「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

「ゲゲゲの鬼太郎」のヒットで知られる水木先生が描く、人間「アドルフ・ヒットラー」伝。

ヒトラーの伝記は・・・当然の如くというか少年・少女向きの本では有り得ない。
そもそも「伝記」は社会や歴史に恩恵をもたらした人間の偉業を書き綴ったものなので、子供に読ませるに正しい書となるはずもないのだから当然か。

ただ現在の日本だけでなく、世界中で「ヒトラー」に対して書かれた書物の数は膨大なものに及ぶそうで、同時代のイタリアの独裁者で、ヒトラーと同盟を結んでいたイタリアの「ムソリーニ」などと比較しても格段に多い。
そのことから考えても、この「ひとりの独裁者の生涯」が良いか悪いかは別としても多くの人間の興味を引き付けずにはいられないものであることは純然たる事実だろう。

「成績の悪い劣等生」が自らの存在を認めない当時の社会に対して鬱屈とした思いを抱え、やがてその才能を開花させる「場」を社会から初めて与えられたとき、それは「時代」という推進力を得て破壊的なまでの暴走を引き起こすに至った!彼は自らの暴走が生み出すことの結果について一度でも真剣に考えたことがあったのだろうか?それがいかに多くの犠牲を強いる悲惨な出来事であるかを!それが自らをも滅ぼす「諸刃の剣」であったことを!

「妖怪もの」ではない水木先生の漫画・・・・ってどんなものか?・・・と、想像が出来ない方も多いと思われるが、素のままの絵柄がヒトラーを始めとするナチス幹部の人間をディフォルメして、意外な程にマッチしているのだ。これは人間を描いていながら「ある意味では妖怪・畜生にも等しい」所業を繰り返すナチスの面々の内面を映し出す鏡としてこれ以上ないものではないかと考える。

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[投稿:2010-11-27 11:24:28] [修正:2010-11-27 11:24:28] [このレビューのURL]

美術という一般人には馴染みの薄い世界を舞台に活躍するアウトローな主人公。

毎回の話に絡む美術の造詣も深いが、政治的な部分の関わりも多く「美」は時の「権力」に支配されていた側面を否定することはできないのだと知った。「美術史」というよりも「歴史」を学べる。
レギュラーは少ないのだが、忘れた頃に以前の登場人物が再登場するので油断ができない。
藤田との対比という意味なのか「地蔵さん」がよく話に関わる。
欠点は画が洗練されていないことか。ただ、アウトローな主人公で「綺麗な絵」は似合わないだろうが。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-11-23 20:11:00] [修正:2010-11-23 20:11:30] [このレビューのURL]

「幽幽白書」を超えるヒットになった作者の代表作。このまま「ライフワーク」になるの・・・・か?
ハンターを目指す少年と、父親探しという目的を絡めた王道的な展開に、
「ジョジョ」に並ぶバトル能力「念(オーラを操る能力)」を編み出した手管に引き込まれる。

中盤のヨークシン・シティでの幻影旅団との戦いが盛り上がるが、その途中から絵柄が劣化し、
本誌掲載で手抜きのようなラフ絵が掲載されるに至って連載のペースが鈍化。
話が全く進まない「休載の常連作品」となってしまった。

物語もカードゲームを主題とした「グリードアイランド編」、
新種の生物によるバイオ・ハザードが巻き起こる「キメラ・アント編」へと様変わりして現在も継続中。

肝心の幻影旅団のメンバーとクラピカとの決着、そしてヒソカのゴンへの執着等は結末はまだまだ見れない模様。
後、10年くらいは時間が必要になるのかもしれない。
でも、それでも付いていこうとするファン多数と思われる。
他の方が情けないのではなく、それほどまでに作者の才能は突出しているということだろう。

「セーラームーン」の武内直子姫とご結婚されて、離婚されていないのもある意味スゴイ!

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[投稿:2010-11-21 22:24:43] [修正:2010-11-21 22:24:43] [このレビューのURL]

スーパージャンプ連載の美術品を題材とした漫画。

簡単に言うと細野先生の「ギャラリーフェイク」をもっと劇画調にし、主人公を藤田よりも「超人の域」まで高めた作品。

古今東西のすでに失われてしまった人類史上の遺産の数々である美術品を
「製作者本人になりきる事」で完璧に再現する奇跡の腕を持つ男・通称ゼロ。

そして綴られる古今東西のあらゆる美術品にまつわるエピソードの数々。
本物を再現する(ゼロの製作するものは偽物ではなく、もうひとつの本物なのだ)報酬として、依頼者に「全財産」もしくは「人生の全て」を要求するゼロの姿は手塚先生の「ブラック・ジャック」にも通じる孤高・唯我独尊の境地。

