「臼井健士」さんのページ

総レビュー数: 439レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月18日

確かに「改蔵」よりもネタ的には大人しくなった印象はあります。
しかし・・・同雑誌連載の「花形」を作中で堂々と批判する姿勢は「買い」です。


作品としては、久米田先生を「南国」の頃から見続けてきた方には、先生がどれほど作家としてレヴェルアップされたかは良く分かっているはずです。
「南国」のときは下ネタに頼るしかない、ハッキリ言ったら三流漫画家だったのだが、「改蔵」で大化けされました。カクカクした見難い絵柄が丸みを帯びた見易く可愛らしい画になり、ストーリーも少しずつ下ネタが減り、ついにこの作品中では「下ネタ決別宣言」まで飛び出していました。

下ネタに頼らないと描けないうちは「所詮は三流漫画家」の域を出れないということの証明でしょう。
長い間、漫画家として活躍されている先生の多くは最初はヒットを出せても年月の経過と共に衰退していく方が多い。
けれど久米田先生の場合「元(「南国アイスホッケー部」)」が悪かっただけに、これ以上は悪くなりようもなかったことが幸いした(笑)。
後はドンドン良くなるだけ。

個人的にはマガジンに移ったのだから、自他共に認めるライヴァル(?)の「ネギま!」の赤松先生ともっと張り合っていただきたい。
それこそかつての「お笑い漫画道場」の富永先生と鈴木先生のように(笑)。

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[投稿:2010-11-30 22:41:00] [修正:2012-01-03 09:46:28] [このレビューのURL]

真っ向勝負のガール・ミーツ・ガールを描く百合漫画。
この絵の上手さ・可愛さ・美麗さがなければこの世界観は描けまい。

地味めな高校生・真理子が女子校1年生の2学期、それまで話したこともなかったクラスメイトのあっこに
話し掛けられた。おしゃれや化粧品に詳しくて、友達が多くて、賑やかで、
自分とは正反対で・・・・・・・・・・・。
最初はあっこが自分に近づいてきた意図が分からずに戸惑うばかりだった真理子。
けれど彼女と付き合ううちに自分がそれまで知り得なかった新しい世界を知り、
新しい自分を見出していく。切っ掛けを与えてくれたのは彼女。
いつしか2人は親友に。正反対の性格がどうして惹かれあったのだろう?

そこから始まる2人が結び付くに至った理由とは何か?
それを解き明かすための物語。
ボーイ・ミーツ・ガールが「冒険の始まり」であることは多くの作品で証明されている純然たる事実。
では、「ガール・ミーツ・ガール」は何の始まりなのか?

「恋は友情を前提とするもの」なのか。
それとも「友情の延長線上に恋が存在する」のか。
では「愛情」は?
女同士であろうと、親友であろうと、惹かれあう気持ちは止められず、好きな気持ちは抑えられないのだ!!!
たとえいつの日か終わりを迎えるときが来ようとも、共に過ごした日々は生涯の宝となって胸の奥のしまわれることだろう。

男子を追い出しての青春に一喜一憂するも良し、悶々とするも良し。
陽炎の如き儚さを少女たちの愛らしさの中に見るも良し。
さて、一堂。最後までお立会い!である。

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[投稿:2010-12-04 23:27:55] [修正:2012-01-03 09:45:37] [このレビューのURL]

故・石ノ森章太郎先生のライフワークと呼んで差し支えのない大作。

死の商人グループ「黒い幽霊団」によって世界の各地からさらわれた九人の男女。
新時代の戦闘要員としてサイボーグとされた彼らが自由と平和を求め反乱を起こす。
世界各地で起こる戦争・紛争の影で暗躍する「黒い幽霊団」との果てしない戦いが続く・・・。

