「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

9点 H2

まず最初に「ごめんなさい」です。

読む前は「タッチ」で一度野球を題材にしているのに、また同じ野球の漫画なんか描いて、作者は「自己模倣」でも始めたのか?・・・なんていう先入観が立ってしまいました。

で、読み始めたんだが・・・「タッチ」とは全然違うよ!
何よりも野球が完全に話の中心となった。タッチでは恋愛がメインで野球はあくまでも小道具だったのに。
こちらは野球と恋愛の比率は「6対4」もしくは「7対3」でタッチと完全に割合が逆転した。
直球の一本やりで三振の山を築いていた「上杉達也」から幾星霜、比呂は変化球も使いこなすようになったし。
タッチで「案山子扱い」だったチームメイトにも光が当てられ、連帯感を持たせる意味でも説得力が加わった。特に最初はスパイとして入部してきたはずの「島」と「大竹」の2人が次第に野球の面白さを知り、試合で活躍するたびにチームメイトや観客から認められる過程で「悪役としての任務」を放棄して、チームの主力となっていくという展開は悪い方向へと行きそうだった2人の運命が好転したという意味で読後感が心地よかった。

2人のヒロインと2人のヒーローを用意した「四角関係」が最後までカップリングの着地点を読ませず、野球の試合内容とは違う意味でも緊迫感が継続されて良かった。
自分は・・・最後まで比呂がひかりとくっ付くかもという可能性も捨て切れなかった。
でもよくよく考えると、ひかりにとっての比呂は「弟」の位置付けなんですよね。
度々、比呂を男として意識しつつも、最後には「血の繋がらない家族の位置」へと還ってきたように思う。
そして比呂のひかりへの初恋も・・もうずっと前に終わっていた。

ひかりの恋人にして比呂の最大のライヴァルの英雄は・・・ひかりと付き合いながらも常に「ひかりが本当に好きなのは自分ではなく比呂ではないのか?」という疑念に囚われていた。
思えば、このお話は英雄にとっては自らの心の疑念を晴らすための戦いの軌跡でもあったわけだ。

最後の夏の甲子園を前にしての比呂とひかりのデートは映画だった。
帰り道で、母親を亡くしたばかりのひかりは別れ際に比呂に言う。
「比呂と幼なじみでよかった」「さよなら」と。
このセリフでひかりが比呂ではなく英雄を選んだのだと思った。
幼い頃から「弟」のように思い、そしていつの間にか比呂を「男」として意識するようになったとき、ひかりにはすでに英雄という恋人がいた。

先に「女」となったひかりに遅れて「男」になった比呂が、もしも、もう少しだけ早くひかりに男を感じさせていてくれたなら・・・・・?
果たして2人の仲はどうなっていた・・・?
・・・・・・・・・・・・おそらくひかりが英雄ではなく、比呂と恋人になった未来もあったことだろう。
けれど、その未来は現実のものとはならなかった。

高校三年生の夏の甲子園の準決勝でついに対決する比呂と英雄。それを見守るひかりと春華。
結果は比呂の勝利・・・も、勝った比呂とそれを見守ったひかりの目からは涙の雫がこぼれ落ちる。
お互いが互いに対する恋心にピリオドを打ったことを悟った、ストーリー中でも屈指の名場面だ。

英雄は比呂との勝負に負けて悟った
「ひかりが最も必要としているのは自分で、そんなひかりのことを誰よりも愛しているのも自身だ」と。
ひかりも気付いていた。
「最初から選択の余地(自分と比呂が結ばれる可能性)なんて無かったのよ」と。
ひかりと比呂は恋人にはなれない。「そうなるチャンス」をとうの昔に過ぎ去ってしまっていた・・・・。
そして失われた時間を取り戻すことは決して叶わない・・・・。
かくて、十年近く英雄の心を曇らせた暗雲も晴れ、物語は終局する。

準決勝を勝ち抜いた千川ナインはいざ決勝戦へと進む!
その比呂の傍らには、彼にとっての「恩人のひとり」といってよい春華の姿があった。
描かれないままに終わった決勝戦だが、比呂の行く未来は広がる夏の青空そのものだった。

