「鋼鉄くらげ」さんのページ

総レビュー数: 292レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年10月28日

漫画においてもアニメにおいても大成功を収めた作品です。普通、特に最近のアニメは、予め漫画で人気を獲得しておいて、その土台の上でアニメ化を行なうのですが、実際アニメの放送が開始されても、あまりその作品の面白さは継承されないことが多いのです。なぜならそれは、漫画とアニメは全く別の表現手段だからです。

しかし、この作品は漫画においてもアニメにおいても、それぞれの表現方法で伝えるに相応しい要素を持っていました。それが、この作品が大きな成功を収めた要因ではないかと思っています。

思えばアニメは声優陣も豪華でした。野沢雅子、田中真弓、古谷徹、その他にも今思えば考えられない程の豪華なキャストだったと思います。

絵に魅力がある。キャラに魅力がある。話に魅力がある。声にもアクションにも魅力がある。これ程までに高いエンターテインメント性を兼ね備えた作品が人気を博したことは当然だったかもしれません。

もう一つ、この作品には時代も味方しました。当時日本はバブルの絶頂期で、力こそが全て。お金こそが絶対的なものでした。そうした時代の中で、戦闘力という単純明快で、絶対的な尺度は、当時の日本が持つ価値観と上手く共有され、この作品に対する共感を高めていったように感じます。

私は、どんなに面白い作品も時代の流れや、時の運が味方しなければ、大成功は出来ないと思っています。「ジャンプ黄金期」と呼ばれる作品達は、その運を味方に出来た数少ない幸運の作品達だったと思います。


※ ここから下の文章はレビューではありません。一個人の独り言だと思って聞き流してください

歴史の流れに「もしも」は無いが、もし鳥山明という漫画家が生まれなかったら漫画やアニメの文化はどのような文化になっていたのだろうと、この度の氏の逝去を受けてふと考えるようになりました。

今回の一連の出来事の中で大変興味深かったのが、SNSによる「鳥山明が週刊少年ジャンプで連載する前週のジャンプの表紙」の投稿で、その作品の多くが劇画調というか、ある意味でかなり時代を感じる画風だったことがとても衝撃的で、改めて鳥山明という漫画家が文字通りの意味で「時代を変えた」のだと痛感させられました。

奇しくも先日かつてゲーム界の潮流を変えた作品のリメイクが発売されたのと同じように、「もしこの出来事が無かったら世の中の潮流はどうなっていたのだろう」と思うような出来事がこれまでの人生の中でも多々あったことを思うと、歴史の妙味を感じます。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2007-11-24 23:13:21] [修正:2024-03-09 22:29:38] [このレビューのURL]

サグラダ・ファミリアの完成を見られずに亡くなった人たちの気持ちはこんな感じだったんだろうなという気持ちにさせてくれる作品。

ただ、自分としては、この作品はもうゴンとジンが世界樹の上で語り合っているシーンで無事に最終回を迎えたと思っているので、後はそこから先どれだけ続こうが正直あまり気にしていません。

とりあえず各章の面白さを点数で付けるとすると、
ハンター試験    10点
ヨークシンまで   8点
ヨークシン     6点
グリードアイランド 9点
キメラアント    7点
それ以降      7点(暫定)
という感じです。

さて。休載が多いということで話題になることの多いこの作品ですが、自分は、「休載すること」自体に関してはそれほど問題だと思っていません。というか、どれだけ時間をかけようが話の中身が面白ければそれで良いと思っているので、むしろ毎週休まず連載しているからといって、それがつまらなかったら作品としては意味が無いと思っています。

ただ、休載にも意味のある休載と意味の無い休載があると思っていて、ただ描く気が無い、もしくは無くなったからといって連載作品を途中で投げ出すというのは問題外だと思いますし、それならばいっそ途中でもいいからあっさりと打ち切ってくれた方が読み手としてもある意味では納得できるというか、未練なくその作品と別れを告げることができるので、そうしてくれた方がよっぽどかありがたいです。

果たして、この作品の完結レビューを書くことはできるのか。

ワンピース、コナンと並んで自分が完結レビューを書くことができるのか、悩みの深い作品の一つです。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2023-01-01 20:13:36] [修正:2023-01-01 20:18:10] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