前半は「黒い幽霊団」との戦いだったが、後半は神話・伝承へと話がシフトしていったために話が難解になったのが難点か。名シーンはやはり「地下帝国ヨミ編」のラストを挙げざろうえない。
宇宙に飛び去った「黒い幽霊団」を葬るために単身送り込まれた009。そして、009を救出するために宇宙に向けて飛ぶ002は「もう間に合わない」と叫ぶ001に言う。
「間に合わない・・・・かもしれない・・しかし、苦楽を共にした仲間を見捨てるわけにはいかない・・・最後の一秒までチャンスにしがみ付いてやる。そして、その一秒が過ぎたら・・そのときはどうか神よお力添えを。生まれて初めてあなたに祈ります・・・」
スラム育ちの002が生まれて初めて神を信じる瞬間が印象的。

引力圏を脱出した002は009を爆発の中から救いだすが、ロケットの燃料不足から大気圏突入を余儀なくされる。009は自分を見捨てるよに懇願するが、002はそれを拒絶し2人は流れ星となって地球に落ちていく・・・。002は009に聞く「ジョー、君は何処に落ちたい?」
そして地球では2人の姉弟が落ちていく「流れ星」を見ていた・・・・。
姉は流れ星に願いをかける「世界中の人々が争うことなく、平和に暮らせるように」と。

完璧だ・・・。ここで終わっていたら文句の付けようがなかったのだが

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-12-11 17:59:52] [修正:2012-01-03 09:44:19] [このレビューのURL]

8点 AQUA

未来世界を舞台にした「噂の近未来ヒーリング(癒し)コミック」を初体験。

まず作者の画力が激高。人物はそれほどでもないのだが・・・風景・建物にそれが顕著。
そして流れていく時間・空気までも画面上に表現出来る技術に感嘆。カラーページの表紙やコミックスカバーが作者の力量の見せ所(魅せどころ)。

次に「水」をテーマにした世界観と設定に夢があって素晴らしい。未来の人類が「赤茶けた生物も住めない火星」を豊かな水に満ちた惑星に「科学の力」を使って作り変えたという点。科学の発展は大量の資源の浪費、生態環境の破壊・・・等に繋がっていくという絶望ではなく、使い方さえ誤らなければ「素晴らしい恩恵をもたらしてくれるのだ」という希望を感じてならない。

そんな水の惑星となった火星に地球からやって来た主人公がイタリアのベニスよろしく、水上都市のゴンドラ漕ぎになるべく日々を送っていく。そこで様々な人と出会い、色を変えていく景色を目にし、そしていつしか主人公と共に読者もこの「桃源郷のような仮想空間」へと誘われていく。

そこではあくせくと動くことは無意味となり、不可思議な現象にですら寛容になり、そして・・・いつもは早足であるはずの「時間」でさえもその歩みを緩めるのだ・・・・。

メジャー誌では決して育たないであろうこの「未体験の快感」を宝箱の中に誰にも知られないように鍵を掛けて隠しておきたくもあり、おきたくもなし・・・・・。

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[投稿:2010-06-27 10:54:04] [修正:2012-01-03 09:42:14] [このレビューのURL]

戦争をテーマにした漫画というのは題材として「悪い評価」は付きにくいものではないかなとも思うのだが、これはその中でも広島に落とされた「原子爆弾」にテーマを絞って描かれている点で他作品とは意味合いが異なり、そしてそれこそが正に「世界唯一の核兵器の被爆国」である日本が生み出すに最も相応しい漫画ではないだろうかと思う。

大抵の小・中学校の図書室には常備されているが、内容は「悲惨な描写」が紙面上のこととは思えないようなリアルさを浮き彫りにする。主人公の少年は原爆投下時にたまたま壁に遮られていたために熱線と爆風の直撃を受けずに済むという幸運で命が助かるも、そこは「真の地獄」への入り口でしかなかった。
爆風と熱線の直撃を受けながらも即死出来なかった人々は、焼け爛れた皮膚をボロ布のように引きずりながら水を求めて街中に溢れ、さながら「バイオハザード」のゾンビの群れと化した。街は一瞬にして廃墟となり、やっとのことで自宅に戻った主人公も、たまたま外に出ていた母親以外の家の下敷きとなった父・姉・弟の3人を火事で失う。混乱の最中に妊娠中の母親が妹を出産・・・・と息を付く間もないほどに次々とドラマが巻き起こり、さながら読者も主人公とともに「嵐の波間に漂う小舟」のごとく巨大な力に翻弄されるのだ。

