「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

「ブレイブ・ストーリー」である。同じ題材で「漫画」「アニメ映画」そして「原作小説」とあるのだが、この三つをどの順番で見ていくかによって各作品の評価が大きく変わってしまうのではなかろうかと、こちらの他の方の評価を見て思った。

大抵の方は「原作小説」→「漫画」→「アニメ映画」と製作順に体験しているようなので、どうも後に来るほど(原作小説との差異が目に付いて)評価が厳しくなってしまっているようだ。

私はその中にあってなんと幸運なことに上記のパターンを真逆に行くことが出来た。
ちなみに入り口が「アニメ映画」で、続いて「漫画」へと移ったわけだ。(「原作小説」はまだ未読。)
なので、「原作との差異」自体がそもそも目に付くことがないので面白く読めました。
ストーリー的には現代人の少年が異世界で勇者となって望みを叶えるための戦い・・・という格別目新しいものでもないと思いますが、様々な勢力が「実際に軍勢を率いてぶつかり合う戦争」をリアルタイムで進行させ、同時進行で主人公パーティがそこに介入して戦局を左右していく様を描くのは緊張感に溢れています。
度々挿入される、現在の状況を地図上に示した「戦況図」はその象徴。

先にアニメのほうの「しょんぼりな出来栄え」を観ていただけに、ジャンル違いとはいえ「雲泥の差」を実感することが出来ました。

まだどれも体感していないという方は、私と同じように「アニメ映画」を入り口とする正規の逆ルートを辿ることをオススメします。
多分、正規ルートを辿るか、逆ルートを行くかで大きく印象が変化する題材なのでしょう。

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[投稿:2012-03-03 18:06:13] [修正:2012-03-03 18:06:13] [このレビューのURL]

本格テニス漫画。

高校に入学してからテニスを始めた主人公。
細かい性格で分析が得意。勿論、成績も良くて優等生。
でも人生で打ち込めるものがなかった。

そんな彼が始めたテニスに夢中になり、素人から次々とレベルアップしていく戦いの軌跡を描く。

とにかく「メモ魔」の主人公は試合の合間でも次々とメモをノートに取り、分析を重ねていく。そのノートの記録を反芻することと、天性の視力の良さ、そして飛びぬけた素質などないがその代わり「大きな弱点もない」という、「オールラウンダー」という主人公としては最もありがちな特性で物語を紡いでいく。

ヒロインの女の子は可愛いが実は絡みは少なく、ライバルになるような女の子もあまり登場しないため、スポーツラブコメではない。

むしろ、主人公の性格に代表されるように「理論重視」「科学的トレーニング重視」な内容だと思います。

絵の見やすさも「マガジン連載作品」の中では特筆かと。

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[投稿:2012-02-07 23:59:16] [修正:2012-02-07 23:59:16] [このレビューのURL]

コロコロ連載作品では傑作に挙げていいと思います。
どこかの雑誌でマガジン連載の「コーターローまかりとおる」の幼年誌版だと書かれていましたが、さもありなん。
ただ、こちらのほうが画力・ストーリーともに優れていると思います。
小学校卒業で完結したかと思いきや、ちょうど小学館漫画賞を受賞したことで続編の連載が決定。
寿命は延びましたが、離島で教師をやるのはハチャメチャでしたな。
大人になった男吾の仕事って・・・何でしょうか?教師は向いてそうですが、学力的に無理か?

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[投稿:2012-01-20 21:22:01] [修正:2012-01-20 21:22:01] [このレビューのURL]

「ジョジョ」は今年25周年を迎えて、改めてその凄さを振り返ってるが、先頭は既に第8部に届いている。
第4部と同じ東北の「杜王町」を舞台にして、震災直後に記憶喪失の青年が発見されたことから物語の幕が上がるのです。

現実の「東日本大震災」をちゃんと物語の中に反映させているのです。
これは荒木先生なりの東北への励ましのメッセージになる物語なのではないか?と深読みしてみます。
なんか「やたら下ネタが恥ずかしげもなく出される」という印象です。

やはり掲載雑誌が少年誌のジャンプでなくなったことで、性や猥雑さを強調しても問題が少なくなったことが
背景にあるんでしょうかね?