「結ばれる可能性も高かったのだが、ボタンの掛け違いで結ばれずに終わった2人。でも、決して不幸ではない」
この作品の最大のセールスポイントは「ひかりと比呂が両想いなのに、結ばれることなく終わる」という点。
だからこそ
「出会いの難しさ」とか、
「人生におけるタイミング」、
「思春期における女子の男子に対する精神的な成長での優位性」
等が感じられて、とてもせつないのです。
でも決して不幸と思えないのは2人は恋人にはなれなくとも「家族」という立ち位置(直接的な血縁関係はないが、実質2人は「姉」と「弟」だった)が保証されているから。
だから、「読後の後味が悪くならない」のですよ。
安易に両想いが結ばれてメデタシメデタシ・・・が多い中、これは異色かつ特筆ですよ。

ここまで読まれた方なら間違いなく想像できるはずです。
物語のラストから数年後、英雄とひかりの結婚式で
「ひかりは俺の姉さんです」と祝福のスピーチをする比呂の姿が!

そして、そこからさらに十数年後。
英雄とひかりの間に生まれた娘に
「そういえば、比呂叔父さんの初恋の相手って、うちのお母さんなんでしょ?」
と問われ、焦ってしどろもどろになる比呂の姿が!

それって…決して「不幸な未来」ではないよね。
間違いなく「幸せな未来」の姿のはず。

結ばれるだけが幸せではないのです。
大切な人を「生涯に渡り見つめ、傍らで支え続ける(夫婦としてではなく)」というのも
同じくらいの男の幸せではないでしょうか。
比呂は間違いなくそれをやり通すはずです。
「義弟として、結ばれられなくても生涯に渡って義姉を支え続ける」
そこに比呂の「男としてのプライド」を見たいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お見事!

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-03 09:02:43] [修正:2010-07-03 09:02:43] [このレビューのURL]

9点 寄生獣

突如、地球外(?)から飛来した謎の生命体。彼らは人間に寄生し、宿主の身体を乗っ取って同族のみ、つまり人間を喰らった。寄生生物に右手を喰われた新一は「ミギー」と名付けた寄生生物と共に他の寄生生物との戦いを余儀なくされる。

人間と人間以外の生命の共存、種の存続などをテーマにし、後発の漫画にも絶大な影響を与えたと思われる問題作だ。
自分の身体の一部と会話して、1人なのに「2人で1人」のコンビが成り立っているという設定がユニーク。
描写は「容赦ない残虐な場面」が日常生活中にありながら、いきなり場面転換して挿入されてくる。
ついさっきまで何事も無かったように普通に生活を営んでいた、ごく普通の人たちが突如として「有り得ないような」死に方をする・・・・・。
この漫画内においては、「日常の中にこそ恐怖が潜んでいる」のだ。

でも・・・・待てよ・・・これって「表面的には平和な日本」に生活する我々にも言えることではないか?
そして我々の平和な日常も突如として破られる。多発する地震などの災害・見知らぬ人間から言われも無い理由で受ける暴力・気付かないうちに身体を蝕む数々の病・・・・。
寄生獣に喰われることほど非日常的ではないにしろ、多かれ少なかれ我々の日常の中にも「生命を脅かす恐怖」は潜んでいるのだ。
そしてそれらの恐怖は、知能を持ち学習することで理性すら身に付けていく・・・・・可能性のある寄生生物よりも「話し合いの余地が無い」という点では遙かに恐ろしい存在かもしれない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-27 11:09:56] [修正:2010-06-27 11:09:56] [このレビューのURL]

9点 リアル

「バスケ漫画」というよりも、「バスケを題材にしたヒューマンストーリー」というほうが適当と思う。
物語は3人の主人公を軸に展開されていく。

・自らの起こした事故で同乗の少女の身体に障害を負わせてしまい、車椅子生活を余儀なくさせてしまった罪の意識に苦しむ男。
・中学時代に陸上に才能を開花させ、誰よりも早く走れる・・・と思った矢先に「その黄金の足を病魔に奪われた」男。
・何でもソツなくこなし、集団の中でもリーダー的存在がいつしか調子に乗っての猿山のボス猿。そして事故でそのボスの座からどん底まで転げ落ちた男。

3者3様の困難の中で、ある者は自分の不甲斐無さを呪い、またある者は自身の情けなさを認めることが出来ず周囲に当たり散らす日々。
だが、運命はそんな3人をバスケットボールという競技のコート内に導いた。