もうすでにコミックスが通算して60巻を超えているというのに話のレヴェルに全く衰えは見られない。

今日も孤高の男・ゼロは世界を股にかける・・・・。
彼の通った跡には、人類史上の遺産が鮮やかに現代に甦った奇跡の目撃者たちの驚嘆と感謝の声が
木霊(こだま)のように鳴り響くのである。

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[投稿:2010-11-18 23:53:49] [修正:2010-11-18 23:53:49] [このレビューのURL]

現代社会の「童話」と言う言葉が相応しいと思う作品。

小説家のお父さんと2人暮しの小学生の知世ちゃんの目から語られる日常。
まるでドラマさながらの家族設定で、実際に後にドラマ化もされている。
だが、この小学生の知世ちゃんの視点はなかなか侮れないものを秘めている。

この作者は社会において当たり前とされている常識を疑ってみる。
例えば、作中でお父さんの妹で知世ちゃんには叔母に当たる女性が結婚せずに仕事をこなしているということに代表されるような
未だに「女性にとっての1番の幸せは結婚」であるとか、「女性は結婚したら家庭に入るのが当たり前」とかいう保守的な思想に対して「本当にそうか?」と疑問を投げ掛ける。

本来ならばこの社会において「異端」として扱われてしまうような人々に知世の目を通して応援歌を送るのだ。それは現実の厳しさや辛さをオブラートに包み込むようなものだが、決して「現実逃避」でもなく、ましてや「現実無視」でもない。

頑張る人たちに向かって「戦っているのはあなた1人じゃないんだよ」「独りぼっちの孤独な戦いではないんだよ」というメッセージは作中で一貫しているテーマだ。

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[投稿:2010-11-18 23:49:40] [修正:2010-11-18 23:49:40] [このレビューのURL]

浅田次郎の原作小説・壬生義士伝「新撰組でいちばん強かった男・吉村貫一郎」を中心に滅び行く武士階級を描く。
明治の世。幕末の喧騒も何処へやら。東京で文明開化の見世物が流行る中、居酒屋を営む老人の元へ一人の若者が訪ねてくる・・・。
男は老人に昔話をせがんだ。かつては新撰組の隊員であった老人に同じく隊員であった吉村貫一郎の話を聞くために!

幕末の京都で尊皇攘夷派の志士たちを震え上らせた会津藩お抱えの剣客集団「新撰組」。
池田屋事件で尊攘派志士たちを一網打尽にし、一躍名を上げた彼等は新規の隊員を募集。
行き場のない食い詰め浪人を中心に、それでも多くの新規隊員を加えることになる。
その中に奥州は津軽藩から脱藩して新撰組に加わろうとしていた男がいた。
一見して優男のその男は実は北辰一刀流の免許皆伝の腕前。
新撰組でも腕利きの剣客として知られていた二番隊組長の永倉新八を立会いで追い詰めるほどであった。
その男こそ「吉村貫一郎」その人であった!

吉村と新撰組の徳川時代の終焉を彩る物語の幕がここに上がる!!!

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-10-31 13:59:52] [修正:2010-10-31 13:59:52] [このレビューのURL]

高校野球漫画ですが、主人公が「監督」なのは他に類を見ないかも。
かつての球児として母校を引っ張りながらも、審判の判定に不服を唱えて暴力事件の末に学校を去った主人公。
詐欺同然の商品を売るセールスマンとして頭角を現しながらも、罠に嵌められて気が付けば留置所の中。
そんな彼を救ったのは、今は母校の校長となっていたかつての野球部の監督。
校長は見る影もなく、廃部寸前の母校の野球部の建て直しのために彼を監督に招聘しようとしていた。

試合の場面よりも練習や高校野球の舞台裏を重視した構成になっています。
選手の他県からの野球留学。父母会や高野連との軋轢。高校野球の利権を食いものにしようとする大人の欲望。
そういった裏舞台を描くことで、爽やかさなどは廃し、リアルさを前面に押し出した展開となっています。

選手がその分、地味で印象に残らないのが難点なのですが、目的は「甲子園出場」と絞られた分、緊張感高まりました。
野球漫画としては非常に出来のいい部類かと思われます。
作者の画は「浦沢先生の画(初期)」に似ています。
だから青年誌連載といえども非常に見やすく、読みやすいのです。
野球漫画好きなら目を通しておいて損なしです。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-10-31 13:58:35] [修正:2010-10-31 13:58:35] [このレビューのURL]

パワーとムチャクチャさにおいては前作「お父さんは心配性」を超えたあーみん三部作の第2弾。

変態忍者3人組(←と、書いたけどホントの意味での危険人物は「極丸」のみ。極丸と比較すれば「危脳丸」はまだ可愛いもんだ。満丸は無害。)にいつも手を焼かされる師匠が憐れでならない。面白いんだけどね。

