「鋼鉄くらげ」さんのページ

総レビュー数: 292レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年10月28日

人間の価値観は千差万別で十人十色。百人いれば百通りの好みや価値観が存在します。そんな中で、全ての人間の価値観に符合する「誰が読んでも面白い作品」なんてものは、未来永劫、半永久的に存在しえないなんてことは、今更ここで長々と語るまでもなく明白なことです。しかし、そんな人類不変の絶対真理を語っておいてなお、この作品に対する感想を述べさせてもらうと、「この作品は面白いです」。

さすがは荒川先生と言うべきか。農業高校の学校生活なんていう地味なテーマの話でも、実に興味深く、そして分かりやすく、作品のテーマから引き出す事のできる面白さを十二分に伝えられています。

さて、今回レビューを書くにあたって作品全体を見た場合、現段階ではレビューを書くにはまだまだ話そのものが始まったばかり。道半ばという段階です。なので今回は、2巻まで読んだ中で特に印象に残ったエピソードを一つ、紹介するだけに留めておこうかと思います。

そのエピソードとは、1巻134ページから展開される「獣医になる夢を叶えるために必要なものは何か?」という主人公の台詞に対して獣医が答えた言葉。
「殺れるかどうか」です。

例えば「小さくて可愛いペットが大好きだから」なんて理由で将来ペットショップ屋さんになりたいなんて言うのは、それこそ幼稚園児レベルの発想で、そんな志望動機は、実際にペットショップ屋さんが抱える苦悩や葛藤をまるで理解していないからこそ出てくる台詞そのものでしかないわけです。

生物を育てるにしろ、生物を救うにしろ、「命」を養うという事は、同時に「命」を奪うという事もその裏返しとして存在しています。そんな厳然たる事実を置き去りにして、安易で一時的な感情論で物事の指針を判断していると、いつか必ず「命」を扱う仕事が抱える絶対的な問題に直面します。それはつまり「死」です。自分が対象生物の生き死にを扱う覚悟があるのか。その覚悟を受け入れる事が、獣医として(命を扱う仕事として)必要な「資格」であると。そんな事を言いたいシーンなんじゃないかと思います。

普段。私たちの食生活は「命」を感じる事が少なくなってきています。今どきの子供たちは、スーパーの魚の切り身がそのまま海を泳いでいると思っている、なんて笑い話もあるくらいです。しかしそれは、逆に言えば、それだけ「生物=食物」という意識が希薄化していると言う事の証明でもあります。食物が大量生産され、製造工程が機械化されれば、それだけ「命」の存在感が薄れ、消失していく。それが善か悪かの二元論では無く、歴史の必然と言われれば、それは人間の傲慢なんじゃないかと、そんな事をこの作品を通して考えます。

自動化され、流動化される時代の中で、敢えて「生(せい)」を描くこの作品が、今後どのような物語を辿るのか。とても楽しみです。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-12-28 20:44:29] [修正:2011-12-28 20:52:39] [このレビューのURL]

自分にとって「名言や格言の宝庫」とも言うべき作品です。

この作品の中で、今でも強く印象に残っている言葉は以下の三点。

1 「あんたが年を取ればあたしも年を取る。それでいいじゃないか。」
2 「お前もしかしてまだ 自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」
3 「できればもう一日生きたい。明日ヒットスタジオに戸川純が出る」

その他にも、この作品の中で登場している数々の名言集をかき集めれば、それこそベスト100の大辞典が編纂できるほど大量の名言集がこの作品には埋蔵されているんですが、今回はひとまず、この三つに厳選したいと思います。

その中でも特に気に入っているのが、一番最初に挙げた台詞。
「あんたが年を取ればあたしも年を取る。それでいいじゃないか。」
これは、若かりし頃の幻海師範が「老い」について悔しさを感じている若かりし頃の戸愚呂(弟)に向けて言った台詞です。

自分が年を重ねれば重ねる程、当然の事ながら周りの人達も一つ、また一つと同様に年を取っていくわけで。しかし、自分だけは変わりたくない。老けたくない。いつまでも「若さ」とか「青さ」とか、そういう若者だけが持つ専売特許を手元に持っていたい。そんな子供みたいなワガママをごねてみても、年が過ぎれば、結局はまた一つ年を取ってしまう。それは「生」を生きる人間にとって(生物にとって)悲劇そのものであり、生きる上での業、四苦八苦の四苦の一つ「老」そのものでもあるわけです。そんな生物そのものが持つ根源的な苦しみや悲しみ、怒りや不満に対して幻海師範はたったの一言で救いの手となる「答え」を提示してみせたのです。

この他にも「幽遊白書」という作品には冨樫義博という稀代の天才が生み出した珠玉の名言集が数多く掲載されているので、まだ読んだ事が無いという人にはぜひとも読んでみて欲しいと思います。なお、1巻第1話を読んだら、その次はいきなり2巻の最終話を読むか、その次の3巻を読む事をお薦めします。その理由は、まぁ個人的な好みの話なのかもしれませんが、1・2巻の内容はベタなヒューマンドラマばかりで、正直そんなに面白くありません。ですが、この部分だけで「幽遊白書はつまらない」と判断されるのは、とても忍びないので、初見の人にはぜひとも3巻以降から始まる霊界探偵浦飯幽助を読んで、「幽遊白書」を判断してほしいと思います。いやもっと言えば、「幽遊白書」が本当に面白くなるのは戸愚呂兄弟が出てきてからなので、ぜひとも暗黒武術会までは行って欲しいところです。ここまで来てしまえば、あとはもうノンストップ、勝ったも同然です。おそらく気が付いた頃には最終巻に手が伸びていることでしょう。

今こうして「幽遊白書」を振り返って、「幽遊白書」がなぜ名作と成りえたのかを考えた時、その理由はおそらく、単にキャラクターの人気やアニメのヒットによる経済的な相乗効果があったからだけではなく、こうした読む人(観る人)の心を打つ数多くの言葉たちがあったからではないかと、今になって自分は思っています。

一つの作品を読み終えた時、作中の何かに感化され、その作品によって自身の考え方や価値観が変容していく。そんな作品を、きっと人は「名作」と言うのだと思います。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-10 22:35:23] [修正:2011-12-11 23:40:37] [このレビューのURL]

水上悟志先生の推薦文につられて読んでみましたが、想像以上に面白くありませんでした。

最初の数ページこそ、いかにも少年漫画っぽい、勢いと迫力のあるストーリーが展開されていきましたが、1巻の途中くらいで話の内容と展開についていけず、読むのをやめてしまいました。

そして案の定、2巻では打ち切り完結となっていました。

何が面白くなかったのかを考えてみるために改めて最初から読んでみました。乖離。そう、乖離ですね。読んでいてふと、自分の感性が物語の流れや展開から分離し、離れていくような感覚に陥ります。この瞬間、その物語に対する共感性や好感感情は作品そのものから分離し、遊離していくわけですが、いずれにしてもその瞬間。自分は物語に対する興味や関心を失くしているんだと思います。

つまり、「何をやってんだか、よく分かんないんだけど」っていう事です。こういう、アーティストタイプの漫画家は、ちょくちょく自分の感性や趣味に突っ走って読者を置き去りにするので困りものです。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-10 22:36:08] [修正:2011-12-10 22:44:11] [このレビューのURL]

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