特筆すべきは勿論、これらの出来事が全て虚構の主人公・登場人物を配置しながらも否定することの出来ない現実であるということだ。それは単なる「虚構の中の冒険物語」で味わう悲惨さなどとは完全に一線を画した全くの別物であり、今も現実を生きる体験者にとっては忌まわしい過去を眼前に「向き合え」と突きつけるに等しく、その悲惨さを体験し得ぬ世代には呪縛にも似た恐怖を脳裏に刷り込むことで「平和へのメッセージ」を未来永劫、人類の歴史ある限り発信し続けることだろう。

悲惨な描写の前半から、戦争が終わり復興する広島を描いた後半では原爆の亡霊とも言うべき「放射能による障害」の恐怖と、そして本来は同じ原爆の被害者であるはずの者たちによる「利を貪っての醜い争い」がテーマになっていく。ムスビやカッチンはこれらの犠牲者と言っていい。

たった一発の爆弾はかくも多くの人々の運命を変え、人類の歴史を変え、そして地球の未来すらも変えたのだというお話。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-07-03 09:06:13] [修正:2012-01-03 09:41:08] [このレビューのURL]

漫画家を目指す方には必読とも言える藤子先生の自伝的作品。

それにしても、上京して手塚先生に続く形で「トキワ荘」に集まった面々は後の漫画界の重鎮ばかり。
赤塚不二雄と石ノ森章太郎の両先生がコンビを組んでたことがあったなんて、この漫画で知った。

次々と起こる事件も、漫画を中心としながらも「青春ストーリー」として悪くなかった。
プロになった後に原稿を落とされたことがあったんですね・・・藤子先生ですらも。

みんなが売れっ子になって成功・成功ばかり・・・かと思いきや、トキワ荘で仲間たちのリーダーだった「テラさん」こと、寺田ヒロオが不遇なまま終わったというのが・・・何とも・・・。

どうもアシスタントを大量に雇って、大量生産していくという編集側の方式を寺田さんは受け入れられなかったことに端を発するらしい。
商業主義に対する反発・・・・。
「漫画は子供たちに読ませるに正しいものではなくてはいけない」
と考えていたという寺田ヒロオの主張は、決して間違ってはいないと思えるだけに一層、今の世の中にこそその「志」が受け継がれていて欲しいと思えてならない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-31 07:16:01] [修正:2012-01-03 09:39:23] [このレビューのURL]

フランス革命を学ぶには「ベルサイユのバラ」を読め。
三国志演義を理解するためには「横山版三国志」を読め。
そして、源氏物語を理解するためには・・・この漫画というのは教師の「合言葉」だろうか?

ただ、この漫画は上記の2作品とは異なり、「戦争」を話の中心に置いていない。
だから、勉強にはなるのだろうけど男性は特に話にのめり込みにくいと思う。
絵柄も「少女漫画そのもの」で美しいのかもしれないが、登場人物一覧を見てもなおキャラの認識が難しい。
源氏物語の漫画・・・は意外に少ない。これ以外では今、江川先生が連載しているのがあるにはあるが、そちらは性描写が激しくて一般向けとは言えない。
「女たらし」の代名詞的存在の「光源氏」だが、この漫画ではむしろ幼い頃に死に別れた「母親」の愛情を求めて幾つもの恋に彷徨う孤独な魂が全編を通して哀愁漂う物語となっている。
ただ・・原作は判らないが、この漫画で光源氏が若紫にしたことは強姦ではないのか?