特に面白かった回は・・・・
一.1巻。夏休みの計画表を作るも極丸はお姫様と結婚する予定を立てていて、それを阻止しようとする師匠と他の2人は極丸の挑発に乗って「予定通りに行動しながら、極丸を追いかける事に」。三味線を奏でながらの追撃(笑)とか、座禅を組みながらの疾走とか、有り得ない・・・(笑)。最後はキリシタンの神父を助けての大団円(笑)・・・・・って、どうやったら「そういうオチ」に結び付くんだ(笑)、という疑問はどうぞ実際に見れば全て分かります(笑)。
二.1巻。危脳丸が「奇病・さしすせ疽」に冒される話。「さしすせ疽」を顔にして身体測定のピンチを乗り切ろうとする展開に爆笑しました。
三.1巻。白鳥城のお殿様の誕生会で唐突に登場してテーマソングを歌う作者「あ?みん」。「原稿料あげろ -っ」「しめきり延ばせーっ」「毎年友だちがお盆の時にしめきりなんてあんまりだーイェーイ」(笑)と か自らの窮地をネタにしてしまう自虐的な作りに感動。
四.2巻。突然登場して準レギュラー化した「元・ニセ歯医者改めニセ商売人」の出てくる回はどれも最高で した。ターミネーターが危脳丸よりも偉くなった途端、先輩風を吹かせて危脳丸イビリを始める・・とかも、掌の返し具合がたまりません。

3巻はややパワーダウンか。最終回の前の話で「ターミネーター」が死ぬなんてシリアス展開になったのに・・・師匠とお姫様は全然、悲しんだ描写が無いまま放置された(笑)。最後の最後で「実は生きてた・・」って前回の感動(?)が台無し(笑)。しかも最終ページは「3人組」として紹介されてターミネーターはやっぱり無視(笑)。

作者は「変態漫画家」扱いにイヤ気が差して、筆を折ってしまわれたそうですね・・・。少女誌でこんな「破壊的なギャグ漫画」を描いていた方は・・・・記憶に無いです。後に続く方もいないでしょう。そこに「岡田氏の非凡さ」を見たいのだが・・・。全3巻は短いですが、これは間違いなく「買い」です。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-09-12 20:33:09] [修正:2010-09-12 20:33:09] [このレビューのURL]

フランス革命について知りたければこの漫画を読め、という位に世間で認知されている古典的名作。

男装の麗人を主人公とするところはいかにも少女漫画だが、内容は繊細にして深謀。
太陽王・ルイ十四世を頂点とするブルボン王朝の斜陽期に皇太子・ルイ十六世に嫁いだオーストリア皇女にして女帝マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネットの数奇な生涯を描く。
アントワネットの浪費だけが、フランス財政を破綻させたわけではなく、財政不振はルイ十五世時代から続いていた慢性的なものだったのだが、彼女は特権階級を憎む民衆からその象徴のように捉えられていたためより憎まれていたということだろう。
ただこの漫画から学んだのは「失敗には普遍性があるけれど、成功には普遍性はない」ということ。
時代や場所に違いはあれど、失敗する要素には共通点があるということだ。
「浪費」「専横」「無知」「女」「戦争」・・・・いずれも「大きな力」を持つほどに責任が重くなり、その責務を認識できぬ者には歴史は情け・容赦なく鞭を打ってきた。
これに対して成功する人間というのは「とんでもないやり方」で成功していく人間が出てくるからな・・。
現代に生きる我々も決して落ちてはならない「落とし穴」と認識しよう。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-31 07:46:07] [修正:2010-07-31 07:46:07] [このレビューのURL]

画力に関しては何も申すことはありません。漫画界でも1・2を争えることでしょう。

囲碁の漫画は現時点ではこれのみ・・・だと思う。かくいう自分もこの漫画を読んで囲碁を覚えた。
ただルールを知らなくても読むのには差し支えは無い。
佐為がいなくなってからどうゆう展開になるんだろうと思っていたらなんか中途半端なとこで終了。
囲碁は将棋よりも取っ付き難いというのは自分もやってみて分かったが、面白さでは将棋以上だった。
相手の駒を取ることが目的の将棋と、地を奪い合い相手よりも多くの領土を広げることを目的とする囲碁とでは「囲碁」のほうが戦略上高度な思考が要求される。攻めと守りを同時に行い、正に「攻守一体」であることが必要とされるのだ。
この「囲碁的思考」が人生を生きる上で身に付いているのといないのとでは差があらゆる場面ででそうな気もしないでもない。「そういう世界」に導いてくれたという意味で忘れられない漫画。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-07-31 07:44:00] [修正:2010-07-31 07:44:00] [このレビューのURL]