「鋼鉄くらげ」さんのページ

総レビュー数: 292レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年10月28日

「自分の顔がアンパンで出来ているあの国民的ヒーローが、困っている人達へ何のためらいも無く自分のアンパンを差し出すことができるのは、パン工場で自分の顔を焼いてくれるあのおじさんが、代用品のアンパンを幾らでも作ることができるからこそ実現できる『善意』なのかもしれない」

そもそも臓器移植の何が厄介なのかというと、前述したようなお腹を空かした子供に自分のアンパンを食べさせてそれでおしまいなんていう、そんな単純な話で終わらずに、臓器を譲った提供者と、臓器を受け取った受容者の双方が臓器を担保としてお互いを新たに結び付け、これまでには無かった新たな関係性を生んでしまうことにあると考えます。

臓器提供意思表示カードに臓器提供の意思表示を示し、万が一、自身が脳死もしくはそれに準ずる状態になったとき、この臓器提供意思表示カードを見せることで、自身の臓器や皮膚、眼球などが重い病気に苦しんでいる人たちの役に立つことになる。一見するとこれは、素晴らしい話です。美しい話です。美談になります。しかし、これはあくまで「臓器提供者自身が自己完結できる部分のみを見ているから美しく見える」だけの話です。臓器移植の本当の問題は、「残された側」に生じます。例えば提供者の家族。どれだけ提供者が生前カードによって本人の意思を示したといっても、家族は常に疑念と罪悪感に苛まれ続けることになります。なぜなら、本人の口から最終的な意思確認を取ることはもう二度とできないからです。本人が一言でも「提供してもいい」と言ってくれれば、家族としても心に一切の蟠りを残すことなく、臓器提供の判断に踏みきれますが、当然のことながら臓器移植を決断する段階で本人の口からその言葉を聞くことは絶対にできません。

今回の脳死判定による臓器提供に限らず、前作の「がん編」でも末期癌患者の延命治療を望むかどうかという部分において、同じような問題は出てきました。つまり、本人の意思判断が喪失した状態で周りの人間は、どれだけ本人の意思を汲んだ決断をすることができるのか? という問題です。
「延命治療はいいから早く楽にさせてほしい」
「お金はいくらでも出すから出来る限りの延命治療を続けてあげてほしい」
今回の場合もそれは同様で、
「本人の意思に沿って臓器提供の手続きを進めてほしい」
「本人の意思には反駁するが臓器提供は行わないでほしい」
本人の意思を汲んでいるようで、実は自分自身の価値観や判断基準によって医療行為の方向性の決定意思を判断してしまう。それはとても残酷な決断であり、だからこそ普段「命」に関する方向性を絶えず判断している医師という職業は、とても大きな重責を担った職業だと思わざるを得ません。

「死」は突然やってくる。とはよく言われることですが、思うに「死」というのは、自分にとって「影」のような存在なのではないかと考えます。普段、自分の足元にある「影」という存在は、常日頃当然のようにそこに存在していますが、普段の日常生活でそれを強く意識して生活している人はほとんどいません。しかし、「影」は間違いなく今日も明日も明後日も、これから先、自分が死ぬまで確実に自分の足元に存在します。それはつまり、自分のすぐ足元に「死」という逃れられない運命が間違いなく存在していることの証左そのものではないかと考えます。

少し長くなりましたが、最後に、この作品のタイトルにある「ブラックジャックによろしく」の意味が、この「移植編」を読んで少し分かったような気がします。つまりは、技術さえあれば助かる命があるのなら、それを助けるのは医者として当然のことなんじゃないかと、それは言わば無償の善意であり、あの国民的ヒーローが差し出したアンパンそのものなのではないかと、そんなことを思います。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-07-27 22:43:24] [修正:2012-07-27 22:46:37] [このレビューのURL]