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[投稿:2010-11-23 13:00:16] [修正:2012-01-03 09:28:45] [このレビューのURL]

女子中学校を舞台にしたまったり日常系漫画。
掲載雑誌がモロ「百合」の漫画雑誌なので、展開的にソッチ系統かと思いきや全くそういうことはない。いや・・全くないということはないか。
少々はある・・・・・(笑)。

「けいおん!」と雰囲気的には同系統で、中学を舞台にして楽器演奏をしなくなったら「この作品」になる・・・ような気もします。
後、四コマ漫画ではなく、一応は一話完結型。

絵は可愛く、上手いほうだが、喩えていうなら
「クリームが山盛りのショートケーキ」みたいなイメージ。
つまり「脂分が多い絵」ということですね。

登場人物の年齢が13・14歳が大半を占めて、男子は皆無。
ほとんどの子が「まだお子ちゃま」な雰囲気を漂わせている点がポイント。
でも女の子が子供でいられるのはこの辺の世代が最後。
逆に言えばこの時間は非常に短いんだってこと。

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[投稿:2011-07-24 22:42:10] [修正:2012-01-03 09:27:14] [このレビューのURL]

5点 ライフ

イジメを題材にした、そんじょそこいらのホラーなんかよりもよっぽど恐ろしい作品。
主人公の年頃の女の子が恐怖で失禁(おもらし)してしまうような展開は少女漫画として通常は有り得ない。

とにかく異様。常に自分が1番可愛がられていないと満足しない安西愛美を中心とする女子一派によるイジメの数々は「そこまで出来るもんかッ?」ていうくらいの激しさで主人公の少女・歩を心身ともに追い詰めていく。集団でたった1人をいたぶるという構図はまるで「麻薬のように」加害者である少女たちを快感に酔わせ、顔を歪ませ、そして狂わせていく。

舞台は御伽話の世界ではない。主人公は特殊な能力を持っているわけでもなく、ましてや伝説の勇者でも有り得ない。力は弱く、成績も下位、失意の内に入学した高校で「仲間外れにされること」に怯え、周囲の顔色を窺って生きてきた一般人。只の、そう、おそらくはどこにでもいるような「弱い女子高生」でしかない。

その彼女が立ち向かわなければならない敵は、現実世界に存在していた。
これは勇者でも英雄でもない女の子が、現実世界で最も恐ろしい敵に立ち向かうお話なのだ。
誤解と愛美の策略によって周囲の全てが「敵」に回る絶望的な環境の中では、自分が一人ぼっちになったような感覚に陥る。
けれど、本当にそうか?多数の人間が存在し、それらの人々のひとりひとりが別の人格を持ち、違う親から生まれ、異なる環境で生育されてきているというのに、その全ての人間が考えなく「暴虐に手を貸し、非道を看過するものなのか?」

「否」。

集団は多数になればなるほど統率することが困難になる。本来ならばクラスの「異分子」として扱われ、友情など育むことはなかったであろう羽鳥が歩の最も力強い味方となる。
最初は彼女の強さに憧れているだけだった歩が、彼女の強さに惹かれていくうちに「あらゆる困難に立ち向かう戦士の顔つき」になっていく様はたとえて言うならば「暗雲を切り裂く一筋の雷光」のようだ。

人は困難に出遭ったときに革命的に変わることがあるという。
歩の手首に残るリストカットの傷跡を「恥」と思わずにさらけ出せる日もそう遠いことではあるまい。

「茨の道を切り裂く女戦士の物語」です。

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[投稿:2010-11-27 14:20:38] [修正:2012-01-03 09:25:22] [このレビューのURL]

掲載雑誌「りぼん」が幼児化していくのに水沢めぐみ先生と並んで吉住渉先生にも罪があった。
それが「この作品」から見え始めて、「ミントな僕ら」では完全に幼児化。
アニメ化もされたりした点で大衆受けを気にするようになってしまったのだろうか?
「ハンサムな彼女」と同じ作者とは思えない。

原作では最初、主人公カップルはラストで別れることになっていたのを(兄妹だったことが理由で)作者自身がコミックスの巻末で告白したが、なにか「編集に話したら反対されたのでやっぱり止めた」ラストはお決まりのカップル同士でめでたしめでたし・・・・って、それじゃ「ただの御都合漫画」じゃん。
自分の意思を曲げてしまった作品がたとえ高評価を得たとしてもそれはもう何の意味も持たない。

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[投稿:2010-12-04 09:38:43] [修正:2012-01-03 09:24:07] [このレビューのURL]