私は多くの人が忘れているであろう第2部で宇宙に永久追放された「究極生物」は今後の
「未来における宇宙決戦」への布石ではないかと考えています。

未来のジョジョは宇宙飛行士で、無重力空間でスタンドバトルに雪崩れ込むんではないかと。

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[投稿:2012-01-15 12:49:59] [修正:2012-01-15 12:49:59] [このレビューのURL]

8点 CLOVER

CLAMP作品の中でも画の美しさにおいては他作品を圧倒する。
いつも不思議に思うのだが、もこなさんはどうして作品ごとにタッチをガラリと変えられるのだろうか?
他の漫画家にはまずそんな器用なマネは出来ないはずだが・・・・。
ストーリーは強大な力を持つ故に政府によって現世から隔離されている少女が自らの存在を消すために、護衛の男と「ある場所」を目指すというもの・・・・だったのだが、2巻ですでに話の山場は終わってしまい、それ以降は2巻までの番外編のような構成になっている。

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[投稿:2012-01-14 17:59:08] [修正:2012-01-14 17:59:08] [このレビューのURL]

8点 信長

「織田信長」・・・・。

このおそらくは日本史上ただひとりの「革命家」にして、「中世」から「近代」への転換器の役割を果たした不世出の英雄の生涯を描いた決定版!というような漫画はまだ登場していない。

そんな数ある「織田信長漫画」の中ではこれは出来のいいほうの部類だと思う。
池上先生の劇画調のタッチが合戦の凄惨さ・泥臭さを余すことなく表現出来ている。
この漫画の信長は「残虐な魔王」ではなく、理想と確固たる信念を持ち、悲しみも涙も胸の深いところに隠して立ち向かっていく力強さに満ち溢れている。

印象的なシーンは自分を倒そうとしながらも只管「他力本願」な足利義昭を
「人の力にすがっている限り、永遠に天下は取れん!」とこき下ろすところ。
作中においてこの2人は好対照に描かれている。「将軍」という権威の上に胡坐を掻いているだけの無力な義昭と、動乱の世を治めるのは「絶対的な力」と認識している信長と・・・である。それがまた見事だ。

「妙覚寺の変」など、それまで知らなかったエピソードなども盛り込まれているが全体的に短い。
全8巻以上に各エピソードを詳細に描けば、倍の巻数くらいは楽にいったはずだ。その点が惜しいな。

信長は「妙覚寺の変」もそうだが、意外に「油断」が多かった。初めて上洛するときに義弟の浅井長政に助力を頼みに行った帰り道、浅井領に近い柏原という地の寺に宿泊していたのだが、なんと供廻りを僅か250人ほどしか連れていなかった(!)。それを知った長政の重臣のひとりが「こんな機会は二度とない。今こそ信長を討ち取りましょう」と長政に進言していた。
それと言うのも「信長は知略に優れているだけに油断がならない。このまま上洛が成功したらたとえ妹婿(長政は信長の妹・お市の方を娶っていた)といえども斬り捨てられる可能性が高い」。
・・・・・・・この家臣の進言には長政も心動かされるものがあった。・・・・あったのだが・・・・、結局、長政は見逃してしまう。それというのも長政の性格ではそんな「騙まし討ち」のようなやり方で信長を倒すことは出来なかったのだ・・・・。勿論、妻のお市の方を悲しませたくないという気持ちもあったことだろう。けれど、この時のチャンスをみすみす逃したことが後年、長政自身が信長に討たれることになる皮肉。

そして信長自身も最後までこの「油断グセ」は直らず、その油断を見逃してくれない「明智光秀」に今度は自身が討たれる事になるのだ。正に「因果応報」か。

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[投稿:2012-01-07 22:58:17] [修正:2012-01-07 22:58:17] [このレビューのURL]

車田先生の原作で前フリがされていた前聖戦でのペガサスとハーデスの因縁を描く、聖矢のアナザーストーリー。
舞台を前作から遡ること2世紀。18世紀の欧州で、冥王・ハーデスの復活の兆しが見え始める頃。
孤児院で暮らす3人の少年・少女たちがいた・・・・・・。

絵が車田先生よりも繊細且つ細かいのですが、「エピソードG」の作者よりもよほど丁寧かつ上手いです。
車田先生の原作ではハーデス軍の「108星」いるというスペクターの大半が未登場だったり、自己紹介もなくやられたりしていたのですが、
この作品でしっかりと登場を果たしてくれるのは嬉しい限りです。
勿論、巻末の「分解装着図」も新規で多数追加。

物語としてはゴールドセイントたちの出番が非常に多く、
結末としては「牡羊座」と「天秤座」の2名しか生き残れないと前作から知れているのですが、
彼らがそれぞれ具体的にどのような最後を迎えたのかが判ります。

バトルがメインで文字数がページに少ないため、かなり早いスピードで読めてしまうのも特徴です。
少なくとも「同人漫画」レベルではありません。
本家とは別の立ち居地は既に獲得済みと思います。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-03 09:28:09] [修正:2012-01-03 09:57:54] [このレビューのURL]

8点 AQUA

未来世界を舞台にした「噂の近未来ヒーリング(癒し)コミック」を初体験。

まず作者の画力が激高。人物はそれほどでもないのだが・・・風景・建物にそれが顕著。
そして流れていく時間・空気までも画面上に表現出来る技術に感嘆。カラーページの表紙やコミックスカバーが作者の力量の見せ所(魅せどころ)。