まず予め断っておきたい点が二点あって、一つはこのレビューが本編を最後まで読んだ上でのネタバレレビューになっていること。そしてもう一つが、このレビューは原作を読んだだけのレビューではなく、2020年春期に放送されたアニメ版「イエスタデイをうたって」を先に観た後で原作を読んで書かかれたレビューになっていること。この二点を踏まえた上で今回のレビューを読んでいただければと思います。

<アニメ組としての感想>
まず思ったのが、これだけ入り組んだ作品を12話にまとめあげたアニメスタッフは凄かった、ということで、そもそも、原作のある作品を1クール分アニメ化しようとしたときに、どのくらいの量をアニメ化できるのかということなんですが、経験上、今まで色々観てきた中ではおおよそ4・5巻くらいが妥当で、それ以下だと間延びしてしまうし、それ以上だと詰め込みすぎて駆け足になってしまう印象があります。そんな中で、この作品は全11巻を1クールでアニメ化しようとしていたのですから、どう考えてもどこかで大きく本編の内容をカットしているか、原作の内容を大きく改変しているかのどちらかだと思っていたのですが、結論から言えば、7巻まではおおよそ原作通り。(それでもかなり端折ってますが)それ以降は物語の進行上必要な部分を切り取っているといった感じでした。
ただしそれでもかなり駆け足で、アニメ版ではかなりのキャラクターたちが「いなかったこと」になっています。「いなかったこと」にされたキャラクターたちは、確かに物語の進行上で考えればそれほど重要なキャラクターでもないのですが、物語に深みを加えるという意味では、いずれも重要なキャラクターたちばかりなので、アニメだけを観た人もぜひとも原作を一度読んでみて最後のシーンに辿り着くまでに起きた様々な出来事を知ってほしいと思っています。
アニメ版と原作の違いを例えて言うなら、アニメ版はロープウェイを使って一気に山の頂上まで駆け上がってきたようなものなので、出来れば登山道の方も登ってみて、その過程を経た上で、その先に見える頂上からの景色も眺めてほしいと、そんな感じです。

<原作を最後まで読んでみて>
読んでいる最中は色々な思いや感想が頭の中を駆け巡ったのですが、いざ実際に物語を最後まで読んでみると不思議と物語に対する感想が全然浮かんでこなくて、おそらくこれは、物語の結末があまりにもしっくりきたものになっているからなんじゃないかと自分は思っています。
色々紆余曲折はあったものの、リクオとハルは無事に付き合うことができました。
言葉にしてしまえば1行にも満たないシンプルな結論なんですが、多分この作品はその結論をどうこう言うよりも、そういう紆余曲折の過程を楽しむタイプの作品だったんじゃないかと、そんなことを思います。
それにしても榀子先生は困りもので、あの人はどうしたら自分に納得できるんだろうと色々と考えてみたんですが、とりあえずその共依存的な状況を一旦リセットして、全く新しい環境で一から人間関係を構築し直して、問答無用で相手を引っ張っていくようなハルちゃんの男性バージョンのような人と出会えば少しは変わるんじゃないかと思ったりもしたのですが、そうすると「湧くんに悪いから」と亡くなった人を持ち出されるので、これはもう一生独身コースかもしれないと、そんなことを思いました。まあ、亡くなったり中途半端な状況で別れたりした相手は時間が経つとどんどんと美化されてしまいますからね。かといって玉砕すれば何もかも忘れられるかといえばそうでもないところが人間の感情の厄介なところで、結局、忘れられない以上どこかで折り合いをつけて次に進むしかないんじゃないかと、そんな風に思います。まぁ、個人的な持論ですが。
あと、もう一つ思ったのが、恋愛って、自分と似た部分を持っている人を好きになることが多いと思うんですけど、これが「自分のダメなところ」が共通している相手だと、上手くいかないことが多いような気がします。例えばこの作品でも、リクオと榀子先生は恋愛面での立ち振る舞いがかなり似ているというか、いざという時にあと一歩を踏み込めないっていう慎重さがとてもよく似ていると思うんですけど、そういう、ダメな部分が共通してしまうとお互い決定的な一歩が踏み出せなくて、結局この作品のように有耶無耶な関係になってしまいがちになってしまうような気がしますし、だからこそ、終盤二人が付き合っても結局上手くいかなかったのはそのためだったんじゃないかと思います。