最近やたらとジャンプ本誌で姿を見かけ、アニメ化も決定しているということなので試しに読んでみたんですが、どうにも自分とは合いませんでした。

キャラクターの造形とか、台詞回しとか、ストーリーの展開とか、そういった作品全体を取り巻く雰囲気や空気感みたいなものが、どうにも自分とはしっくりこず、2巻くらいまで読んでみても結局その印象は拭えなかったため、この作品は自分とは合わないと判断し、きっぱりと読むのをやめました。ただこれは、作品そのものの優劣というよりも読み手個人の嗜好の問題だと思うので、仕方が無いかなと思います。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-07-20 23:14:09] [修正:2012-07-20 23:29:05] [このレビューのURL]

AKBにしろ、金環日食の日食眼鏡にしろ、一時的なブームに着目した便乗商法の何もかも全てが悪だと断定することは、火災現場にやってきた野次馬の全てが放火犯だと判断するくらいに早計で、偏った固定観念によって導き出された結論だと言わざるを得ません。

しかし一方で、一時的なブームに便乗して商品レベルとして充分な水準に達していない「粗悪品」を世にばら撒くことで、生産者のみが利益を得ようとする生産者側のスタンスは、いわゆる「社会悪」として判断されて然るべき行動なのではないか、と、そんなことを考えさせられます。

で、この作品。正直言って「AKB」という冠詞が無かったら、単なるご都合主義のSFファンタジー漫画として記憶にも印象にも残らないまま、あっという間に打ち切りになってしまいそうなほど、ヒドい作品です。色んな意味で。

まぁ、結局は一時の流行に合わせて作られた「企画漫画」です。多分、それ以上でもそれ以下でもありません。今後、この作品が別冊少年マガジンでどれだけ続くのかは分かりませんが、おそらく、AKB人気の終焉と共にこの作品もひっそりと終わりを迎えるのだと思います。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-06-22 23:15:53] [修正:2012-06-22 23:53:17] [このレビューのURL]

ホント、ごめんなさい。途轍もなくつまらないです、これ。

大概の作品は、第一話だけは物語の始まりということもあってそれなりに面白く、気合が入った作品が多い場合が普通なのですが、この作品はその記念すべき第一話さえもつまらないという、ホントどうしようもない作品です。

これはあくまで経験則から導き出した持論なのですが、漫画家に限らず作家や音楽家など、そのクリエイターが本当に高い才能を持った人物なのかを判断するためには「二作目」に作った作品を見ればいい、という持論があります。

なぜか?

それは、「二作目」にこそ、そのクリエイターが持つ本当の「創造性の器の大きさ」が嘘偽り無い形で現れるからです。そもそも創造物というのは、作り手がこれまで歩んできた人生を具現化させた集合体そのものでしかなく、作り手がこれまで歩んできた人生の中で吸収してきた知識や経験以上のものを生み出すことなんて絶対に出来ません。出来たとしてもそれは所詮付け焼刃で、到底読者に強く訴えかけることが出来るものではありません。

よく言う「一発屋」とは、つまりは第一作目で自分の知識や才能、創造性を出しきった後に、「次」に向けてのインプットを怠ったばかりに(つまりは器の拡張を怠ったばかりに)自身の成長を図る事ができず、また周囲からの評価も上げることができずに、やがては新たな才能を持った新人達に追い抜かされて消えていってしまうと、それがよく言う「一発屋」の末路なのではないかと思います。

まぁそれ以前に、この作品は作者が自分の趣味に走っていることも問題なのですが。「オニデレ」の読切の頃には期待していたんですが、もしかしたらこの作者は・・・なのかもしれません。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-06-22 23:15:14] [修正:2012-06-22 23:23:35] [このレビューのURL]

読んでいる間は6点と7点の間をゆらゆらと浮遊しながらも、読後感の良さから7点を付けてしまう。そんな、ほんのりとした気持ちにさせてくれる作品です。

異世界人や宇宙人など、いわゆる非日常の登場人物が主人公の元にやってくる、いわゆる押しかけタイプの漫画の多くは

異世界人や宇宙人→ボケ役   (非常識人)
主人公(地球人)→ツッコミ役   (常識人)

の関係性となっているパターンが多いのですが、この漫画は少し違って、

主人公の部屋で地縛っている幽霊の女の子→ツッコミ役    (常識人)
幽霊の女の子がいる部屋で生活している主人公→ボケ役   (変態紳士)