次に「水」をテーマにした世界観と設定に夢があって素晴らしい。未来の人類が「赤茶けた生物も住めない火星」を豊かな水に満ちた惑星に「科学の力」を使って作り変えたという点。科学の発展は大量の資源の浪費、生態環境の破壊・・・等に繋がっていくという絶望ではなく、使い方さえ誤らなければ「素晴らしい恩恵をもたらしてくれるのだ」という希望を感じてならない。

そんな水の惑星となった火星に地球からやって来た主人公がイタリアのベニスよろしく、水上都市のゴンドラ漕ぎになるべく日々を送っていく。そこで様々な人と出会い、色を変えていく景色を目にし、そしていつしか主人公と共に読者もこの「桃源郷のような仮想空間」へと誘われていく。

そこではあくせくと動くことは無意味となり、不可思議な現象にですら寛容になり、そして・・・いつもは早足であるはずの「時間」でさえもその歩みを緩めるのだ・・・・。

メジャー誌では決して育たないであろうこの「未体験の快感」を宝箱の中に誰にも知られないように鍵を掛けて隠しておきたくもあり、おきたくもなし・・・・・。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-06-27 10:54:04] [修正:2012-01-03 09:42:14] [このレビューのURL]

戦争をテーマにした漫画というのは題材として「悪い評価」は付きにくいものではないかなとも思うのだが、これはその中でも広島に落とされた「原子爆弾」にテーマを絞って描かれている点で他作品とは意味合いが異なり、そしてそれこそが正に「世界唯一の核兵器の被爆国」である日本が生み出すに最も相応しい漫画ではないだろうかと思う。

大抵の小・中学校の図書室には常備されているが、内容は「悲惨な描写」が紙面上のこととは思えないようなリアルさを浮き彫りにする。主人公の少年は原爆投下時にたまたま壁に遮られていたために熱線と爆風の直撃を受けずに済むという幸運で命が助かるも、そこは「真の地獄」への入り口でしかなかった。
爆風と熱線の直撃を受けながらも即死出来なかった人々は、焼け爛れた皮膚をボロ布のように引きずりながら水を求めて街中に溢れ、さながら「バイオハザード」のゾンビの群れと化した。街は一瞬にして廃墟となり、やっとのことで自宅に戻った主人公も、たまたま外に出ていた母親以外の家の下敷きとなった父・姉・弟の3人を火事で失う。混乱の最中に妊娠中の母親が妹を出産・・・・と息を付く間もないほどに次々とドラマが巻き起こり、さながら読者も主人公とともに「嵐の波間に漂う小舟」のごとく巨大な力に翻弄されるのだ。

特筆すべきは勿論、これらの出来事が全て虚構の主人公・登場人物を配置しながらも否定することの出来ない現実であるということだ。それは単なる「虚構の中の冒険物語」で味わう悲惨さなどとは完全に一線を画した全くの別物であり、今も現実を生きる体験者にとっては忌まわしい過去を眼前に「向き合え」と突きつけるに等しく、その悲惨さを体験し得ぬ世代には呪縛にも似た恐怖を脳裏に刷り込むことで「平和へのメッセージ」を未来永劫、人類の歴史ある限り発信し続けることだろう。

悲惨な描写の前半から、戦争が終わり復興する広島を描いた後半では原爆の亡霊とも言うべき「放射能による障害」の恐怖と、そして本来は同じ原爆の被害者であるはずの者たちによる「利を貪っての醜い争い」がテーマになっていく。ムスビやカッチンはこれらの犠牲者と言っていい。

たった一発の爆弾はかくも多くの人々の運命を変え、人類の歴史を変え、そして地球の未来すらも変えたのだというお話。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-07-03 09:06:13] [修正:2012-01-03 09:41:08] [このレビューのURL]

漫画家を目指す方には必読とも言える藤子先生の自伝的作品。

それにしても、上京して手塚先生に続く形で「トキワ荘」に集まった面々は後の漫画界の重鎮ばかり。
赤塚不二雄と石ノ森章太郎の両先生がコンビを組んでたことがあったなんて、この漫画で知った。

次々と起こる事件も、漫画を中心としながらも「青春ストーリー」として悪くなかった。
プロになった後に原稿を落とされたことがあったんですね・・・藤子先生ですらも。

みんなが売れっ子になって成功・成功ばかり・・・かと思いきや、トキワ荘で仲間たちのリーダーだった「テラさん」こと、寺田ヒロオが不遇なまま終わったというのが・・・何とも・・・。

どうもアシスタントを大量に雇って、大量生産していくという編集側の方式を寺田さんは受け入れられなかったことに端を発するらしい。
商業主義に対する反発・・・・。
「漫画は子供たちに読ませるに正しいものではなくてはいけない」
と考えていたという寺田ヒロオの主張は、決して間違ってはいないと思えるだけに一層、今の世の中にこそその「志」が受け継がれていて欲しいと思えてならない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-31 07:16:01] [修正:2012-01-03 09:39:23] [このレビューのURL]