<最後に>
今までその存在は知っていたものの、読む機会が無くて読まずにいたこの作品。聞けば連載開始は1998年で、実に17年間にも及ぶ長期連載だったらしいです。そんな作品を、先の展開のネタバレをされることもなく一気に知ることができたのはとても幸せなことだったと思います。
本当に、良い出会いとなった作品でした。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2020-07-10 19:13:09] [修正:2020-07-10 19:30:53] [このレビューのURL]

<ネタバレ注意!!>

本当は5月1日にレビューを投稿しようかと考えていたんですけど、よくよく考えてみたら、5月1日に投稿するよりも、5月5日に投稿した方が「5月5日に『五等分の花嫁』のレビューを投稿する」っていう5並びになって面白いんじゃないかと思い、5月5日にレビューを投稿することにしました。

とまぁ、そんなことは置いといて、この作品のレビューなんですが、その前に前置きを。

自分は2020年5月現在、全ての作品においてコミック派のスタンスを取っていて、本誌でストーリーを追っている作品は一つもありません。またこの作品、「五等分の花嫁」に関しては10巻あたりで読むのを止めていたので、風の噂で「五等分の花嫁」が終了したと聞いた時は(思ったより早いな)と思ったのと同時に、これだけ予想より早いタイミングでの終了となると、(おそらくこれはいつもの『俺たちの戦いはこれからだエンド』なんじゃないか)とか、割と曖昧な終わり方を予想していたのですが、いざ実際に最終巻まで一気に読んでみると思った以上にはっきりとした終わり方になっていました。

自分は当初、少年漫画のよくあるパターンから考えて、〇〇が最終的な花嫁になるんじゃないかと予想していたのですが、まさか最終的な花嫁に選ばれたのが〇〇だったなんていうのは正直言ってかなり予想外でした。というよりも、(誰を選んだというよりも)こんな風に主人公がはっきりと相手を選んで物語が終わるっていう、そっちの「話の流れ」の方に正直驚いてしまいました。

自分が見てきた中で、少年漫画の恋愛ものって、割と曖昧な終わり方にしてしまうっていうか、散々色んな人を振り回した挙句、結局誰も選ばずに、俺たちの騒がしい日常はこうしてこれからも続いていくんだぜやれやれ、みたいな終わり方をする作品が多いんですが、この作品は真正面から「この作品の最終的な花嫁は〇〇です」っていう結論を出してくれたので、こちら側としても、きちんと溜飲が下がるというか、すっきりとした気持ちで読み終えることができました。

ただ、これだけ大きくなってしまった作品でこれだけはっきりとした結論を出すことはかなり勇気がいることだったんじゃないかと思います。そんな中でもブレずに自分の芯を貫いた作者の決断力には心からの賛辞を贈りたいです。本当に、良い終わり方でした。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2020-05-05 18:24:32] [修正:2020-05-05 20:06:02] [このレビューのURL]

結局のところ、漫画における「巻数」というものは、ストーリーを語る上で「結果としてそうなった」だけのものでしか無く、「巻数」の多さでは物語に対する面白さの尺度は測れないのだということを、この作品を読んで改めて感じます。

なお、この作品は、非常に緻密かつ綿密に物語が組み上げられているため、物語の細部に関して何かを語ろうとすると、必ず物語の核心部分に触れてしまいます。なので、今回は物語の大枠部分だけを簡単に説明して、あとは個人的な感想を少し述べるだけに留めておきたいと思っています。

まず、この作品を一言で表現するのなら、作者の方も述べられている通りSF版「十五少年漂流記」です。

ある時、学校行事で惑星キャンプを実施することになった高校生ら男女9人が、キャンプ先の惑星に到着直後、謎のワープゲートに吸い込まれて、元いた惑星から5012光年離れた宇宙に飛ばされることになってしまった。果たして、彼らは無事に故郷へ帰還することが出来るのか。