という、一般的なパターンとは全く逆のパターンになっています。そこがこの作品の特異性であり、読んでいて面白いところなのではないかと思います。何にしても、この作品は主人公の変態っぷりと、幽霊の女の子のツンデレっぷりが絶妙で、読んでいてとても面白いです。

読んでいて頭を使わず疲れない。寝転がりながらダラダラと気楽に読めるようなタイプの漫画なので、息抜きにはもってこいの作品だと思います。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-05-25 22:45:50] [修正:2012-05-25 22:56:27] [このレビューのURL]

2巻で、この作品の推薦コメントを書いていた伊坂幸太郎先生には申し訳ないんですけど、自分は全然面白くありませんでした。というより肌が合いませんでした。その原因を簡単に説明すると、

この作品はまず、ある日の夕方、子供とおじさんが見知らぬ男たちに誘拐されてしまいます。そこで、残された家族は不思議な術の力を使って、世界の時間を止めて二人を助けに行きます。そこまではいいんです。問題はそこからです。誘拐犯のアジトを突き止め、攫われた二人を助けようとしたその時に、部屋の外から見知らぬ男たちが次々と現れ、助けに来た家族へ続々と襲いかかっていくんです。自分は、このシーンが納得できませんでした。

おいおい、ちょっと待ってくれと。時間を止めてるんじゃないの?
なのに何で、他の人たちがその停止空間に侵入してくんの?
しかも何でそこから「管理人」とかいう訳の分からない木の怪物みたいなものが出てくるの?

そのあと話を読み進めていっても、これらの疑問に対して納得のいく解答は得られず、『神ノ離忍』だの、『止者』だの訳の分からない専門用語が次から次へと連続攻撃をかましてくるので、みるみる内に自分の中の「読む気メーター」が下がってしまいました。

まぁ確かに。停止された時間空間内に他者が侵入することはできない、なんてことは一言も言っていない以上、停止空間内に他者が入ってきても何らルール違反ではないとは思いますが、何と言うか、そういうのはせめて今起きている誘拐事件を一段落させてからやってほしかったというか。基本ルールを理解している段階でいきなり例外ルールを見せられても、読む側としては混乱するだけです。

そんな、時間停止に関する物語の前提条件が納得できない時点で、もう既に九割方この作品に対する興味を無くしてるんですが、更に言えばキャラクターの方にも全く親近感が湧きませんでした。拉致された男の子とニートのおじさん。時間停止の術を使えるおじいさんに、その辺のことを何も知らないおじいさんの孫娘。そして拉致った敵はヤクザのような、若しくはチンピラのようなガラの悪そうな男たち。何とも華が無い登場人物たちです。この登場人物のラインナップで、自分の中の「読む気メーター」は完全にゼロに枯渇してしまいました。

釣りをする場合、何を釣るかによって餌の種類を変えるものですが、自分と言う魚は、この作品が吊るしてきた餌には感興が湧かなかったようです。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-05-25 22:46:35] [修正:2012-05-25 22:51:16] [このレビューのURL]

「物語の完結」には二つのパターンがあると思っています。一つは、作者の意に依らない外発的な動機が起因となって引き起こされた「物語の完結」。つまりは「意図しないタイミングで終わらせた強制的な幕引き」です。そしてもう一つは、作者の意に沿う自発的な行動過程の結果によって導かれた「物語の完結」。つまりは「作者の描きたいものを最後まで描き切ったトゥルーエンド」です。(但し、必ずしもハッピーエンドとは限りません。ハッピーであれ、バッドであれ、作者が真に望む結末こそが、物語の真の結末であると考えるためです。)

そういった意味合いに当てはめて「物語の完結」を考えるならば、この作品は間違いなく正しい意味での「物語の完結」。つまり先程の例で言えば後者の、作者の望む形として物語の結末を迎えることができた作品だと思っています。

