終わってしまう。
死天王の一人「羅刹」だが、確か片腕を失ったはずだ。それなのにトーナメントの決勝で銃弾の的にされたとき、腕が付いていたような・・・・。
さらに同じくトーナメントの決勝戦に登場したモンゴルの三人組の最後で雷電と戦った男。初登場の際は両目が開いていたはずだが、突然「隻眼の男」になった。
さらに「かってに改蔵」でも突っ込まれていたが、邪鬼が初登場の時と大きさが違うのは「オーラででかく見えていた」なんて苦しすぎだ。
ラスト付近は明らかにテンションも下がっていて「闇の牙」編は中途半端なところで終了。新規キャラの多数が出番なしで終わった。あと人質に取られていた神拳寺の女性の安否も不明のまま。
作者、いや作品自体が「いい加減」すぎる。
ギャグとして許せるのは「民明書房」だったけ?毎回の戦いの流派や技の説明くらい。
広げた風呂敷を包みきれなかった典型的な例。

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[投稿:2010-09-12 20:09:51] [修正:2013-08-15 14:31:56] [このレビューのURL]

「秒速5センチメートル」の漫画版です。
通常は小説原作→漫画化→映画化というメディア展開になるのが王道。
しかし、この作品は最初にアニメ映画があり、その後に小説化して最後に漫画化したという逆パターンを辿っています。

内容はアニメ版をベースに小説版の補完部分を融合して、漫画版のオリジナルシーンを若干ながら(あくまでも少し)追加して再構成したという感じです。
アニメが美麗だっただけに余計に作者の絵が荒削りな印象がしてしまいます。
第1章「桜花抄」と第2章「コスモナウト」の前半までが第1巻になります。

巻末の明里の気持ちを描いたショート・ストーリーにも注目!
明里も離れてもちゃんと貴樹を想っていたのですよ。
但し、アニメと小説見ている方には新鮮さには乏しいと思います。
漫画版ならではの独自解釈や展開して欲しかったのが本心。
画力でアニメ版に大きく劣るので、尚更そういう印象が強い。

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[投稿:2010-12-03 12:00:52] [修正:2013-08-15 14:22:22] [このレビューのURL]

「りぼん」の連載作品の中では珍しく面白かった作品。
とにかく日本的な日常生活の過程に無理矢理ファンタジーをぶち込んだ手腕が冴え渡る。

ただ連載が続くにしたがってチャチャを始めとするキャラが幼児化していったのが最大の難点。
連載当初は愛らしかったチャチャもだんだん性格が悪くなっていった・・・。
しかもアニメ化によって望まない設定が追加されたため、作者自身もそれを逆ネタにして悪乗りするしかなかった。連載当初は小学校中学年ぐらいだったチャチャやリーヤがだんだんと幼稚園児に・・・。
ところがなんとアニメでは中学生くらいの年齢の設定がされている(笑)という矛盾。

ただ「りぼん」掲載の漫画の「幼児化」はこの頃の雑誌全体の特徴で、水沢めぐみも「姫ちゃんのりぼん」以降、作品が幼児化してきている。雑誌を読む対象年齢が昔よりも下がったからなのか?「ときめきトゥナイト」も蘭世の娘の愛良のシリーズになってから魔法少女ものになって明らかに低学年の読者を意識した作風になった。昔はもっと大人でも普通に読める雑誌だったはずだが・・・。

とは言っても「りぼん」連載でコミックスが10巻以上出ている作品は滅多にないことから考えても(しかもストーリーものでなくコメディ漫画で毎回のページ数が少ないにもかかわらず、である)人気があって面白い漫画だったということだろう。

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[投稿:2010-06-18 22:03:41] [修正:2013-08-15 14:05:29] [このレビューのURL]

いちおう妖怪ものに分けられる漫画だが、「おどろおどろしさ」よりもむしろ画集が出るような作者の絵の美しさのほうが目立つ。

幼い頃から作家であった祖父の血を引くせいで霊感の強い主人公と、その周囲の人々が経験する不可思議な事件にまつわる「この世にあらざるものたち」。

だがそれらの多くは我々人間の浅ましい欲が生み出したものだったりする。
日常の平穏さとその影に潜む「非日常的」な妖魔のものたちとのストーリーは、平和の裏にある危険を示唆しているようでドキッとさせられる。
妖魔たちの目から見れば、我々人間はさも滑稽な生き物と映ることであろう。

そういえばこの漫画のタイトルで、四字熟語にもある「百鬼夜行」(化け物が群れを成して、ねり歩くこと)の読み方は「ひゃっきやこう」ではなく、「ひゃっきやぎょう」が正しいようです。

つまりこの漫画も「ひゃっきやこうしょう」ではなく、「ひゃっきやぎょうしょう」と読むのが正しい・・はず。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-01-07 08:50:39] [修正:2013-08-15 14:02:49] [このレビューのURL]