というのが、この作品の主なストーリー部分です。ただ、この作者は前作の「SKET DANCE」の時もそうでしたが、非常に論理的で理知的な話を作るのが上手く、この作品でも、実に論理的で現実的な解決方法で、次々に訪れる困難を解決しています。おそらく相当練った構想をしているのだろうと思うのと同時に、おそらくこの作品は「描き始めた直後から」物語の最後までが既に完成されていたのだろうということが容易に想像できるほど、優れたシナリオになっています。

だとすれば、引き延ばしも無駄なエピソードの追加も一切することなく、全5巻ですっぱりと物語を完結させられたことは、この作品にとって本当に幸せなことだったのだろうと思いますし、それによって、この作品が本当の意味で「作品」となることができたという、稀有な例の作品だったのではないか、とも思っています。

最後に、どうかこの作品は全5巻を一気に読んでみてほしいと思っています。最後まで読んだ後にもう一度最初からこの作品を読み返してみると、改めてその完成度の高さに驚かされるはずです。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-05-02 19:39:11] [修正:2018-05-02 20:12:17] [このレビューのURL]

「少女漫画に出てくる男性主人公はイケメンである」という、ある意味では不文律にも似た既成概念であり固定観念を、真正面からぶち壊していった意欲作です。

思えばこの作品。終始実直なストーリー展開で、どちらか一方が浮気をしたり他の異性を好きになったりだとか、そういう浮ついた話の一切無い、実に一本気に満ちた、男気溢れる物語だったなと、そんなことを思います。

普通、付き合ってからの話の展開としてありがちなのが、喧嘩して一度別れてしまうだとか、他の異性を好きになって二股関係のような状況になってしまうだとか、そういう、何かしら「その人以外の人を好きになってしまうような展開」みたいなものがある場合が多いものなのですが、この作品に限っては、そういう浮ついた展開みたいなものは(最後以外)ほとんど全くありませんでした。

ただ、もう少し欲を言えば、主人公剛田猛男の親友砂川にも、もう少し良い思いをしてほしかったなという気持ちもあります。しかし、あくまでこの作品において彼の役割は童話「泣いた赤鬼」でいう「青鬼」という立場そのものだったのでしょう。

作品のカテゴリーとしては少女漫画ですが、一般的にイメージするほど少女漫画強さは無く、かなりあっさりとして読みやすい作品になっているので、少女漫画に対して苦手意識を持っている人たちに対しても安心して薦められる作品になっていると思います。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2018-02-02 18:42:21] [修正:2018-02-02 19:04:53] [このレビューのURL]

この作品を語る上で重要な要素はやはり二つある。一つはこの作品が「作者の松井優征先生が現代を生きる中学生たちに宛てて書いた手紙」であること。そしてもう一つが、この作品が「現代の商業主義が抱える宿命を打ち破った作品」であること。これらを軸に今回この作品を評価してみたい。

まず一つ目。「作者の松井優征先生が現代を生きる中学生たちに宛てて書いた手紙」であるという点について。この作品は、一見暗殺というインパクトのあるエンターテインメント性で物語を紡いでいるが、その実は「松井優征流教育論」とも言うべき内容の一種の教育漫画である。

というのも、作品内の至るところで、作者自身が現代を生きる中学生たちへ伝えたいと思っているであろう言葉の端々が、殺せんせー自身の口を通して、あるいは作品内のテーマや教訓などからも間接的な形に変えて伝えようとしている部分が数多く見受けられるからだ。そしてその最たる例は、やはり原作第20巻170話14ページから始まる殺せんせーからのアドバイスと言えるだろう。

生きることが不合理な理由。社会が不合理である理由。それはやはり競合する他者がいるからに他ならないと私は考える。ゲームの世界で自分勝手に無双の世界を楽しむことができるのは競合する他者がいないからだ。もしいればたちまち世界は奪い合いになり、現実の世界と同様に、争いが絶えなく続いていく世界になっていくだろう。そんな、理不尽で不自由で不合理な現実社会の中で腐らず正しく生きていくためにはどうすればいいのか。そんな問いかけに対して、松井優征先生がほんの少し、今を生きる中学生たちへ投げかけた言葉の欠片。それが、この暗殺教室という作品だったのではないかと私は思う。