まず初めに断りを入れておくと、自分はこの作品の原作を読んだことがありません。なのでこのレビューは、漫画のみでの評価になっています。

元は冲方丁先生の原作がベースとなっているこの作品ですが、一個の漫画として見た場合でもその完成度はかなり高いです。何より、漫画としての面白さを漫画家(描き手)自身がとても良く分かっています。

それはつまり、画面全体の「空間」の使い方であったりだとか、各コマごとの「流れ」や「呼吸」の配分方法であったりだとか、漫画を面白く見せる上で重要な要素を漫画家自身がとても良く理解しており、かつそれを上手く体現させるだけの技術も持っています。

別マガ6月号で無事に完結し、最終巻が来月発売だということなので、また最終巻が出たあとに、最初から最後まで一気読みすると、本誌で読んでいた時とはまた違った印象になるのではないかと思います。ただ、途中、(グロいという意味で)結構過激な描写が出てくる場面が多々あるので、そういうのが苦手な人には少しキツい作品かもしれません。ですが、それも表現であり、演出の一部だと割り切ってしまえば、かなりの緊張感を持って物語を楽しむことができる作品なのではないかと思います。

「原作×漫画家」が「プロ×素人」であったためにこれまで数多くの駄作が歴史上積み上げられていきましたが、この作品は正に「プロ×プロ」によって完成したプロフェッショナルな作品だと思います。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-05-11 22:00:44] [修正:2012-05-11 22:04:39] [このレビューのURL]

Y=0x+4の方程式は簡略化するとY=4になり、これをグラフに表すと、x軸から4進んだところにあるY=4の平行な線が、一本どこまでも続いているグラフになります。

この漫画もちょうど、そんなY=4のグラフのような作品で、最初から最後まで何ら寄り道することなく、ひたすら旅の目的地である京都まで一目散に進んでいき、そして、無事に最終回を迎えたという、何とも味気も色気も無いストーリー展開になりました。

そんなY=4のようなストーリー展開をどう思うのかは人それぞれだと思うのですが、個人的にはもう少し何らかのハプニングやストーリーの起伏みたいなものがあっても良かったんじゃないかと思います。

ただ、もしかしたらこの作品を描くために、作者が東京から京都まで自転車で走りながら取材をしたのかもしれないと思うと、その苦労が色んな意味で悲しいです。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-05-11 22:01:25] [修正:2012-05-11 22:02:09] [このレビューのURL]

そろそろ最新刊の第7巻が出るんじゃないかと思い、色々と情報を集めていたら、まさかの連載中止という凶報を知り、どうしたものかと軽く茫然自失している今日この頃です。

そんな悲報に衝撃を受けながらも何とか続きを知りたいと思いながら、フレックスコミックスのホームページ「ヒャッコ 第41話 第42話」(ちょうど6巻の続きとなる話)を読んでみたわけなんですが、この2話がもしかしたら永久的にコミックス化されないのかと思うと、もう限りなくテンションが下がっていってしまいました。

ちなみに直近の更新状況は
40話の話が2010年の12月。
41話の話が2011年の8月。
42話の話が2011年の12月。
となっています。

つまり、2話書くのに一年かかってるんですよね。そりゃあ、連載中止になっても仕方ないような状況だとは思いますが、それでもいちファンとしてはどんなに時間がかかったとしても話の続きを描いていってほしいというのが正直なところです。

願わくは、このレビューの次の更新が、「ヒャッコ」完結の総括レビューであればいいと、そんなことを思います。

(その後調べたところ、どうやらカトウハルアキ先生は現在別のwebコミックで「真田ジューイチ」として活動されているようです)

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-04-27 23:28:54] [修正:2012-04-27 23:43:22] [このレビューのURL]

よくある作者の趣味漫画です。

絵柄も薄っぺらいですし、話の中身もスカッスカですし、きっとこの作品をジュースにしたら、明らかに砂糖の配分が少ない、ほとんど水のような砂糖水のジュースが出来たことでしょう。せめてほんの少しでも炭酸が入っていればもう少し刺激のある作品になったんじゃないかと思います。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-04-27 23:27:44] [修正:2012-04-27 23:27:44] [このレビューのURL]

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