「当たり前」であることすらままならない立場に陥って初めて気付くことがある。
「周囲の優しさ」
「過去の自身の傲慢と無智」
「努力すること自体の困難さ」・・・・・・・。

3人はそれでも日々の生活の中で絶望の底から立ち直り「それぞれの1歩」を踏み出そうとし、もがき苦しむ「現実(リアル)」。

井上先生はやはり「そんじょそこいらの凡百の作家」とは違うということが分かる。
画力は超一流。ストーリーは続きが気になり、キャラ立てが上手い。
他の漫画家なら「過去の自身のヒット作の人気にすがった安易な続編開始」で「スラムダンク2」でも描いて食い繋いでいるところだろう。

ホントに才能ある者は「常に過去の自身の栄光を乗り越える努力を欠かさない。そして恐れない。」のだと知った。
スポーツ界においてはイチローしかり、松井秀喜しかり・・・・・・。
そして「漫画界」においては井上雄彦しかり。であろう。

たとえ完結までに何年かかろうと、
「ファンなら四の五の言わずについてこい!」と言う作品。
そのことに「後悔」はいらぬ心配と付け加えておこう

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-27 11:08:13] [修正:2010-06-27 11:08:13] [このレビューのURL]

9点 ARIA

水の惑星となった未来の火星を舞台に、
地球からゴンドラ漕ぎとなるべく1人やって来た少女の日常を描く
「AQUA(水)」の続編とも言うべき新シリーズ。

まず驚くべくは「恐ろしいまでの絵の美麗さ」。建物・空・水にそれが顕著!
イタリアのベネチアというモデルはあるものの、これほどまでに繊細な筆で、
かつてベネチアの水上都市と、そこに暮らす人々の日常を紙面上に再現することが出来た作家はいなかった!

前作「AQUA」でもその絵の美麗さは際立っていたが、新シリーズに移行して
それにさらに磨きが掛かったのがスゴイ。

まるで異国の地に足を踏み入れ、自身がそこに滞在して共に日常生活を営んだかのような
錯覚に読者を陥らせるのはあたかも「作者の振る杖で魔法に掛けられるが如し」。

ストーリーは少女の日常と時に起こる火星のイベント・不思議な生き物たちとの交流と、
争いなどとは無縁な(主に)3人の少女たちの成長物語である。

永遠に続くと思われた楽しい日々・・・・。
が、それも終わる日が必ず来る・・・・・・・。
灯里がそのことを自身の成長と共に意識したそのとき!
読者も彼女と同じ目線で「人生における出会いと別れの意味」を
読前よりも成長した心を以って受け止められることだろう。

「アリア(詠唱)流れるとき、水(アクア)満ちて、全ての人の心、優しさに包まれる」

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-27 10:52:50] [修正:2010-06-27 10:52:50] [このレビューのURL]

世にも珍しい「服の仕立て屋」を主人公とした、おそらくは唯一の漫画。

よく人間にとって最低限生活を営んでいく上で重要なものとして「衣・住・食」という言葉が使用される。
・・・・・が、こと「漫画」に限るとなぜか三つの中で「食」ばかりが持て囃されて、「衣」と「住」はほとんど手を付けられていないと言っていい状態にあることは、多くの皆さんも何となく感覚では理解できることだろう。

これはどうしてなのだろうか?
・・・・理由はいくつかは想像ができる。「食は、食欲という言葉に例えられるように人間が生存する上での本能のひとつだから衣住よりも興味が強い」とか「日常生活の中で衣住よりも意識する頻度が高い」とか「ヴァリエーションが広いので、ドラマを構成することが衣住よりも容易」だとか。

この漫画はその「漫画における圧倒的な食礼賛の風潮の中に切り込んできた作品」でもある。

タイプとしては細野先生の「ギャラリーフェイク」に近い作品と書くと分かり易いか。
所謂、「その道のプロフェッショナルによって語られる業界の薀蓄(うんちく)」と、それに絡む「毎回の人間ドラマ」である。
「ギャラリーフェイク」は美術界が舞台であったが、それがこちらでは「服飾の世界」になるのだ。

これは偏見かもしれないが、このサイトにいらっしゃる方の中でファッションや衣服に対して詳しいとか、一言を持っている方は少ないのではないだろうか?
自分も決して普段から常に衣服のバランスだとか、コーディネートに気を使っているとは言い難い状態。
だからこの漫画を読んで正に「目から鱗」。