次に「商業主義の持つ宿命を打ち破った作品である」ということについて。まず「商業主義の持つ宿命」とは何なのか。それはつまり「人気が出た作品は終われない」ということである。その最も分かりやすい例は他誌ではあるが「体は子供。頭脳は大人の名探偵」だろう。この作品は、連載開始から早20年以上も掲載を続けているが、未だに終わる気配さえ見せていない。しかし、この作品が終わらない理由は明白である。終わられたら編集部が困るからだ。人気作品が終わることによる発行部数の減少と売上の減少。そしてそこから繋がる雑誌存続の危機。それを恐れているからこそ、編集部は発行部数確保の一翼を担っている人気作品を打ち切ることができないのだ。同じことはこの暗殺教室と同じ雑誌に掲載されている「ワンピース」などにも言えるだろう。編集部の道具、とまでは言わないが、経営存続のための一手段として作品全体の延命処置が施されている。それが、三大少年漫画雑誌に限らず数多くの長期連載作品に見られる問題点の一つなのではないかと私は考える。

その点を踏まえて今回の「暗殺教室」振り返ってみると、正に奇跡としか言いようのない幕引きだった。人気作品で、しかもジャンプの看板作品で、21巻で終わる。

延命はしない。これは殺せんせーと生徒たちの一年の物語なんだ。という松井先生の連載開始当初からの明確な意思表示。そしてその宣言通りの見事な幕引き。正に拍手喝采の出来栄えだった。

商業主義の持つ悪しき宿命を殺すことに成功した。

それだけでも、この「暗殺教室」という作品は、その功績や意義を後世に伝えられるべき作品となるだろう。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2016-07-23 00:35:18] [修正:2016-07-23 00:59:09] [このレビューのURL]

<はじめに>
とりあえず今回は色々書きたいことがあったので、いくつかのテーマに文章を分けました。

正直なところ、このタイミングで終わるとは全く思っていなかったで、実はかなり驚いています。しかし、よくよく読み返してみると、10巻あたりからもう既に物語を畳む雰囲気が、そこかしこから醸し出されていたのを考えると、このタイミングでの幕引きは必然であり、むしろ当然だったのかなとも思います。

<ストーリーについて>

得点は8点。9点ではなく8点。この点数評価は偏に「ストーリー」の物足りなさから由来しているものです。「帯をギュッとね!」と「モンキーターン」。前の二作ではきちんとストーリーをある一定のピークのところまで持って行って話を終わらせましたが、この作品は○○○(ネタバレ防止のために伏せました。○の数も合っていません)と、ひどく中途半端なところで終わっています。ここから先は色々と邪推してしまいますが、自分の考えをまとめると要するに、雑誌異動とか色々あって「作品そのものを無事に完結させられるかどうか不安になったため、ある一定のところで物語に区切りを付けたんじゃないか」というのが自分の予想です。

だから合宿の話が異様に長く、また新入生もこれ以上入ってこないし、他校の新しいライバルなど新キャラも登場しない。話をまとめ上げられなくなるから。そんな事情でこのタイミングで物語を完結させたのではないかと思います。まぁ、ただの推測になってしまいますが。

そんな訳で面白くなかったのではなく、物足りなかった。その表現が一番しっくりくる気がします。

<「書道」とは何か>

最終巻の巻末コメントで作者は「自分は字が上手くなかった」と述べていますが、私もそれと同様で、昔から字が下手で習字の時間が苦痛でした。「しんにょうのはらい」の形がどうとかそんな細かいことを指摘しないでほしいとか、見本通りにきちんと正確に書きなさいとか言う割には、世の中の良書と呼ばれる作品群が読めないものばかりなのは何だか納得いかないとか、そういった考えを持っていたので、正直「書道」は自分にとって理不尽な世界そのものでした。