よく「人間は見かけじゃない。中身が重要」なんてことが言われるが、そうは言ってもやはり「見かけで判断されてしまう世の中」なのだ。
それを踏まえた上で、見かけを良くすることで場の雰囲気を良くしたり、相手に対する自分の印象を好意的なものに変えたりする技術は実は私達が思っている以上に重要だったということ。

その努力の必要性を多くの人に喚起するという意味においても極めて存在価値のある作品と言っていい。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-18 23:45:52] [修正:2010-06-18 23:45:52] [このレビューのURL]

一応は「ギャンブル漫画の最高峰」でしょう。

特に前半の「希望の船」は秀逸な作り。
悪党側であるところの会長や利根川の言っていることのほうが「世の真理」を突き、しごく真っ当だという点が凄い。世の中の大多数の人間はついつい自分に甘くなり、より楽な環境に身を任せがちになることから考えても、彼らの言うことは自分に甘い人間にとっては「耳に痛い」ことだ。
ドン底にあっても相手を落としいれ喰らい、利を得ようとする「人間の浅ましさ」の描写も凄いレヴェルだ。
信頼するほうが愚かなのか、裏切りに出るほうが悪党なのか。

結局のところ人生の「いかなる場面」においても決断は自身でしなければならない!・・・っていう至極「当たり前」のことを再認識させてくれる漫画。
自分で考え、決断し、行動しなければ後に残るは正に「後悔」のみ。
自身の流した涙の海で溺死したくなければ、この作品を読んで目を覚ますべきだろう。

「鉄橋渡り」以降の後半がややパワーダウンしているので「最高」からワンランク落とした評価で。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-18 21:56:53] [修正:2010-06-18 21:56:53] [このレビューのURL]

二鳥修一。心は女の子な男の子。男女の推定割合は「女9以上、男1未満」。
高槻よしの。心は男の子な女の子。男女の推定割合は「男7、女3」。
2人の主人公を立てる。

心と体の「性の不一致」。本来ならもっと「重苦しい展開」になりそうな題材。
それを繊細な絵柄で重苦しくなり過ぎないように描く作者の力量に感服。

転校生の二鳥くんのお友達は「女の子」ばっかり。
転校先に限らず転校前の学校でもそうだったらしい。
容姿が可愛らしくて大人しくて、料理やお話を考えたりすることが得意。
同級生の男子に見られるような「幼稚さ」や「乱暴さ」や「下品さ」は欠片もない。
だって二鳥くんの心は「女の子そのもの」。でも男の子の身体を持ってしまった。

前述の理由から男子は苦手。男子の友達もいない。
本来なら男子にも女子にも属せず「ひとりぼっち」になっても苦しんでもおかしくなかった。
が、そこは精神的に同時期の男子に比して優位に立つ周囲の女の子たち。
無意識のうちにも二鳥くんが「男の子の姿をした女の子」であることに気付く子がチラホラ。

姿形に騙されて真実が見えなくなるような「フシ穴」ではない女の子は二鳥くんに性別を超えた友情を感じるようになっていく。
男女逆の立場で、本質的には同じ悩みを抱え込む「高槻よしの」との出会いも大きな意味を持つ。
同じ悩みを抱え、理解し合い、そして立ち向かう「同志」を得たことは両者にとって、他の誰との出会いとも違う安心感をもたらしたはずだ。

小学校高学年からお話は中学生へと移り、二鳥くんもよしのも仲間たちと共に成長する。
思春期前夜の心身が「男」に変わり「女」へと変化していく過程で、2人は「普通の男女がブチ当たらない壁」にぶつかる。

「心が女の子」の二鳥くんが、周囲の女の子たちと「姉妹のような関係」を築いていく日々が語られる。

よしのお姉ちゃん。
さおりお姉ちゃん。
かなこお姉ちゃん。
千鶴お姉ちゃん。
安那お姉ちゃん。

みんな、二鳥くんを傷付けようとする周囲の心ない人たちの
「偏見」
「誤解」
「嘲笑」
「不理解」
から「妹を守るように」身体を張って味方する!

「みんな、カッコいいぞ!」と応援したくなる「疑似姉妹物語」ここに開幕!。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-18 21:52:37] [修正:2010-06-18 21:52:37] [このレビューのURL]

12345
次の10件>>