しかし、この作品を読んで改めて「書道」というのはどういうものだったのかを考えてみるとやはり「自身の内面を表現するための手段の一つ」であり、茶道や剣道、柔道などと同じく「道」を追求する分野の一つだったんじゃないかと思います。もちろん、当時小学生だった自分にはそんなこと思いもしませんでしたが。古典や漢文と同じく、ある程度年齢を重ねてからその世界に踏み入れてみると、また違った側面が見えてくる。そんなことを学んだ良い機会でした。

<結び>

作品全体の感想をまとめると、ストーリー漫画としては不完全燃焼でしたが、書道漫画としてはこの上ない良作でした。

最後に、この作品の第13巻176・177ページに掲載されている

井上有一 作 「噫横川国民学校」

の書は、日本人ならぜひ一度は見て欲しい書です。
ただ、心して見てください。

「書」ではなく、身も心も引き裂くような魂の慟哭。
悲しくも激しい表現者の姿がそこにはありました。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2015-05-30 23:48:26] [修正:2015-05-30 23:54:55] [このレビューのURL]

実際のところ、物語自体はまだ完結していないんですが、話の根幹部分である「田中家の家庭の事情」が一段落し、また、自分の中でもある程度評価が固まってきたので、今回この作品のレビューを書きたいと思います。

詳しい話の内容はあらすじなどを読んで知ってほしいとして、今回はなぜ(自分基準で)「そう簡単には付けない」8点をこの作品に付けたのか。その理由について、この作品のレビューと併せて書いていこうかと思います。

この作品が8点だと思う理由。それはズバリ「心理描写が優れているから」です。もっと言えば、ある登場人物が別の登場人物から一つの言葉を投げかけられた時に、受けた側の登場人物が何を思うのか。また、思った上でどのような言葉を述べるのか。その過程と台詞選びが抜群に上手いと感じ、今回この作品に8点を付けました。

一例を挙げたいと思います。13巻115ページから。主人公の田中が「大事な二人のうち、どちらか一人を見捨てなければならない状況に陥った時あなたならどうするか」と生徒会長に尋ねた時、生徒会長は「二人とも助ける」と答えました。「それはどちらか一人を選べないくらいに、どちらも大切だからという意味か」と再度田中が尋ねたところ、生徒会長は「違う」と答えました。生徒会長は「どちらか一人を助けたとしても、助けられた方の一人は僕をもう今までと同じようには見てくれないだろう。僕にはそれが耐えられそうにない。だから選べない。」と選べない理由を答えます。

このような、明らかに違う考え方を持つ登場人物を巧みに使い分け、また、そうした異なる考え方を持つ者同士が物語を通してぶつかり合った時に、彼らがそれぞれどのような発言を行なっていくのか。そしてそれらを基にどのような物語が展開されていくのか。その理解と把握が実に見事です。

絵柄は可愛らしく、一見するとよくある日常系の作品かと思われてしまいそうですが、実際はヘタなドラマよりもずっとドラマチックです。ただその一方で、「田中家の事情」の話は正直かなり重たすぎる内容になってしまったので、読者層のことを考えるとちょっとやりすぎだったんじゃないかなとも思います。

いずれにしても「物語」として優れている、良い作品だと思います。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2015-01-09 22:08:58] [修正:2015-01-09 22:39:07] [このレビューのURL]

つまるところアニメから生み出される「面白さ」というのは、生のままでも充分美味しい食材(原作)が目の前にあったとして、その食材を捌く料理人(製作スタッフ)がいかに上手く、その食材を調理できるかどうかに懸かっている、ということと同じことなのかもしれません。

そういった意味ではこの作品は良い料理人に恵まれた幸せな作品だったのですが、勿論原作の方も充分面白いです。

「少女漫画家あるある」ネタをギャグにして繰り出すボケは、華やかで煌びやかな印象を与える少女漫画の世界も、一歩裏口に入り、その舞台裏を覗いてみれば実にリアルで生々しい、人間臭い世界に満ち溢れているという至極当たり前な姿を、ギャグの力を借りて読者に見せつけてくれます。

現行の巻数もそれほど多くないのでぜひ多くの人に読んでもらいたい作品です。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2014-10-03 22:12:13] [修正:2014-10-03 22:12:13] [このレビューのURL]

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